第16話「隣のカーテンの中で 王女マリー=テレーズ ⑤」

 そう、それこそがお義兄様の人生を……、いえ、全てを変えてしまった事件です。


 あれは今から6年前の話です。


 猛威を振るった疫病は収束しつつあった時期でした(これは余談ですが、事態の改善になんとリアンお義兄様が貢献されたのです!)。


 そして度重なる悲劇をなんとか乗り越え、国も王宮も何とか落ち着きを取り戻した頃でした。


 その日、私はセシルお姉様と、久しぶりに時間ができたリアンお義兄様に遊んで貰っていました。


 王宮の庭園で、美しく咲き誇った花を眺めたり、花冠を作ってお義兄様にプレゼントしたり、テラスでお茶をしたりと、久しぶりの穏やかで幸せな時間でした。


 あの瞬間までは。


 三人で庭園を回っていた時、私は百合の花を見つけました。


「うわぁ、セシルお姉様のお花がありますわ!」


 私はそんなことを言いながら無邪気に喜びました。


 その花は古い何かよく分からない石像の下に生えていました。


 既に当時からセシルお姉様が「ランスの白百合」と呼ばれ始めている事を知っていた私はなんだか嬉しくなってしまい、セシルお姉様の手を引いて花を間近で見ようと一緒に近づいてしゃがみ込みました。


 そう、その時です。


 なんの前触れもなく、唐突に石像が倒れてきたのです。


 初め私もセシルお姉様もそれに気付けませんでした。


 先に気づいたセシルお姉様は私を連れて避けることが難しいと判断し、私を守ろうと覆い被さる様に抱きしめました。


 私は咄嗟に固く目を閉じました。


 身構える様にお姉様の身体に力がこもるのが伝わってきたのを覚えています。


 しかし、私もお姉様も石像の下敷きになることはありませんでした。


 石像に潰される前に私達はリアンお義兄様によって突き飛ばされたのです。


 石同士がぶつかり、崩れる鈍い音が後ろから聞こえました。


 ゆっくりと目を開け、石像のあった方を見るとそこには瓦礫の下敷きになり、血を流したお義兄様が倒れていました。


 一瞬、目の前の光景が理解できませんでした。


 いや、理解したくなかったのかもしれません。


 私もお姉様も動揺し過ぎて叫び声すらあげませんでした。


 我に帰った私とセシルお姉様は倒れ伏すお義兄様に駆け寄り、人を呼びました。


 でもこの時、何故か初めに駆けつけたのは第二王子のフィリップ義兄上でした。


 しかも、力なく倒れているリアンお義兄様には見向きもせず、私達の心配をしていました。


 怪我はなかったか、その美しい顔に傷は付かなかったか、と。


 しかし、この時は気が動転していてそんなことを気にしている暇はありませんでしたが。


 リアンお義兄様は駆けつけた者達によって急いで助け出され、運ばれていきました。


 私は呆然とお義兄様が運ばれていく様を眺めるしかできませんでした。


 胸がはりさけそうでした。


 また、大切な人を失ってしまうかもしれないと思うと、気が狂いそうでした。


 それも、自分の所為で。


 そう私の所為。


 私が……私が余計なことをしなければ!


 私が余計なことに気づかなければ。


 私が……いなければ……。


 私が、私が……。


 こんな事になるのならば、あの時、ブルゴーニュ公爵邸で助け出さられなくても良かった……。


 こんなことなら……お義兄様の命が危機に晒されるぐらいなら、お父様とお母様と一緒に死んでしまいたかった……。


 リアンお義兄様は重症で、意識もありませんでした。


 私は神様に祈りました。


 お義兄様を助けて欲しいと。


 その為なら、私はどうなってもいいから。


 どんなことだってするから。


 どんなことだって耐えるから。


 だから、お願い……お義兄様を助けて、お義兄様を返して……。


 これ以上大切な人を……私の好きな人を奪わないで……。


 私はそれから3日後にお兄様が意識を取り戻すまで、礼拝堂で祈り続けました。


 使用人が私を呼びに来た時は、内容を聞くまで生きた心地がしませんでした。


 私はお義兄様が意識を取り戻したと聞いて、なりふり構わず寝室まで走ってきたところで、大人たちの様子がおかしい事に気がつきました。


 なぜだか皆、複雑そうな顔をしていました。


 重大な後遺症でも残ってしまったのでしょうか。


 私は再び不安に苛まれながら部屋に入るとベッドで寝た状態のお義兄様に医師が何か話しているところでした。


 頭に包帯を巻いた痛々しい姿ではありましたが無事に意識を取り戻したことに涙が出てきてしまいました。


 我慢できず私は人目も憚らずに駆け寄り、手を取りました。


「お義兄様!良かった!……生きていてくださって本当に良かった!」


 私は涙で顔をクシャクシャにしながら必死に話し掛けました。


 しかし、帰ってきた反応は予想だにしないものでした。


 お兄様は虚ろな目で私を見ながら消え入る様な声で言いました。


「……君は……誰?」


「!?」


 なんとお義兄様は、事故のショックで記憶を失ってしまったのです。


 その後のことよく覚えていませんが、暫く立ち尽くした後、誰かに肩を抱かれながら部屋まで帰った様な気がします。


 リアンお義兄様はこの事件を境に変わってしまいました。


 まるで、魂の多くを抜き取られた残骸のように。


 記憶は日常生活に必要な最低限の知識ぐらいしかなく、私のことはおろか、セシルお姉様やシャルル叔父様のことも忘れてしまいました。


 更に、今まで蓄えてきた知識や礼儀作法なども殆ど忘れてしまい、王子としての生活に支障をきたす様になってしまいました。


 そして、なお悪い事に人格的にも変わってしまいました。


 以前は誠実で勤勉で優しい素晴らしい方でしたが、今では短気で自尊心が強く、飽きっぽい感じになり、集中力も続かない為、学問などはまるで駄目でした。


 これに拍車を掛けたのが周りの人間の反応でした。


 あんな事故に巻き込まれ、可哀想、仕方がない、しかも今までの功績もある、という事で、多少の素行の悪さも大目に見られてしまい、お諌めする人間は殆ど居なくなってしまったのです。


 はっきり言って、残念な感じなってしまいました……。


 しかも、以前の聡明なイメージがあるので余計に悪く見えてしまいます。


 あ、でも少しずつコミュニケーションを取っていたら、私はまた可愛がってもらえるようになりました!


 まあ、兎に角、こんな状態になってしまったのです。


 しかし!私はお義兄様が大好きな事には変わりはありませんし、何より原因を作ってしまった責任が私にはあります……。


 私はこの時、あらためて一生涯、義兄様を守って行くと誓いました。


 お義兄様の幸せの為ならばどんなことも躊躇わないと。


 例えこの身がどうなろうとも。


 それからは細々とした事は色々ありましたが、取り立てて語るほどのことは暫くありませんでした。


 あ、私のことは更に可愛がって下さるようになり、基本的に私がお願いすれば何でも言うこと聞いてくれるようになりました!


 意外とパーになってしまったお義兄様も悪くないかもです……なんて。


 逆に、お義兄様の為を思って度々お諌めしていたセシルお姉様は、疎まれるようになってかなり距離が出来てしまいました。


 これは見ていて悲しい事でした。


 好きな人のために何かを言えば、その分、心の距離が開いていくのですから。


 さて、そんな状態でしたが私は、これまで以上にあらゆる面で力をつけられるよう努力を惜しみませんでした。


 その結果、今では、表では無邪気にリアンお義兄様に甘える可愛い義妹、裏では常にお義兄様を監視……もとい見守って、ありとあらゆる手段を使ってフォローする管理者という状態です。


 こんな感じで割と物事が上手く回るようになり、ゆくゆくは私がセシルお姉様が結婚された後に、第二夫人になれれば嬉しいなぁ、そんな幸せもありかな、なんて思うようになりました。


 それがいけなかったのでしょうか。


 正直油断していました。


 あっという間に問題発生です。


 それも二つ。


 まず一つ目は、ご存知の通り今回の婚約破棄騒動。


 抜かりました。


 言い訳になりますが、あの女とその背後の関係を警戒はしていました。


 しかし、思いのほか今回のストリア滞在が伸びてしまい、素早く有効な手を打てなかったのです。


 流石に、ランスに帰国した当日になんとかしろいうのは酷ではないでしょうか。


 帰国し息つく暇もなく舞踏会に駆り出され、あの茶番を見せつけれたのです。


 あの女、許すまじ、です!


 その結果、私は今カーテンの中に隠れている訳です。


 二つ目、コモナ公国からの婚姻の打診。


 これは皆様もご存知だと思います。


 ランスの財政状態があまり良くないので、泣く泣く私が莫大な結納金と引き換えに嫁ぐのだと。


 まあ不正解ではないのですが、実はこれだけの理由ではありません。


 正直、これだけの理由なら間違い無くお断りしました。


 いくらランスの財政が良くないといってもコモナの持参金程度をあてにしなければならないほど落ちぶれてはおりませんし、どうしてもお金が必要なら私がストリアに頭を下げに行きます。


 実は、これには戦略的思考に基づく理由があります。


 結論から言うと、将来リアンお義兄様が国王としてランスを治められた時に、大きな貢献ができるのです。


 具体的には私が嫁ぎ、コモナ公国内で力をつけ、将来的に無血でコモナ公国をランス王国に吸収させる、これが目的です。


 そうすれば、ランスは恒久的な財源を確保できます。


 それは、一時的な持参金など比較にならないほどの利益です。


 これでお義兄様の治世は財政的に安泰でしょう。


 つまり数十年から百年ぐらいのスパンで考えた計画なのです。


 それだけの利益が私の身一つで得られるならば安いものです。


 お義兄様の為、お義兄様が治めるこの国の為ならば。


 いわゆる、私の身体は自由にできても心までは奪えない!ってやつです。


 まあ、こう言うセリフは鎧姿のセシルお姉様に言わせた方が映えるとは思いますが。


 兎に角、コモナ公王は私を持参金程度の端金はしたがねで買えた気になっているかもしれませんが、残念、私はそんな安い女ではありませんことよ?


 お代はコモナ公国一国を譲って頂くことで払ってもらいます。


 そして、私がコモナという獲物を携えて帰国した暁には、お義兄様の第二夫人か、叶わなければ愛妾でも構わないので側に置いて貰うつもりです。


 これが、どんなことでもすると誓った私がお義兄様の為にできる最後の奉公なのです。


 ……おや?足音がしますわね。


 どうやら漸くお義父様達がいらしたようね。


 ⑥へ続く。

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