第123話「兄と弟①」
その時、フィリップはトゥリアーノン宮殿の簡素な部屋で軟禁されていた。
彼は部屋の真ん中でポツンと椅子に座り、花という名の大量の悪意に囲まれた状態で、虚ろな目のまま俯いていた。
「何故だ……何故こんなことに……そして何故、私がこんな目に……」
そして、彼がそんなことを呟いた、その瞬間。
コンコンコン。
と、ノックの音がした。
「フィリップ、入るぞ」
続いてそんな声が聞こえ、声の主はフィリップの返事を待たず、直ぐに入ってきた。
「……これはこれは、マクシミリアン兄上、私を笑いに来たのか?」
部屋に入ってきたマクシミリアンを見たフィリップは、不貞腐れた顔でそう言った。
一方、そんな彼を見たマクシミリアンは苦笑を浮かべ、
「とんでもない、お前のことが心配になって、様子を見に来たんだよ」
そう言った。
「心配?ハッ!心にも無いことを!……いや、そうか!念を押しに来たのか?安心しろ、言われなくても私はちゃんと皇太子になってやるから」
それに対して、フィリップはそう決め付けて勝手に納得し、皮肉げな顔で答えた。
「そうか、取り敢えずその点は安心したが……話はそれだけではないのだ」
マクシミリアンは苦笑のまま、そう言った。
「他に何があるのだ?……ああ、私を断罪しに来たのか?」
フィリップが挑発的な笑みを浮かべて言うと、
「断罪?いや、そんなつもりはないが……」
マクシミリアンは困り顔でそれを否定した。
「惚けやがって!こんな惨めな姿になった私を馬鹿にしに来たのだろうが!」
しかし、それを聞いたフィリップは勘違いし、激昂した。
「ふぅ、いくら言っても信じてはくれまいが、私は本当にお前が心配で……話をしに来ただけなんだよ」
それでもマクシミリアンは諦めず、穏やかにそう言った。
「心配?何を言うかと思えば……マクシミリアン、お前はこれだけの罪を犯した私が心配なのか?蔑み、嘲り、一族の恥晒しである私という存在自体を忘れたいのが普通だろうに……本当に何が目的だ?」
すると、激昂していたフィリップは調子が狂い、今度は少し戸惑ったような顔でマクシミリアンに問うた。
「何を言っているのだ、お前は大事な弟だ……だからこそ、罪を犯してしまった今、きちんと話をしたいのだ。それでは理由にならないか?」
変わらず、彼はフィリップにそう問い返した。
「ああ、もう……イライラするな、頼むから早く消えてくれ、不愉快だ」
そんなマクシミリアンの言葉を聞いた彼は、心底不快だとばかりに顔を歪め、そう吐き捨てた。
「そうか……仕方ない、では勝手に話すからそのまま聞いてくれ」
マクシミリアンは再び苦笑を浮かべてそう言った。
「……フン」
と、フィリップが鼻を鳴らし、無視を決め込もうとしたところで、
「すまんフィリップ、今までお前の気持ちに気付いてやれなくて……」
マクシミリアンはおもむろに頭を下げて謝罪した。
「は!?お前……一体何を!?」
フィリップはあまりに予想外の事態に、戸惑ってしまった。
「だが……やはり、どんな理由があろうと、あんなことをしてはダメだ」
次にマクシミリアンは真っ直ぐにフィリップの目を見ながら、今までとは違う強い口調で言った。
「くっ……う、うるさい!私は、私は自分の為に動いただけだ!お前に取って代わる為に!私こそがお前がいた立場に相応しいと思ったのだ!それは今も変わらん!」
彼の強い視線にフィリップは思わず怯んだ後、精一杯の虚勢を張ってそう答えた。
「フィリップ……そんなことの為に……」
それを聞いたマクシミリアンは、悲しそうに呟いた。
「うるさい!うるさい!うるさい!私こそが!……いや、やめよう、どうせ私はもう……」
と、激昂していたフィリップは、そこで数年後に訪れる自分の末路を思い出し、全てがどうでもよくなり、急に投げやりになった。
そんな彼に、マクシミリアンは優しく語り掛ける。
「なあ、フィリップ……確かにお前は大罪を犯してしまった。そして、その事実を変えることはもう出来ない、だが……」
と、そこで彼は一拍置いてから、話を続ける。
「……?」
「その過去は変えられないが、未来は変えられるんだ。自らの過ちに気付き、やり直すことに遅い、ということはないんだよ」
彼はフィリップに言い聞かせるように微笑を浮かべてそう言った。
「なっ!?……このっ!……くっ……」
それを聞いたフィリップは、思わず感情的になって反論しようとするが、上手く言葉が出ない。
そして、マクシミリアンは更に言葉を続ける。
「勿論、お前が多くの人々を傷付けた事実が消えることはない。どんなに謝罪をしようが、金を積もうが、償えるものではないし、決して許されるものでもない」
「……では、何が言いたいのだ?今すぐ私に死んで詫びろ、とでも言うのか?それとも死ぬより酷い苦痛を受けろ、とでも言うのか?」
と、フィリップはまるで意味が分からないという顔でそう言うが、それには答えずマクシミリアンは話を続けた。
「……だがな弟よ、償いにお前が死んだり、苦痛を与えられても、何も変わらないんだ……だから」
「だ、だから?」
フィリップが困惑顔で先を促す。
「その分、人々の為に働け、フィリップ。己の全ての欲を捨て、ただひたすら民の幸せの為に働くのだ。新天地でお前が民の先頭に立って、汗と土と雪に塗れて働き、その姿を見せるのだ。そして民を豊かに、笑顔にするのだ。それが、お前に出来る唯一の償いだ」
そこでマクシミリアンは真っ直ぐフィリップの目を見て、強い口調で言った。
「兄上……そんなこと……私などには……」
と、そこでフィリップは初めて不安そうな顔になった。
「お前なら必ず出来るさ、お前なら……私の優秀な弟なら」
そして、マクシミリアンは優しい笑顔で言った。
「で、でも私にそんな自由は……」
と、そこでフィリップは暗い顔になって呟いた。
「安心しろフィリップ、私が父上と話を付けた。去勢も独房での監禁も撤回させた。勿論、監視は付くがお前はケイベック植民地の総督として、存分に働くことが出来る」
「え?本当に!?……で、でも一体何故そこまで……兄上には何の得も……」
兄の言葉を聞いたフィリップは目を見開き、そして純粋な疑問をぶつけた。
「そんなの決まっているじゃないか、それはフィリップ、お前が大事な弟だからだ」
それに対してマクシミリアンは躊躇いなくそう言った。
「っ!?」
フィリップは、その言葉に何も言うことが出来ない。
「それ以外に理由はいらないだろう?」
「あ、ああ……そんな……う、嘘だ、それだけの理由で私なんかの為に、貴方がそこまでする筈が……」
動揺したフィリップは、かろうじてそう言うが。
「私の目を見ろフィリップ」
兄そう言われ、その瞳を見た彼はその瞬間。
「ハッ!?」
「もういい……もう、いいんだよフィリップ」
フィリップは、そこでマクシミリアンの本心を悟り、あることを思い出した。
彼の言葉に嘘偽りはないことを。
そして、幼い頃のまだ仲の良い兄弟だった時の、優しい兄の姿を。
「私は……一体なんてことを………………ぼ、僕は……僕は!あああああ!」
そこで遂にフィリップの心の中にあった壁が壊れた。
そして、そこから様々な感情が怒涛の如く溢れ出し、彼はマクシミリアンに抱き着いて泣きだしてしまった。
まるで、昔のように。
「ご、ごめんなさい!リアン兄さん、僕は……僕はただ……うぅ」
そんな彼をマクシミリアンは優しく抱きしめた。
「無理に言わなくてもいいんだよ」
だが、フィリップは、しゃくりあげながらも本心を語り出した。
「ぼ、僕はリアン兄さんのようになりたかっただけなんです!……うっ、ぐす、羨ましかった、何でも出来て、皆んなに尊敬されて、愛されて……セシルやマリーと一緒にいる兄さんが……それがいつの間にか憎しみになってしまって……」
「……そうか」
それに対してマクシミリアンは静かにそう呟いた。
そして、フィリップは暫くそのまま兄に縋って泣いた後。
「ぐすっ……に、リアン兄さん、僕はやり直すよ、そして兄さんが与えてくれたこのチャンスを絶対に無駄にしないよ!」
決意を新たにそう言った。
「そうか、だが無理はするなよ」
マクシミリアンは優しくそう言った。
「うん、でも……たとえ残された時間が僅でも、僕は頑張るよ!あと数年でも出来ることはある筈だから……必ず!」
「お前の決意はよくわかったよ。フィリップ、ケイベックはここから遠く離れ、雪に覆われた過酷な土地だが……お前ならきっと出来るよ、体に気をつけてな」
「はい!リアン兄さん!」
最後にフィリップは、一切の邪気のない笑顔で、大好きな兄にそう答えたのだった。
と、一見美しい兄弟愛によってダークサイドに落ちた弟が目を覚ました、という、この作品の読者の皆様なら悪寒がするレベルの展開なのだが、勿論実際は……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます