8月31日

佐薙概念

8月31日

「打ちあがる花火よりも君が綺麗だ」なんてありきたりなセリフ、僕には言えなかった。実を言うと、あまりにも柚葉ゆずはの横顔に見惚れていたせいで、花火なんてろくに見ていなかった。

 それでも、最後に上がった花火だけは、柚葉に負けず劣らず、僕も美しいと思えた。その花火を僕がパンジーと表現すると、得意げな顔をして「マリーゴールドでしょっ」と反論してくる。柚葉はそういうやつだった。


 夏祭りのメインイベントである花火が終わると、いよいよ本格的に夏が終わったと実感する。屋台も徐々に撤退し始めていて、あんなに大勢いた観衆は目に見えて減っていた。僕と柚葉は、祭りの残り香を求めるかのごとく歩いて回った。一歩踏み出すたびに、柚葉の綺麗な髪が軽やかに跳ね、薄いピンクの浴衣がカサカサと音を立てた。甘い匂いがした。


 ちょうど千本引きの屋台の前を通った時、店員のお姉さんが僕らに声をかけてきた。

「お兄さんたち、これ、いりません?」

 差し出されたてのひらには、市販の花火セットがあった。

「これ、余っちゃって。花火は保存も出来ひんから」

 僕と柚葉は顔を見合わせてしばらく考えるふうを装った後、愛想よくそれを受け取った。

「ありがとうございます」

「良ければ、ライターも」

 ライターを手渡すとき、店員さんはやけに僕らのに注目していた。微妙に空いたその空間を、無遠慮に、まじまじと眺めてきた。

 そして、去り際に満面の笑みでこうとまで言ってのけた。

「頑張ってな」

 どんな顔をすればいいのか、分からなかった。



 人は少なくなってきたものの、帰り道を目指す人の群れにちょうど巻き込まれてしまい、人混みに揉まれていた。もちろんそれは方便なのだけれど、僕は一つ、提案をすることにした。

「柚葉、はぐれるといけないからさ」

「ん?」

 りんご飴を、小さい舌でちまちま舐めながらこちらを向く。

「手、繋がない?」

 その時の柚葉の顔は、一見驚いていたようにも見えたし、待ち望んでいたかのような笑みだった気もする。もしかしたら、後者は僕の願望でもあったのかもしれない。

「うん、いいよ」

 久しぶりに繋ぐ柚葉の手は、とても柔らかかった。手は男である僕の方が大きいのに、自分の方が包み込まれているみたいな、そんな手だった。小学生の頃はなんでもなかった手繋ぎが、大ごとに感じられた。

 そして案の定、僕らは一言も喋らなかった。互いにどんな表情をしていたのか、知ることはできなかった。


 特に打ち合わせをするでもなく、二人の足は近くの神社に向いていた。数分かけて歩き、街灯が一つしかない、薄暗い神社に到着した。

 境内に腰かけると、様々な想い出が蘇ってくる。



 僕と柚葉は幼稚園からの幼馴染で、同級生の中でも家が一番近かった。小学生の頃はこうして、二人で夏休みを過ごすと言うのが当たり前で、よくこの神社にも来ていた。

 中学に入ると、途端に僕らは会わなくなった。最初のうちは二人で通学していたが、次第に同級生の冷やかしにあうようになり、関係を規定できない僕らは無視することしかできなかった。

 そして高校は、互いに違う学校に通っている。僕よりずっと頭のいい柚葉は、難なく県内一番の進学校に進学した。僕は良くて中の上といったところだ。

 不思議なことに、高校に入ると徐々に二人で会うことが増えた。周りも大人になったからか、僕と僕の幼馴染を馬鹿にするような輩はめっきり減り、代わりに、美人の幼馴染を紹介してくれ、という輩がたくさん寄ってきた。もちろんすべて断った。友人曰く、柚葉は他校でもそれなりに有名らしい。

 それでも、僕たちはこの関係に、名前をつけなかった。

 友達でも、恋人でもない。強いて言うなら幼馴染。それ以上の何かになろうという意志は、僕達にはなかった。


 柚葉が花火セットを開けようとして、ビニールがぐしゃぐしゃ音を立てた。そこから小さめのろうそくを取り出し、ライターで火を点け、石の上に立たせた。

「手持ち花火、する?」

 と僕は訊いた。

「その気分ではないかな」

 と柚葉は首を横に振った。

 訊いてはみたものの、僕も今は激しい炎を見たい気分ではなかった。


 代わりに、六本だけ入っていた線香花火を取り出した。三本を柚葉に渡し、二人同時に火をつけた。

 ぱちぱちという控えめな音が、僕と柚葉の間で溶けていった。互いに、何も言わず、その風景を眺めた。

 十五秒ほど経って、僕の方が先に落ちた。それを見た柚葉が、「一戦目は私の勝ちだね」なんて言ってはにかんだ。勝負だったなんて聞いていなかった。

 二戦目は危なげなく僕が勝ち、いよいよ最終戦となった。

 三本目の線香花火に火を灯している時、これが高校生としては最後の夏だということに気が付いた。夏は来年もやってくるのに、なんだか寂しい気持ちになった。

 そして勝負が、始まった。


「なあ、柚葉」

「ん? なあに?」

「卒業したら、東京の大学行くんだろ?」

「その予定だね。かけるは?」

「一応、地元の大学行こうかなって」

「そっか。離れちゃうのか」

 どういう意味を込めて、その言葉を言ったのかは、分からなかった。

「じゃあさ、僕がこの勝負に勝ったらさ」

「うん」

「一つ訊きたいことがあるんだけど――」

 そう言いかけた瞬間に、僕の花火が落ちた。


「あ、落ちちゃったよ」

「残念だな。でも、仕方ない」

「そっか。ちょっと気になるけど、仕方なっしーだね」

「なにそれ。仕方なっしー?」

「梨の妖精だよ。仕方ない時にやってくるの」

「はいはい。帰ろうか」

 そう言って立ち上がった。柚葉はどこか不満げだった。


「翔、私から一つ訊いてもいいかな。勝負に勝ったってことで」

「まあ、いいけど」

 柚葉はまた考える風を装って、言葉を絞り出した。


「私たちの関係ってさ。何ていうんだろうね」


 ほんの一瞬、言葉に詰まった。柚葉がその話題に踏み込んでくるとは、全く思わなかった。

「さあ。幼馴染、とかじゃないの? 普通に」

「そうかな。でも私は――」

 言いかけて、柚葉は結局何も言わなかった。その時の唇の形が「こ」になっていたと思うのは、僕の思い上がりだろうか。

「帰ろっか」

 二人とも立ち上がった。

「花火持つよ」

「ありがと。手、繋ぐ?」

 いたずらっ子のような顔をして僕に問いかける。昔から、僕をからかう時の柚葉の顔だった。

「なんでだよ。もう人混みじゃないだろ」

「そっか。そうだよね」

 そう言った柚葉の顔色は、暗くて分からなかった。ただ、笑った声の奥に寂しさが滲んでいるような気がした。


 近くのバス停まで一緒に歩いた。僕は自転車、柚葉はバスだったので、ここでお別れになる。

 バスを待つ間、他愛ない話をした。「夏休み終わっちゃうな」と僕が言えば、「受験嫌だなあ」と柚葉が呟いた。

 そう言えば、今日は8月31日だった。


 ほんの数人しか乗っていないバスが来ると、柚葉は少し切なげな目をして僕の方を振り返った。

 まるでそれが今生の別れだとでも言わんばかりの雰囲気だったので、僕はくだらない冗談を言った。僕も、耐えきれなかったのかもしれない。

 やがて扉が閉まり、伏し目がちに手を振る柚葉を見送った。浴衣が似合う柚葉が、その場でひどく浮いているように見えた。

 遠ざかるバスを見ている間、なんだか上手く息ができなかった。



 スマホを開くと、高校の友達からメッセージが来ていた。

『お前の幼馴染さん、昨日告白されたらしいぞ』

 僕の友人たちは、なぜか皆、柚葉の事を幼馴染さんと呼んだ。

『へー。誰に?』

 出来るだけ興味がない感じを出して返信すると、またすぐに返って来た。

真城高校ましろこうこうの同学年。バスケ部のキャプテン』

 真城高校とは、柚葉も通う県内随一の進学校だ。

『で、なんて言ったって?』

『明後日まで待って欲しいって言われたって。てか、幼馴染なら自分で聞けよ 笑』

『そうなんだ』

 スマホを鞄にしまい、自転車を漕ぎだした。夜風が生ぬるかった。


 あの時、僕が勝負に勝っていたら。

 あの時、あと一歩を踏み出していれば。

 いや、もっと以前からだ。

 僕が冷やかしに耐えていたら。素直に互いを認めていたら。


 様々な可能性が頭に浮かんでは消えた。それはきっと、柚葉も同じだったのだと思う。

 帰り道、自販機でコーラを買った。プルタブを持ち上げたプシュッという音が、やけに鼓膜に響いた。

 空を見上げる。夜はいつもより雲が高い気がする。そんなことを、昔に柚葉と話したことがあった。気づけば、この町はあちこちに柚葉がいた。


 夏が、終わってく。

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8月31日 佐薙概念 @kimikoto

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