第140話「夢」

 フィリップと別れた後、私は漸く食堂にたどり着き目的だった珈琲を堪能した。


 そして、そこで暫く心を落ち着かせてから部屋に戻った。


 その頃には既に日は落ち、窓にはカーテンが引かれ、暖炉は温かなオレンジ色の炎と共にパチパチと音を立てていた。


 さて、と。


「では、明日に向けて準備をしようか」


 私はそう呟きながら、レオニーに頼んで準備してもらった大型のトランクを引っ張り出した。


 そして、持ち出す私物を選別しながら詰める作業を始めた。


 それと同時に、私は手を動かしながら脳内で明日のスケジュールの確認を始めることにした。


 では早速、始めよう。


 まず、明日は午前中にこのトゥリアーノン宮殿の広間で関係者を集めた発表がある。


 なんの因果か、あの婚約破棄騒動があった、あの広間で。


 内容は、私の実質的な廃嫡と幽閉、そしてフィリップの皇太子への昇格、だ。


 具体的には第一王子である私から、放蕩と婚約破棄騒動の責任を取らせる形で皇太子の地位を剥奪し、蟄居謹慎を申し付けるというもの。


 まあ、実質的な廃嫡の宣言だな。


 続いて、第二王子であるフィリップに皇太子の地位を与えることを発表。


 併せて将来を見据えて経験を積む為、北アユメリカのケイベック植民地の総督に就任することも同時に発表される。


 まあ、実際には性犯罪の反省をさせる為と、そのほとぼりを覚ますという意味合いが強いが。


 そして、重要なのはこの後だ。


 内容により信憑性をもたせるために、私はそこで発狂することになっている。


 え?お前は元々狂ってるだろうって?


 余計なお世話だ。


 コホン。


 で、私は父上やフィリップとの打ち合わせ通り、このタイミングで暴れ出し、近衛兵に摘み出されることになる。


 そして、そのまま宮殿からグッバイフォーエバー!なのだが……。


 正直、胃が痛い。


 何故なら、小心者の私が大勢の前で上手く演技が出来るのか、そして集まった貴族等の有力者達を騙せるか、あまり自信が無いから。


 あと演技そのものへの不安もさることながら、自分に向けられる冷たい視線に耐えなければならないのだ。


 セシルやマリーを始めとした大勢の蔑みや嘲りを含んだ視線に……。


 ああ、考えただけで逃げ出したくなる。


 だが、しかし。


 明日を乗り切れば後は自由の身!


 何とか頑張らなければ!


 これさえ乗り切れば、明日の午後には自由に外を歩けるのだ。


 更に正式な廃嫡こそ先送りになったが、明日以降は完全にフリーだし、一人暮らしだし、実質的にもう国との関わりは無くなる。


 それに何か有れば金を持って海外に高跳びすることも出来る。


 つまり、明日をもって私は実質的に王子を辞めるも同然なのだ。


 だから、頑張れ自分!


 あと一息だ!


 ゴールはすぐそこなんだ!


 と、無理矢理自身を叱咤激励したところで……。


 お気に入りのミニサイズのシャケクマを持ったまま手が止まってしまっていた。

 

 おっと、いかんいかん。


 私はパッキングの作業を再開し、衣類の選別を始めた。


 それから暫く作業を続けたところで、私はふと思った。


 それにしても……明日で待ちに待った(実質的な)廃嫡か……。


 あの騒動からひと月、長かったような、短かったような。


 思い返せばあの婚約破棄の夜に突然記憶が戻ってから、今日まで本当に色々なことがあったなぁ。


 まずは公衆の面前での婚約破棄。


 あの時、私はアネットこそが自分にとって相応しい唯一の女性だと本気で思い込んでいた。


 逆に私の為を思って諌めたり、厳しく陰湿な王妃教育に耐えていたりと、頑張っていたセシルを口うるさいだけの邪魔な女だと本気で思っていた。


 今思うと、私は本当にどうかしていた。


 それにセシルには本当に悪いことをした。


 いつか落ち着いたらスービーズ領を訪ね、顔を合わせてちゃんと謝らないとな。


 ただ、あれから一度も会っていない筈なのだが、不思議とセシルとは毎日顔を合わせていたような気がするんだよなぁ。


 なんでだろう?


 まあ、いいか。


 そして、アネット。


 彼女にも悪いことをしたと思う。


 何故ならそれは私がしっかりしていれば、たとえ本当にセシルと別れて一緒になるにしても、わざわざあんな騒動を起こす必要は全く無かったのだから。


 現実的に考えれば、正室は無理でも、側室や愛人という選択はあった訳だし、無理にあんなことをしてまで王妃にする必要はなかった。


 それに素の彼女と話してみて、根はいい娘な気がしたし、きちんと話せばきっと現実的な結論を出せた筈だ。


 本当、彼女達二人には申し訳なさでいっぱいだ。


 願わくば二人には、良い相手を見つけて幸せになって欲しいものだ。


 あ、それに加えて可愛い義妹のマリー。


 純粋で優しい彼女の目の前で、あんな騒動を起こしてしまった。


 きっと、マリーはショックだったろう。


 愚かなお兄ちゃんでごめんな。


 だが、不幸中の幸いで隣国へ嫁がなくてもよくなった。


 それだけは良かったと思う。


 マリーには成金国家のプレイボーイではなく、良い相手と幸せに添い遂げて欲しいからな。


 いや、むしろ何処へも嫁にやりたくないし……。


 おっと、脱線してしまった。


 それで騒動の後、何とか生き残る為に時間が無い中、色々と考えて父上達に必死で言い訳をしたんだよな。


 アレは本当に大変だったなぁ。


 正直、勢いだけで押し切った感があるし……。


 というか、よくあんなテレビショッピングみたいな真似ができたものだ。


 多分、もう同じことをしろと言われても無理な気がする。


 それでその場を口八丁で切り抜けた私は、そこから今日まで全力で走り切った。


 まず、翌日には暗部主体の特別なプロジェクトチームを立ち上げた。


 あ、そう言えばそこで初めてレオニーとちゃんと話をしたんだよな。


 それまでの彼女とは、いつも事務的な会話と冷たい視線を向けられるだけの関係だったし。


 やはり、エロい視線がバレていたのかな?……いや、なんでもない。


 コホン。


 意外だったのは、話してみると戦闘力と魅力的過ぎる身体以外はレオニーも普通の女性と同じだったということだ。


 実は今日まで彼女の色々な面を見られて、ちょっと役得とか思ったり。


 レオニーってクールなのに意外と可愛い面が……。


 と、兎に角、彼女とは仕事をする上で、良いパートナーになれたと思う。


 そして、彼女は今日まで献身的に尽くしてくれた。


 本当に感謝をしている。


 是非、レオニーには無事キャリアを積んで、輝かしい未来を掴んで欲しいと思う。


 そうだ、いつか貴族になった彼女を訪ねてみようか?……いや、門前払いにされそうな気がする。


 あと、リゼット。


 ドジっ子だが、いい娘だ。


 超巨乳だし。


 それに家族の為に頑張って働く彼女には、幸せになって欲しい。


 自分の武器を上手く使って、良い相手を捕まえられると良いのだが……。


 まあ、その辺りはマリーかレオニーがなんとかするだろう。


 で、話を戻すと、それからいよいよ仕事を始めたのだが、ここからが大変だったのだ。


 アネットと地下牢で取引をしたり、暗部の連中を経費で飲みに行かせてやったり、ロリっ子に暗殺されかかったり、遠征をして白豚と場外乱闘を繰り広げたり、命の危機を迎えたり。


 あ、そういえばノエルは元気かな?


 確か暗部に再就職していたけど……あ、潜在能力は高いからレオニーに英才教育を施されていたりするかもな。


 頑張れ、ロリっ子。


 それで……ああ、そういえば赤騎士が来たのもその頃だったな。


 いやー、アレは凄い奴だった。


 剣……というか暴力が超一流で、頭も良くて仕事ができるのに、中身が残念賞というぶっ飛んだ仕様だった。


 本当に勿体ないと思う。


 驚きの戦闘力で全てを薙ぎ倒したり、悪党を金貨で物理的に拷問して吐かせたり、訳の分からないところで拗ねたり泣いたり、本当に訳が分からない奴だった。


 あと、アレとは初めて会った筈なのに昔から知っているような気がしたり……不思議だ。


 それに、本当に最後の最後までアイツは……いや、取り敢えずあの件は忘れよう。


 きっと事故なのだから。


 で、赤騎士と出会ってからは慌しく遠征の準備をした後、レオニーその他のメンバーと出陣。


 色々あったがなんとか遠征を乗り切り、命からがら昨日戻って来て……。


 そうしたら今度は何故か、優秀な弟のフィリップが性犯罪者になっていたり。


 アレには驚いたなぁ。


 眉目秀麗、才色兼備なフィリップがあんなことをするなんて……。


 奴もエリートなりにストレスを抱えていなのかなぁ。


 まあ、説教したら更生すると約束してくれたし、取り敢えずは信じて大丈夫だと思うが。


 そして、今に至る。


 本当に大変なひと月だった……(何故か、体感的には九ヶ月ぐらい経っている気もするが)。


 でも、なんだか凄く楽しかった。


 仲間達と苦楽を共にし、力を合わせて仕事を完遂できたし。


 そして、とても充実したひと月だったな。


 正直、こんな生活だったら国王をやるのも悪くないかも……なんて思ったり。

 

 いや、気の迷いだな、忘れよう。


 それに、こうしてその国王の地位から逃げ出そうとしている無能な私に、その資格は無い。


 と、ここで気が付けば作業はほぼ終わっていた。


 あとはトランクを閉めるだけだな。


 そして私は静かにトランクを閉じた。


 その時のカチリという音と同時に、全てが終わった気がしたのだった。


「……終わったな、全部」


 最後にそう呟いた後、私は胸に一抹の寂しさを覚えた。


 そして、今日は明日に備えて早めに休むことにしてベッドに潜り込んだ。


 その夜。


 私は夢を見た。


 それは……主人公になれなかった男の夢。


 そして、挫折と絶望の夢。


 まず、夢はその男が現代日本から異世界にあるランス王国の第一王子に転生するところから始まった。


 転生後、すぐに状況を理解した男は願った。


 数多のなろう系主人公達のようにこの世界で活躍したい、と。


 この知識チートを使って、人々を救い、豊かにし、皆を幸せにしたい、と。


 そして、ヒーローに……主人公になりたい、と。


 そう、願った。


 それから男はその夢を叶える為に動き出した。


 赤ん坊のうちは言語の習得と聴き取れる範囲での情報収集。


 動けるようになると学問から武術、人脈作りまで、ありとあらゆることをした。


 男は夢の為に寝る間も惜しみ、自分が考えうる限りの努力をした。


 その結果、神童と呼ばれ周囲の厚い信頼を得た。


 そして様々な助言や提案を行い、国の発展に貢献した。


 しかし、順調なのはここまでだった。


 疫病が発生したのだ。


 ここで男は病に対して全くの無力だった。


 残念ながら男は医者でも薬剤師でもなく、流行病に対してなす術がなかったから。


 出来たのはせいぜい無意味な、いや有害な昔ながらの間違った治療法をやめさせることや、ごく一般的な公衆衛生の概念を広めるだけ。


 他には何も出来なかった。


 実はこれだけでも非常に多くの命を救ったのだが、男はそれに気づけず、無力で無能な自分を責めた。


 そして男は絶望した。


 自らの無力さと無能さに。


 何が転生だ、何が知識チートだ、何が……主人公だ、と。


 それから男は精神を病み、心はボロボロになってしまっていた。


 そんな時、幼馴染の女の子と義妹と一緒に庭を散歩していると、突然目の前で石像が倒れ、大切な女の子達が危険に晒された。


 それを見た男は咄嗟に二人を突き飛ばし、代わりに石像に潰された。


 そこで流れ落ちる生暖かい血の感触と薄れゆく意識の中で男は思った。


 いや、願った。


 もういい。


 こんな惨めな人生はもういい。


 このまま終わりにしてくれ、と。


 こんな何もできない、何も成せない人生などはもう要らない、と。


 もう疲れた、と。


 そして、夢の為に厳しい現実と闘い続け、疲れ果てた男は最後に、


 やはり、自分なんかが主人公になるのは無理だったんだ……。


 そう呟き、そのまま意識を手放したのだった。


 その後、一命を取り留めた男が目覚めた時、幸か不幸か、男の記憶は綺麗サッパリなくなっていた。


 ………………。


 …………。


 ……。


 ああ、なるほど。


 そうか、記憶が戻ったのは……神様がやり直すチャンスをくれたというか。


 はは、そういうことだったのか。


 まあ、ヒーローになりたいとはもう思わないが……。


 だが、折角だ。


 せめて残りの人生は楽しく生きようじゃないか。


 今度は無理せず、手の届く範囲の人々を幸せにしながら。


 そう、人間無理をし過ぎてはダメだ。


 だから、今回は程々に頑張ろう。


 と、そう思ったところで意識が覚醒し始め、そのまま私は目を覚ました。




「ん?朝……か」


 私がゆっくりと目を開けると、カーテンの隙間から差し込む朝日と小鳥のさえずりが聞こえた。


「うーん、夢を見ていた気がするのだが、具体的な内容を全く覚えていない……」


 何となく、とても辛い内容だった気もするが……。


 まあ、いいか。


 不思議と気分はスッキリしているし。


 と、そこまで考えたところで、


「おっと、起きなくては……」


 私は今朝はそんなに余裕がある訳ではないことを思い出し、ベッドから起き出してカーテンと窓を開けた。


 すると心地良い朝の冷えた空気が入ってきて、一気に目が覚めた。


「さ、始めるか」


 私はそう言うと身支度と朝食を済ませた。


 そして、暫くしてから侍従が私を呼びに来て、恭しく告げた。


「殿下、お時間でございます」


「ご苦労、では行こうか」


 私はそれに微笑を浮かべたまま答え、彼に続いて部屋を出た。


 見慣れた廊下を進みながら、これも最後かと感慨に耽っていると、いつの間にか広間の近くまで来ていた。


 そして私は今、広間の扉の前に立った。


 自由な未来へと続く扉の前に。


 さあ、これで本当に最後だ。


 覚悟を決め、自分に言い聞かせるように心の中でそう言った私は、脇に控える侍従に軽く頷いた。


 それを見た侍従は恭しく扉に手を掛け、そのままゆっくりと扉を開けた。


 それと同時に私は口元を僅かに緩め、そして呟いた。


「さあ、王子辞めようか」

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