第33話「男爵令嬢 アネット⑤」
慌てて振り向くとそこには一人の令嬢がいた。
アタシはすぐにそれが誰だか分かった。
そいつはアタシが世界で一番嫌いな女だった。
セシル=スービーズ。
名門公爵家の一人娘で、ランスの白百合と呼ばれる美貌を持ち、社交界の頂点に君臨する女、そして……王子様の婚約者。
まさに全てを持っている女。
幸せな気分に浸っていたのに一瞬で醒めた。
最悪のタイミングだったわ。
よりによって何でこいつが!
一体アタシなんかに何の用だ?
「初めまして。私、スービーズ公爵家の娘、セシルと申します。貴方は?」
そんなこと知ってる!と叫びたくなるのを我慢しつつ、アタシも名乗る。
「はい、お初にお目にかかりますセシル様。私はメルシエ男爵家の娘、アネットと申します」
「そう、アネットと言うのね。ではアネット」
馴れ馴れしくアタシを呼ぶな小娘が!
「はい」
「先程、殿下に声を掛けられていたようですが」
うわー、嫉妬かな?これは陰険な嫌がらせが始まりそうね……。
「はい」
「あれではいけません。淑女として礼儀、作法がなっていません。日頃からもっと勉強しておきなさい」
と、思ったら何か違う感じ?
「は、はい。申し訳ありませんでした!」
取り敢えず下手に出ておこう。
「別に貴方を責めている訳ではないのですよ?私はむしろ貴方の為に言っているのです。ああいった部分を疎かにすると、この世界では厳しい目で見られますから」
「はい、心得ました」
「見たところ社交界での日が浅いようですが、これからこの世界で生きていかなければならないのですから精進なさいね?」
あ、あれ、なんかアドバイスくれた?
「はい」
「宜しい。では私はこれで」
「はい」
「あ、アネット。これも何かの縁です。何かあれば遠慮なく私に相談して下さいね。では、ご機嫌よう」
そう言い残すとセシルは優しく微笑み、殿下の元へ向かった。
「はい、ありがとうございます。セシル様」
そう言ってアタシは深々と頭を下げた。
必死で、感情を顔に出さないように取り繕いながら。
ああ、ムカつく。
他の高位貴族の娘達と違って本心から善意で言っているのが分かるのが余計に勘に触る。
アタシにはセシルの清く美しい心が眩し過ぎたんだ。
……ああ、そうか、だがらアタシはこいつが嫌いなんだ。
見てるとイライラするんだ。
最悪の気分だった。
そして、アタシの心はあっという間にドス黒いものに覆われていった。
王子様の言葉で頑張って生きてきたのに、人の為に汚れたのに、それなのにアタシはなんで、なんであの女とこうも違うの!?いっぱい色んなこと我慢して生きてきたのに!何でこんな惨めな思いしなきゃいけないの!?
そんなのおかしいでしょ!?
絶対おかしい!
特にあの女の存在。
アタシを不快にさせる存在。
そう、全部あの女が悪いのよ。
だからアタシは……あの女に復讐してやる。
地獄を味わせてやる!
こうしてアタシはセシルを地獄に落としてやりたくて、その為に一番大切なものを奪ってやることに決めた。
そう、王子様だ。
絶対に王子様をあの女から奪い取って絶望のどん底に突き落としてやるわ!
その為なら、王子様だって利用してやる!
そして、アタシは動き出した。
まあ、ここからはあんた達も知ってるわよね?
まずアタシは王子様の言葉を鵜呑みにした振りをして本当に会いに行ったの。
これはちょっと賭けだったけど、上手くいったわ。
そしたら快く迎え入れてくれて楽しくお話し出来た。
最後には、是非また来て欲しいと言われた。
こうなればもうアタシの勝ち。
今度は今まで培った手練手管を使って取り巻き達を籠絡した。
百戦錬磨のアタシに掛かれば高位貴族のボンボン達を虜にするなんて簡単だったわ。
ちょっと体の接触を増やして、甘い声で囁いて、胸元を少し目せればそれだけで後は……。
全く、バカな奴らだったわ。
でも、王子様にはそんなことしなかったわ。
正直なところ、アタシが本気で強引に迫れば間違いなく本懐を遂げられた。
でも、アタシにとって憧れの王子様は綺麗なままでいて欲しかったから、そんなこと出来なかったの。
それに王子様はチャンスがあっても他の男と違って直ぐに迫って来たりしなかったし。
そこは嬉しかったな。
やっぱりアタシの王子様は他の男共とは違うんだって思えて。
でも、一回我慢出来なくなってほっぺにキスだけしちゃった☆
た、多分、セーフ!
こうして王子様とその取り巻き達のグループに入り込んだアタシは、いよいよセシルを貶めていく。
最初はなんでもないような小さな話をでっち上げたり、セシルが親切で色々と教えようとしてくる場面を虐めだと誇張したりした。
少しづつ男達にあの女への不信感が増していく。
更にアタシは自らの立場を盤石にする為に、今度は第二王子フィリップ様に近づいた。
この人も落すのは簡単だった。
しかも、セシルの事が死ぬほど嫌いだと言ったら、なんと自分からセシルを貶める為の偽の証拠をくれた。
なんでも第一王子が死ぬほど嫌いで、セシルの事は昔から好きだから奪ってやりたいんだってさ。
ま、そんなことはどうでもいい話だけど。
とまあ、そんな感じで準備を進めて迎えたのが昨日の舞踏会。
いやぁ、あれは見ものだったわ。
あの女が大衆の眼前で貶められたのよ!
あの全てを持っている女が!
ランス社交界の頂点にいるあの女が!
大広間の真ん中で情け無く崩れ落ち、泣きながら王子様に追いすがる姿は最高だった!
最底辺にいたアタシが頂点にいたあの女に勝った瞬間だった!
アタシは勝ったの!
…………。
でも、そんな気持ちは長続きしなかった。
アタシ達があの女を断罪して舞踏会の会場を出た頃には気持ちが醒め始めてた。
そして倒れそうになるぐらい緊張しながら国王との直談判に臨む王子様を見送った。
因みに、その直後にアタシと取り巻き達は一緒に逮捕されたわ。
その時にはもう完全に気持ちは醒めてたわ。
ただ、虚しかった。
アタシは目的を達成したはずなのに。
アタシは牢に入れられて一人になって、そこで改めて考えたの。
自分がしたことを。
いや、考えるまでもなかったわね。
本当は自分がしてきたことが間違ってたのは……気付いてたから。
セシルが何も悪くない事は分かってた。
それどころか、一生懸命に頑張ってた。
王子様の横にいる為、王妃になる為に努力してた。
他の貴族達と違って公明正大、清廉潔白な心の持ち主で、アタシなんかにも本気で色々教えてくれようとしてた。
話しててアタシには直ぐ分かった。
この娘はアタシを見下してない、差別してないって。
でも、そんなセシルの姿が眩し過ぎてアタシは……。
なんて事をしたんだろうと思った。
もう遅いけど。
アタシの所為で皆不幸になっちゃった……。
王子様も、セシルも、取り巻き達も、孤児院の皆も、家の使用人達も、そしてアタシも。
ああ、なんて事をしたんだろう。
お母さんの願いを、幸せになって欲しいと言う願いをアタシは自分の意志で踏みにじっちゃった。
アタシ、これからどうしたらいいのかな。
……まあ、どうするもこうするもないけどね、間違いなく縛り首だし。
悪党の最期なんて、こんなものかな……。
とまあ、こんな感じで一晩過ごして今に至る訳。
一晩たって頭も冷えたわ。
アタシは自分の罪をきちんと償おうと思う。
だから、どんな罰でも受け入れるつもり。
あと、セシルにちゃんと謝ろ……ん?
あら、足音がするわね、尋問の時間かしら?
出来れば痛いのは嫌だなぁ。
特に腹パンとか。
じゃ、行ってくるわね。
ご機嫌よう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます