第258話「トマト味」

「ぎゃあああああ!」


 リゼットが悲痛な叫びを残して沈黙した後、誰かが駆け寄ってくるのが分かった。


 ……どうやら私もこれまでのようだ。


 覚悟を決め、それから近づいて来る相手に何をされるのだろうか?とか、


 仮面を馬鹿にしなければ良かったかな?とか、


 リゼットは食べてばかりであまり役に立たなかったな、


 などの思いが頭をよぎったが、エルツーが神速でやって来た為、それも一瞬だった。


 そして私に近づいたエルツーは私を……。


「殿下!」


「むぎゅ!」


 と、いきなり私を抱きしめて、その豊かな胸で顔を覆って窒息死させようとしてきた。


「む、ぐ……ぐるじい……死、ぬ……」


「いやぁ!死なないで!」


 いや、君のせいで死にそうなのだが?


 と生命の危機と温かく弾力のある柔らかい感触を感じながら、私は心の中でツッコんだ。


 そして同時に、


 ん?この私を呼ぶ聞き慣れた声は、やはり……。


 と、とある事実に気付き、それから私は相手の名前を呼んだ。


「むう……レオニー……息が……できないよ……」


「ふぁ!?で、殿下!?申し訳ありません!」


 次の瞬間、私の言葉を聞き取ったレオニーがガッチリホールドしていた腕を緩め、密着していた胸部を慌てて離した。


 普段なら男としてちょっと名残惜しいところだろうが、今はそれどころではない。


 私はリリースされた瞬間に新鮮な空気を肺一杯に吸い込んだ。


「ハァハァ……助かった」


「はわわ……も、申し訳ありませんでした!」


 目の前では珍しくレオニーがアワアワしている。


「いいさ、レオニー。君が私の元へ戻って来てくれたのだから」


 私はトマトソースの所為で開けられない目を閉じたまま口元を緩ませた。


 するとは彼女は、


「……お気付きだったのですか」


 と、沈痛な面持ちで答えた。


「ああ、君の戦い方や動きを見て途中から何となくそんな気がし始めて……そして今、私を呼ぶ声で確信した」


 私がそういうとレオニーは仮面を外したようだった。


「左様でございますか……流石は殿下、お見事でございます……はっ!それより殿下!お怪我は!」


「怪我?ああ、結構痛むよ……」


「そんな!?」


 私がそう言うとレオニーがこの世の終わりのような声で慌てた。


「タンコブになるかもな」


「今すぐ医者を手配致します!」


 私の言葉をスルーしてレオニーは叫んだ。


「落ち着いてレオニー、ただのタンコブだから」


「え?でもこんなに血が……」


「え?ああ、これはトマトソースだよ。パスタの大皿を頭にくらってしまってね、お陰で私はトマトみたいに真っ赤だよ、はは」


 と、彼女を安心させようと冗談めかして言ってみたのだが……。


「……」


 返ってきた沈黙。


 え?その反応はちょっと切ない……。


 が、次の瞬間、


「殿下ぁ〜」


 そんな声と一緒に優しく抱きしめられた。


「レオニー!?」


「良かった……殿下がご無事で本当に良かったです!殿下の御身に何かあれば私、私……」


 そして、レオニーは涙声でそう言った。


 そこまで私のことを心配してくれるとは……いい部下を持ったな。


「心配ありがとう、レオニー」


「いえ、そんな……それに私は……」


 と、彼女はここで自らの状況を思い出し、恥いるように言った。


 そんなレオニーに私は一言。


「レオニー、何も言うな」


 だが彼女は少し感情的にさらに続けて言った。


「しかし!私はよりにもよって殿下に反抗致しました……如何なる処分も謹んでお受けする所存でございます!」


「レオニー……私は全て分かっている」


 私は静かに言った。


「!?全てをご存知……くぅ」


 そう言うと彼女が俯くのが分かった。


 これは私なりの気遣いだ。


 彼女にこれ以上傷付いて欲しくないから。


 そう、私は今回の一件について全てを悟ったのだ。


 国家に忠実な最強の暗殺者であるレオニーが、何故痛いコスプレに身を包み、マフィアのボスになって私に刃向かったのか?


 その答えを。


「レオニー……」


「はい、殿下」


 こうべを垂れ、静かに言葉の続きを待っている彼女に私は告げる。


「君は……」


「……」


 本当に珍しいことにレオニーの緊張が密着した身体から伝わってきた。


「君は任務遂行中に敵に捕まり、酷い拷問を受けた上に洗脳されていたのだろう?」


「はい……………………え?」


「そうでなければ痛いコスプレをして反社会勢力を率いて暴れ回ったり」


「うっ……」


「私に刃向かったりなど君は絶対にしないと私は確信しているからね!」


「うぐっ!」


「あと君の辛い記憶を無理に思い出させたくはないから、今回の件について詳細を語る必要はない。私は君が戻ってくれたらそれで十分だ」


 そこまで言ってから、私は心身共にボロボロになってしまった部下を労わるように優しく笑って見せた。


「え?え!?いや、あの……その…………はい!仰る通りでございます!」


 すると、レオニーは少し戸惑ってから返事をした。


「やっぱりそうか!」


 そうだよな、そうでなければ一連の行動に説明が付かないからな!


 今回の私は冴えてるな!ははは!


「はい!流石殿下です!」


「本当に良かったよー、もし君の自我が残っている状態だったら私は君を断頭台へ送らねばならないところだったからねー」


「……」


 それから私は口元を綻ばせながら優しく言う。


「おかえり、レオニー」


「ただいまです、殿下」


 するとレオニーは声を震わせながらそう答えたのだった。


 こうしてレオニーを取り戻した私はその後。


「さてと、いい加減に顔を洗って目を開けたいし、あと是非、君に紹介したい人物が……」


 などと言いながら、おもむろに身体を起こしたところで、


「いるのだが……むぐっ!」


「んん!?」


 私は顔をレオニーにぶつけてしまった。


 因みに唇には柔らかい感触が……え?これって、もしかしてレオニーの………………頬にキスしてしまったのか!?


 ああ、なんてことを……事故とはいえ……気まずいぞ……。


 セクハラで訴えられたりしないよな?


 いや、それよりまずは謝罪だろうだ!


「す、すまないレオニー!これは事故で……」


 私は目を瞑ったまま慌ててそう言った。


 するとレオニーは未だに目を開けられない私の耳元に顔を近づけ、艶のある声で囁いた。


「殿下、『初めてのトマトソース』をご馳走様でした」

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