第30話「男爵令嬢 アネット②」
王子様の言葉でもう少し生きてみようと思ったアタシだったけど、この先に待ってたのは地獄だった。
正直、ここからは気持ちのいい話じゃないからあんまり話したくはないんだけど……。
お母さんが死んで、身寄りの無いアタシは孤児院に引き取られることになった。
それがエリザベート孤児院。
そこでの暮らしは酷いものだったわ。
薄暗くジメジメした汚い部屋での生活。
食事は一日二回、パン一個とお湯同然のスープだけ。
しかもパンは黒くて硬くスカスカ、混ぜ物だらけで酷い時には小石まで混ざっているような代物。
いつも皆お腹を空かせて水でお腹を膨らませていたし、施設は不衛生でノミやシラミが沢山いた。
尚悪いのが、職員の大半がロクでもない連中だったこと。
横暴で理不尽に暴力を振るったり、年長の女の子の孤児が何人も別室に連れて行かれる所を見た。
そんな環境だったから逃げ出す子も珍しくなかった。
まさに地獄。
普通はここでなんでそんなことになってるのに国は動かないのか?って思うでしょ?
答えは簡単、そんな余裕がないから。
正確にはお金がないから。
この時期アタシと同じような境遇の子供が山のようにいて施設はパンパンだったし、国からの予算も十分ではなかったからね。
簡単なことなのよ、社会全体が弱った時に真っ先に切り捨てられるのはアタシ達のような弱者ってこと。
まあ、国全体があんな状況で経済はガタガタ、税収が落ち込んでさらに疫病対策に予算を割かなければならない状況だったから仕方なかったのかもしれないけど……。
せめてもの救いは院長と何人かの職員はまともな人だったことかな。
特に院長の女性は自分のお給料まで孤児院の維持費に使うぐらい良い人だったから、それだけは救いだった。
でも、それだけ。
そんな良い人でも、予算の少なさが原因で食べ物と職員の質の問題はどうしようもなかった。
アタシはそんな中で、周りの子供達と身を寄せ合いながら必死に生きていた。
ただひたすら耐える日々だったわ。
でも、暫くして限界が来た。
何だか急に全部嫌になっちゃったの。
こんなに頑張って生きてきたのに何でこんな目にって。
それに、その時考えちゃったの。
アタシはいつまでバカな希望を持って生きてるんだろって。
いつも心のどこかで、いつかまた王子様に会って、声を掛けて欲しいと思ってた。
頭を撫でて欲しかった。
抱きしめて欲しかった。
キスを、そして……。
すべてはあり得ないバカな妄想。
でも、そんなバカげた妄想でも生きる為の希望になっていた。
こんな地獄でもやってこられたのは、そのお陰だ。
唯一の心の支えだった。
でも、それすらもどうでも良くなっちゃったの。
どうせアタシはもう王子様には会えないし、会っちゃいけない。
孤児なんかのアタシにそんな資格はない。
それからアタシは変わった。
それまでは、孤児院という酷い場所でもお母さんと王子様の言葉の通り生きる為に頑張ってた。
規則を守り、周り子達の面倒を見ながら必死で生きてきた。
でも、結果はこんな有様。
神様を呪った。
いや、そんなものはいないと分かった。
分からされた。
思い知らされた。
だからアタシは……絶望と悲しみの中で変わったの。
何かが壊れ、変わってしまったアタシはもう、なりふり構わないことにした。
アタシは翌日の夜には孤児院を抜け出して夜の街へ出かけた。
と言ってもいきなり体を売ったりした訳じゃないわよ?
何も分からなかったし、凄く怖かったし。
最初は運良く見つかった酒場の皿洗いや雑用の仕事を始めたの。
お給金は安かったし大変だったけど、賄いや余り物を分けてくれたりして、ありがたい職場だったわ。
そして仕事を始めて一月後にアタシは貯めたお金で食べ物を買えるだけ買って帰った。
ああ、これは余談なんだけど、この時買った白パンの味は今でも忘れないわ。
混ぜ物無しの真っ白な外観、香ばしい小麦の香り、豊潤で濃厚なバターの風味、モチモチの食感……。
あれは人生で一番美味しかったわ。
ああ、死ぬ前にもう一度食べたかった!
ここで出されるのは孤児院時代を思い出す石みたいな黒パンだし。
おっと、これは失礼。
アタシは買い込んだ食べ物を持ち帰って孤児院の皆とこっそり分け合って食べたわ。
みんなで涙を流しながら食べた。
アタシに感謝して皆がお礼を言ってくれた。
人に感謝して貰うのは久しぶりで、凄く嬉しかったわ。
それに初めて見た仲間の子達の心からの笑顔。
それを見てもっと頑張らなきゃって思ったの。
こんなアタシでも、まだ出来る事があるんだって。
でも、今思えばこれが良くなかったのかもしれない。
ここからアタシは更に変わっていく。
仲間の為という理由ができた事で、アタシの行動はどんどんエスカレートする事になったの。
仲間の為だからと言って仕事の時間を増やした。
もっと食べ物が買えるようになってみんな更に喜んでくれた。
暫くして、アタシは酒場の接客もするようになった。
最初は酔っ払った下品な男達の相手なんか嫌だったけど、お金の為に頑張った。
単純に雑用よりも給金が良いだけでなく、客からチップが貰えるの。
最初は全然うまく稼げなかったけど、先輩に少しで良いから客の前で笑ってみろ、と言われてそうしたら驚いた。
それまでほとんど貰えなかったチップを簡単に貰えたのだ。
そして、その日だけでこれまでの雑用での稼ぎ一週間分を一日で稼ぎ出した。
アタシは気づいた。
お母さん譲りのこの顔と作り笑顔、それに猫撫で声があれば、沢山稼げることに。
仕事を終えて、アタシはいつも以上に食べ物を買って帰り、またみんなを喜ばせた。
アタシは思った。
お金があればみんな笑顔になれる。
もっともっと、頑張らなきゃって。
だから、更にアタシは変わっていった。
接客は手慣れていき、色んな手練手管を覚えた。
どうすれば男達がお金を落とすのかがわかってきたの。
作り笑顔は更に上手く、服は露出が多くて煽情的なものになった。
酔っ払いに少しぐらい身体を触られても気にしなくなって、むしろ自分から触らせるような事までして上手くお金を稼いだ。
いつしかそんな事に慣れてしまった自分がいた。
仲間達の為に仕方ないと自分に言い訳しながら。
暫くそんな状態が続いて、アタシは気が付けば酒場で一番稼げる女になってた。
収入も良い額で安定してきて、そろそろ孤児院を出て外で暮らそうか、などと考えていた頃だったわ。
その日、アタシはたまたま仕事が長引いて帰りが遅くなったの。
因みにその頃には孤児院にお金を入れていたから誰もアタシに文句は言えないから時間は大丈夫。
で、ついでに昼食でも買って帰ろうかと路地から通りに出たところで、人だかりに遭遇した。
何となく気になったアタシは近くにいた人にこれは何かと訪ねてみたの。
すると帰ってきた答えはなんと、この国の第一王子マクシミリア様の婚約発表と国民へのお披露目があるというの。
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