第29話「男爵令嬢 アネット①」
あん?ああ、アンタ達、いらっしゃい。
え?アタシ?アタシはアネット=メルシエ。
メルシエ男爵家の令嬢で、17歳。
割とナイスバディ。
あと、囚われの身。
そうやって言うと拐われたお姫様みたいに聞こえるけど残念ながら、悪事がバレて逮捕されただけなのよ。
我ながら馬鹿な事をしたものね、こうなる事は分かってたのに。
そう、アタシはもうお終い。
多分、縛り首。
アタシには助けに来てくれる王子様もいなければ、助けて貰う資格もないし……。
でも、まあ、良い夢見れたからいっかな。
あ、そうだ!ちょうど暇だったから、ちょっと昔話に付き合いなさいよ。
えーと、何処から話そうかな……じゃあ、初めから。
まず、アタシはメルシエ男爵家の子供ではあるんだけど、庶子なの。
女好きのメルシエ男爵に手を付けられた美しいメイドの子供。
お母さんはアタシを身籠もった後、お屋敷を辞めて街で暮らし始めたの。
この時、ある程度のお金は貰っていたらしいから、母子二人の暮らしとしては、そこそこだったと思う。
この頃の私は本当に幸せだった。
お父さんはいなかったけど、お母さんはアタシを愛してくれたし、街の人達も優しかったし、友達だっていた。
毎日が楽しくて、幸せで、裕福ではないけど笑顔があって。
アタシにとってはかけがえの無い日々。
当時のアタシは無邪気にそれがずっと続くものだと思ってた。
でも、そうはならなかった。
幸せな日常はあっさりと崩れ去った、余りも呆気なく。
そう、8年前の疫病。
アタシはこの疫病で全てを奪われた。
まず大好きな街の人達が段々減っていった。
近所のおじさんやおばさん、遊び友達の子達が次々と疫病に罹って臨時の収容施設である近所のエリアーヌ修道院に運ばれていったわ。
そして、その殆どが二度と戻らなかった。
大切な人達を見送ることすら出来なかった。
アタシは毎日を怯えと悲しみの中で過ごした。
次は自分の番なのでは無いか、と。
でも違った。
次は……お母さんの番だった。
ショックだった。
子供ながらに何の根拠もなく心の何処かで自分とお母さんは大丈夫だと思っていたから。
お母さんもエリアーヌ修道院に運ばれた。
本当は隔離させてる訳だから会えないんだけど、どうしてもお母さんに会いたくて修道院の治療の手伝いとして上手く潜り込んだわ。
そして手伝いの合間にこっそりとお母さんに会いにいったの。
本当はダメなんだけど街の知り合いもいたし頑張って働いてたから修道院の人もお目こぼしをしてくれたみたい。
お母さんは粗末なベッドに力無く横たわってた。
数日ぶりに会うお母さんは驚くほど弱ってて、その顔は青白く、目にも力が無かった。
そして、アタシが会いに行った時、お母さんは手首から足元の桶に血を滴らせてた。
これは悪い血を抜く為に、わざと身体を傷つけて血を流しているところだった。
その姿にアタシは涙が止まらなかった。
今思えば、何が何でも此処でこれをやめさせるべきだった。
そうすれば助かる可能性もあったかもしれないのに……。
後から知ったのだけど、このエリアーヌ修道院は特に保守的で国からの瀉血禁止の命令聞かずに続けていたの。
皮肉なのはこのエリアーヌ修道院は決して私利私欲の為に瀉血を続けていた訳では無いということ。
神の教えに忠実で、真摯に人を救いたいという思いがあるからこそ、昔からの方法に信頼を置いてそれを善意で続けていたの。
現実って、残酷よね。
善意が人を殺すなんて。
それからお母さんは数日後に死んでしまった。
最後の言葉は、
「アネット、ごめん、ね……あなたは生きて……幸せになってね……」
だった。
アタシはお母さんの亡骸にしがみついて、ひたすら泣くことしかできなかった。
もう、そのまま死んでしまいたかった。
お母さんも、街の皆んなも天国に行ってしまってアタシは独りぼっち、それならアタシも一緒に……。
そう思ったアタシは、瀉血の為にそばに置いてあった剃刀に手を伸ばし、震える手で自分の首に押し当てた。
「皆んな、今行くからね……」
アタシはそう呟くと剃刀にゆっくりと力を入れた。
皮膚が切れる痛みに続いて血が滴る感触が伝わってきた。
怖くて中々、力が入らなかったけど覚悟を決めて一気にやろうと思ったその時だった。
「ダメだ!」
鋭い叫びと共に誰かに剃刀を持った手を掴まれた。
反射的に声の主を見上げるとそこには……王子様がいた。
金色の美しい髪、吸い込まれそうな碧い瞳、整った顔立ち、まさにお伽話の中の王子様そのものだった。
だから、アタシが勝手に王子様だと思い込んでただけだったんだけど、まさか本当に王子様だったとはね。
そんな王子様がアタシの手を掴み、真剣な顔でこっちを見てた。
アタシは非現実的な光景に一瞬固まってしまったけど、我を取り戻して抵抗した。
「離してください!アタシはもう独りぼっち、お母さんや皆んなのところへ行きたいの!」
でも、そう言うアタシの願いを王子様は許してくれなかった。
「早まってはダメだ、君はまだ生きているんだ」
「嫌!離して!」
王子様は抵抗するアタシから髪剃りを強引に取り上げてしまった。
自分の手が傷つくことも厭わずに。
「あ、ああ……」
そして、アタシはお母さんのところへ行けなくなった。
そう思った瞬間、力が抜けて、ヘナヘナと座り込んでしまった。
正直、もう何も考えられなかった。
王子様はそんなアタシの手を取って、真っ直ぐこっちを見てこう言ったの。
「生きてるってことは、生きなきゃダメなんだ。お母さんや他の人達の分まで……」
「……」
アタシは何も答えることが出来なかった。
「それはとても辛いことだ、でもお母さんのことを思うなら生きなきゃダメなんだ」
王子様の碧い瞳が真っ直ぐアタシを見ていた。
「…………あっ!」
アタシはその時お母さんの最後の言葉を思い出した。
生きて幸せになって欲しい、と言う言葉を。
アタシはなんて事をしようとしたのだろう。
お母さんの最後の願いを、想いを、アタシの意志で踏みにじるところだった。
ああ、アタシはなんてバカなんだ、そう思った。
そして死ななくても良いと言う安堵からアタシはまた泣き出してしまった。
しかも何を思ったか、この時目の前の王子様に縋り付いてしまった。
我ながら何て事をしたのだろうかと思ってしまう。
でも、王子様の反応は優しかった。
普通ならこんな薄汚れた下町の子供に抱き着かれたら、乱暴に振り払うだろう。
しかし、付き添いの家臣がアタシを引き剥がしにこようとしたのを手で制したの。
そして、アタシなんかをそのまま優しく抱きしめてくれた。
「ありがとう、生きていてくれて。間に合ってよかった」
その言葉を聞いてもアタシはどうしていいかわからなくて、また泣いてしまった。
もう、訳がわからなくなっちゃったの。
安心、悲しみ、絶望、なんかが入り混じってぐちゃぐちゃ。
そんなアタシに王子様が今度は頭を優しく撫でながら言ったわ。
「君の気持ちは分かるよ、私も同じだから。私も……母上を亡くしたばかりだから……」
「え?貴方も?」
「ああ」
王子様は寂しげに笑った。
「だったらなんで貴方はこんなところにいるの?悲しくないの?辛くないの?」
アタシは愚かにも思い付いた疑問をそのまま口に出してしまった。
相手の気持ちも考えずに……。
「勿論、辛くて悲しいけど、だからこそ同じ思いをする人を減らしたいんだ。だから、此処にいる。だから……君を助けることが出来たんだよ」
でも、王子様はそんな問いに嫌な顔一つせずに素直に答えてくれた。
「いや、違うな。君だけしか救えなかった。君のお母さんや街の人達を一人でも多く救いたかったんだ……だが……ダメだった。間に合わなかった。本当に済まない」
そこで、王子様の手に力がこもるのがわかった。
そして、その美しい目には薄らと涙が浮かんでいた。
アタシは黙って話を聞くしかなかった。
まだ、王子様の独白は続いた。
「私に力が無かった所為だ……もっと早く行動出来れば君のお母さんや街の人達が助かったかもしれないのに」
当時のアタシにはよく分からなかったけど、取り敢えず王子様が一生懸命にアタシ達のことを考えてくれたことは分かった。
アタシはそれが嬉しかった。
「本当にすまない。私が無力で……無能なばっかりに……」
そして最後に王子様はそう言ってアタシに謝り、独白は終わった。
何か言わなきゃいけないと思ったけど言えたのは、
「王子様、ありがとうございました。アタシも……皆んなもきっと感謝しています。だから王子様も頑張って下さい!」
こんなくだらない台詞。
全く、頭の悪い子供だったわ。
「ありがとう」
王子様は優しく微笑み、一言そう言うと帰って行った。
こうしてアタシはもう少しだけ生きてみようと思ったの。
因みに、よく分からなかった事は後から大人達に聞いてみたの。
そしたら、あの王子様に纏わる噂を教えてくれて、アタシは全部分かったの。
あの王子様は悪くなくて、むしろ一人でも多くの人達を救う為に戦っていた英雄なんだって知った。
どうにもならない疫病を何とかしようと、一人で過酷な戦いをしていたんだと。
アタシはそんな王子様に憧れた。
あと、恋もした。
でも自分では気付かない振りをしたけど。
余りにも身分が違いすぎるし、叶わない恋なんて考えたら辛いから……。
これがアタシと王子様との出会いよ。
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