第27話「地下牢にて⑥」
「一体、私が貴方に何をしたというの?」
半分は怒り、半分は純粋な疑問という感じでセシル姉様が問い質しました。
ああ、始まってしまいました。
「何が?そんなのアンタの全てが気に入らないのよ!」
アネットは椅子を跳ね飛ばしながら立ち上がり激昂しました。
いや、それでは回答になっていませんわ……。
「何を訳の分からない事を。言い掛かりの逆恨みなら他所でやって頂けませんこと?」
キレ気味の姉様。
「うるさい!アンタは……アンタはアタシの希望を……私の王子様を奪ったんだから!」
「だから何度も訳の分からない事を言わないで下さい。リアン様は私と正式に婚約したのです。そもそも貴方なんかと会った事があるはずが……」
呆れ気味に姉様が続けようとした時でした。
「また馬鹿にして……平民を見下して!あるのよ!マクシミリアン様とアタシは会った事があるのよ!」
これは一体?
「へー、では教えて頂きましょうか。それはいつですか?」
姉様、なんか雰囲気が小者みたいになってますわ……。
「八年前、エリアーヌ修道院よ」
八年前と言うと……あの年ですわね。
それを聞いただけで胸が締め付けられます。
この女には何があったのでしょうか?
「八年前のあの日、アタシはエリアーヌ修道院にいた。お母さんが疫病に罹ってて、そこが臨時の収容場所だったから……。アタシはお母さんと二人で暮らしてた。暮らしは楽ではなかったけど、お母さんや近所の人達がみんな優しかったから苦では無かった。でも……あの疫病が全てを変えてしまった」
やはり、この女もあの疫病の被害者だったのですわね。
「…………」
セシル姉様は黙って聞いています。
「お母さんも近所のおじさんもおばさんも友達の子供達もみんな、みんな病気になって死んでしまった。アンタ達貴族の所為でね!」
ああ、なるほど、そう言う事ですか。
私には、いえ私達には思い当たる節がありました。
「アンタ達貴族がさっさと王子様の言うこと聞いてもっと早く瀉血(しゃけつ)をやめさせていたら……みんな助かったかもしれないのに!」
いつの間にかアネットは涙を浮かべながら思いをぶちまけていました。
やはり、そうでしたか。
これは話すと長くなるのですが、八年前の疫病が流行した当時、私達には有効な治療法も(残念ながら今でも直接的な治療法はありません)、衛生面に関する概念もありませんでした。
当時、疫病は広がる一方でその勢いは衰えることはありませんでした。
私達はなす術なくこの厄災が過ぎるのを待つしか無かったのです。
そして、当時有効な治療法だと信じられていた一つが瀉血(しゃけつ)でした。
これは病に罹った者から悪い血を出して治そうとするやり方で、身体の一部を切って人為的に血を出す、と言う方法でした。
今だから言えますが、これが原因で大勢が……本来死ぬ必要がなかった大勢が亡くなったのです。
そんなの当たり前ですよね?
だって悪い血を出すと言っても、それだけを出す事などできませんし、ましてや身体の弱った病人から血を抜くなんて事をしたら……。
恐ろしい事ですが、これが普通に治療と称して街の至る所で行われていたのです。
ですが、皆これを信じていたのです。
権威ある医者や貴族から平民まで。
更に、これと併せて街には様々な不衛生な状況が蔓延っていました。
誰も、有効な手段を考える事はできませんでした。
ただ一人を除いて。
そう、リアンお義兄様です。
お義兄さまは、若干10歳にして二つの事を提案されました。
一つ目は瀉血の即時中止。
二つ目は公衆衛生を始めとする衛生面についての改善。
何処から導き出されたお考えなのかは分かりませんが、これらがランス王国を救ったのです。
ですが、始めは誰もお義兄様のお考えに耳を貸そうとはしませんでした。
しかし、それは当然と言えば当然でした。
何故なら、二つの考えは実験等による裏付けはなく、更にお義兄様は当時まだ10歳でしたから。
幾ら神童と呼ばれ、一目置かれている王子でも、大人達は耳を貸そうとはしませんでした。
特に、既存の考え方に固執した宮廷医師達と保守派の貴族達が猛反対しました。
愚かにも万が一お義兄様のやり方で結果が出てしまった場合、自らの権威が傷つく事を恐れたのです。
その為、これらが実行されるのが大幅に遅れ犠牲者が増えてしまったのです。
アネットはこの事を言っているのでしょう。
街でもこの件は噂になっていたはずですから。
貴族と医者達が聡明な皇太子マクシミリアン殿下を邪魔した所為で国民は大勢死んだと。
余談ですが、お義兄様は何とか国民を救う為に、結果が出なければ王位継承権を放棄すると宣言して実験を強行し何度も結果を出しました。
しかし、それでもそれらを受け入れられない医師や保守貴族達は抵抗しました。
ですが、最後は皮肉なもので医師団長自らが病に罹った時、なんと自らの命惜しさに瀉血を拒否したのです。
これを見た反対勢力の一派は態度を一変させ、ようやくランス全体に瀉血の即時中止の命令と、公衆衛生に関する命令を発する事ができたのです。
勿論、これらは根本的な治療法ではありませんし、全てが即座に改善された訳ではありません。
ですが、疫病から回復する率や、病気全般の発生率の低下など、この八年で確実に成果は出ています。
しかし、リアンお義兄様は世の中が良い方向に向かい出しても苦悩され、自分自身を責め続けていました。
もっと多くの人を救えたはずなのに自分に力が無かった所為で大勢死なせてしまったと。
大勢を悲しませてしまったと。
自分はなんと無力で、無能なのだと。
その姿を今でも私とセシル姉様は忘れることはありません。
閑話休題。
「……迅速な対応が出来なかった事は貴族の一員として謝罪する事は吝かではありませんが、それとリアン様とは何の関係があるのですか?」
あくまで冷静に話を姉様は進めます。
今の所は。
「うるさいわね、最後まで聞きなさいよ。そんなことだから王子様に振られるのよ」
「あーん?」
一瞬にして沸騰しました。
ティ○ァール並です。
それを無視してアネットは続けます。
「アタシのお母さんはエリアーヌ修道院で死んだの。アタシは母の亡骸に縋り付いてひたすらに泣くことしか出来なかった。冷たくなったお母さんの手を握ってただひたすらに。そんな時だった、不意に声を掛けられたの」
「それが……」
「そう、王子様よ」
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