第115話「朝チュン③」

 リアンから届いた花に、マ・リ・アの三人が様々な反応をしていたのと同じ頃。


 トゥリアーノン宮殿内の、リアンの特別プロジェクトチーム用の部屋にて。


 ドンッ!


「きゃ!」


 という壁を打つ音と共に、壁際に追い詰められたうら若き女性暗部員が、小さく悲鳴をあげた。


 いわゆる『壁ドン』というやつだ。


「さあ、もう逃げられない」


 そんな彼女を追い詰めている者は、淡々と事実を告げた。


「え、え?あ、あの……」


 だが、壁ドンによって軽いパニックを引き起こしている彼女は、上手く答えることが出来ない。


「……」


 と、それを見た壁ドン実行犯は、そんな状態の彼女を見て焦れたのか、今度は人差し指で顎を強引に上げさせた。


「はぅ!」


 今度はいわゆる『顎クイ』というやつだ。


 彼女はその状態で、美しくも力強い瞳で見つめられてしまい、最早抵抗出来なくなってしまった。


「さあ、素直になりなさい」


 そして、相手は顔を近づけると、畳み掛けるように耳元で囁いた。


「あぅ……」


 その囁きと同時に息が耳にかかり、顔を真っ赤にした彼女はその瞬間、完全に抵抗を諦め、潤んだ目で相手を見ながら呟いた。


「レ、レオニー様……優しくして下さいね?」




 一体何故、こんなことになっているのか説明しよう。


 時は少し遡り、今日の早朝。


 その時、レオニーは仕事の山に埋もれていた。


 だが、それは決して、彼女が無能だからでも、スケジュール管理が出来ていない訳でも、単純に時間が無いという訳でも無かった。


 その答えは至ってシンプルで、彼女が昨日から不幸続きだったからだ。


 まず昨日、レオニーが一足早くリアンとの充実した遠征から気分よく帰ってみれば、早々に意地の悪い悪魔のような上司の所為で、酷い目に遭わされた。


 具体的には、はっきり言ってどうでもいい第二王子フィリップの断罪に付き合わされた上、存在を忘れられて放置プレイにされ、挙げ句の果てに使いっ走りにされてしまった。


 最悪なのは、それらの所為で愛するリアンの帰還に間に合わず、彼を出迎える事が出来なかったことだ。


 この時、彼女の怒りと絶望の度合いは凄まじかった。


 既にリアンが通り過ぎてしまった玄関に佇みながら、諸々を邪魔した連中を呪いつつ、ドス黒いオーラを発し、近くにいた使用人数名を気絶させてしまったほどだ。


 その後、オフィスに戻ったレオニーは、遠征の疲れがどっと押し寄せてくる中で、疲労や睡魔と戦いながら遠征の残務処理をしていたら、気が付けば夜中になっていた。


 そこで彼女は一息つくため、コーヒーでも飲もうかと思ったところで、今度はマリー付きのメイドから、泣きつかれてしまった。


 なんでも街に飲みに行ったマリーが、日付が変わっても戻らなくて心配、何とかしてくれ、という内容だった。


 本当はその瞬間に断りたかったレオニーだが、流石にそうもいかず、心の中でマリー達を呪いながら、街へと出掛けた。


 そして、心当たりがある店を梯子し、三軒目で漸く泥酔した上司を発見、その後、苦労して彼女を回収したのだ。


 そこで、泥酔した非常に面倒くさい状態の上司を新米女官に押し付けて、本来の業務に復帰したのが明け方だ。


 そこから一睡もせずに作業を進め、漸く目処がついたところで、またしてもマリー付きのメイドから泣きつかれてしまった。


 因みに今度は、殿下が起きてくれないからなんとかしてくれ、だった。


 仕事があと少しというところで、再び業務を中断させられたレオニーは、若干の殺意を覚えながら、小さな悪魔を夢の世界から連れ戻し、今やっと自分のデスクに戻ってきたところだった。


 そして今度こそ、手早く残務を済ませ、少し仮眠を取ろうかと彼女が思ったところで、


「失礼致します。こちらにレオニー様はいらっしゃいますか?」


 と、入り口の方から声がした。


 それを聞いた彼女は、またしても仕事の邪魔かと、殺意のこもった目でそちらを見れば、そこにいたのは先程会ったばかりの、マリーに花を届けに来たメイド達だった。


 おや?と、彼女は殺意を引っ込め、彼女達に近づいていくと、


「レオニー様、お忙しいところ申し訳ありません。本当はマリー様のお部屋で要件をお伝えしたかったのですが……」


 メイドは申し訳なさそうに言った。


「ああ、私は色々と取り込んでいましたからね。で、要件は?」


「はい、実はレオニー様にも、マリー様と同様に、お花をお預かりしておりまして」


「は?私に花?しかも……あのお方から!?」


 レオニーは嬉しい反面、困惑した。


「はい、左様でございます」


 と、そこでメイドの片割れがマーガレットの大きな花束を持ってやってきた。


「どうぞ、お受け取りを」


 彼女はレオニーにそれを渡すと、


「では、『次』がありますので、私達はこれで失礼致します」


 と、慇懃に言って一礼し、退出していった。


 一人、早朝のオフィスに取り残されたレオニーは、


「花……か。殿下からの贈り物ではあるし、嬉しいには嬉しいのだけど……」


 更に困惑していた。


 これは一体、どういう意図があるのだろうかと。


 実は彼女は生まれてこの方、花などという物を、良いとか、綺麗とか、欲しいとか、思ったことが一度も無かったのだ。


 レオニーにとって身近な花は、トリカブトのような毒関係か、非常時に栄養になるサバイバルに必要な花だけだったから。


 彼女は正直、どうしようかと困ったあと、流石にリアンからの贈り物を適当に扱う訳にもいかず、取り敢えず花瓶を確保して飾ることにした。


 そして、花束を持ってデスクから立ち上がったところで、ちょうど若い女性暗部員が出勤してきた。


「おはようございます、レオニー様……ん?マーガレットの花束?え?ええ!?レオニー様が!?」


 すると彼女は、レオニーが持っている花を見て驚愕した。


「ねえ貴方、突然どうしたの?この花が何か?」


 それを見たレオニーは、怪訝な顔をしながら問うた。


「ふぇ!?あ、え?もしかして、レオニー様はその花の花言葉をご存知ないのですか!?」


「花言葉?」


「はい、花にはそれぞれ意味があるのです。で、今レオニー様がマーガレットの花をお持ちだったので、てっきり殿方に愛の告白をされたのかと……」


 と、おずおずと彼女が言ったところで。


「ふむ、なるほ……ど?…………ん?今、なんて?」


「え?あ、はい、てっきり、殿方に愛を……」


「ッ!?」


 それを聞いた瞬間、レオニーは動いた。


 鬼気迫る形相で、その女性暗部員に詰め寄った。


「ひぃ!?」


 逆に迫られた彼女は、本能的に恐怖を覚え、思わず無意識に後ずさってしまう。


 しかし、二、三歩下がったところで背中が壁に当たり、逃げ場が無くなった。


 そこで場面は漸く冒頭に戻る。


「さあ、早く!言いなさい!」


 レオニーはキスしてしまいそうな距離まで顔を近づけ、彼女に話の続きを迫る。


「はぅ、レオニー様……素敵」


 だが若い女性暗部員は顔を赤らめて、惚けてしまっている。


「そんなことはどうでもいいの!さあ、早く!続きを!」


 そして、漸く彼女が話し出した。


「ひゃ、ひゃい!マ、マーガレットの花には『真実の愛』という意味がありまして……それでてっきり殿方に愛を囁かれたのか……と?レ、レオニー様?」


 と、そこで彼女はレオニーの様子がおかしいことに気付いた。


「つ、つまり、それは……あのお方が、わ、私を愛しているということ!?」


 レオニーはワナワナ震えている。


「レオニー様!?大丈夫ですか!?」


「ああ、私……私!嬉し過ぎて!幸せ過ぎて!色々もう、ダメ……」


 そして、そんなセリフを最後にレオニーは、ゆっくりと後ろに倒れていった。


「レオニー様ーーー!」


 その日、レオニーは人生で初めて気絶した。


 それまで一度も他者に負けた事がなく、気絶など無縁だった最強無敵の女スパイの彼女が気絶したのだ。


 過労と睡眠不足、そして重過ぎる愛の所為で。

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