人生のレール

ELLIE

人生のレール

目を閉じても薫ってくる、

線香の匂いが大嫌いだった。


祖父の墓参りで集団墓地に足を運んだ際、大きな平地であるにもかかわらず辺り一帯に蔓延している線香の匂いが髪にまで染み付くのが、とても嫌だった。

しかし、祖母をはじめとして母や叔母はそんなもの気にも留めないとでも言っているかのように、淡々と墓の手入れをしていたのを覚えている。



***



ある日突然、両親が死んでしまった。


こんな、ドラマでも見ているかのような出来事が自分の身に起こるなんて、想像もしていなかった。

いや、普通はしないだろう。

でも、知らせを聞いて病院に駆けつけたときにはもう、二人とも事切れていた。

こんなにあっけなく、人間は死ぬのか。

私は祖母が泣き崩れる傍ら、呆然と二人を見つめることしかできなかった。


諸々の手続きは祖母が全てやってくれたことで葬式の後は特にやることもなく、私はただただ、仏壇の前に座っていた。


先日の事故が嘘だったかのように、目の前に置かれた両親の写真はとても晴れやかな笑顔で。彼らの骨がそこにあるわけではない。恐らく自分の中に彼等が死んだ、という実感がないのだと思う。今までいた存在が目の前から肉体としては消えてしまった。もうあの温かい手の温もりも、父の歳特有の空咳も、母のバランスを考えた食事も、聞くこともなければ食べることもない。なんだかんだでここまで育ったのは両親のおかげだと思っているが、自分は両親に何をしてあげられただろう。

いや、してあげたという表現はおかしいのだろうか。両親のおかげで自分はこの世に存在しているわけだしこれは、返せた、という表現のほうがいいのかもしれない。

仏壇の前で正座をし、固く握りすぎていた両手を広げれば血は出ていないもののくっきりと爪の跡が掌に。

そういえば、この手を見て思い出したことが一つある。

自分の両手の爪は左手が父似で右手が母似だった。小指の爪の形を比較した時に左手の方が縦長で、右手は少し小ぶりだったのを母に話した際に両親の手をまじまじと見たら発覚したのだ。あれは確か大学生の時だっただろうか。あの頃はまだ父のことも苦手では無かったし、母の喘息もそこまで酷くは無かった。歳が6の倍数に当てはまる年は体調を崩しやすいと母が生前言っていたことを思い出して、今年は確か、母の年齢が6の倍数になる年だったはず。誕生日を迎えていなくてもその年には何かしらあるのだろうと予見していた母。今思えば父の歳は正確には理解していないことにも気づいてしまい、自分は両親に返すどころか親不孝ものかもしれないとまで思えた。


両親が死ぬ日まで夢を見ていた日常は、もう、無い。

ここ最近、全くもって夢を見なくなってしまったのだ。現実的にも、非現実的にも。目を瞑れば、そこはたまに聞こえる車のクラクションや終電間際の電車が線路の上を通る音。それを子守唄に置き換えて眠りにつく日常は変わらないのに、唯一眠りに落ちれば真っ暗な世界に浮かんでいる自分の姿を第三者の目線からみているだけ。この真っ暗な世界は自分の今を表しているのか、それとも今後の自分を表しているのだろうかと一度真面目に考えたが、考えたところで自分が見たものが夢であって夢でないかもしれない、そんな曖昧なことを誰かに相談できるわけでもない。

考えるのはほんの一時間でやめた。

今自分が生きているのは両親のおかげで、自分が今後どのように生きていくかは自分が決めることだ。これは母に言われたことだが、自分の好きなように生きてこそ人生だと。それは母が結婚も出産も女性として、母としての生き方全てを済ませていて、残りの人生は趣味に費やすことができるから言えたことだろう。父は父で、部下のリストラを回避するために辞職して新しい職場で好きな仕事をしていた。それも自分の学費の心配などが無くなったからできたことだ。


そうやって両親は育児終了のラインをそれぞれ見極めて新しい人生を歩もうとした時にこんなことになって。彼らは彼らの人生を無念だったとあの世で悲観しているだろうか。悲報を知った際になんの反応もしなかった自分に呆れているだろうか。

結局自分は、葬式の時にも泣くことはなく、彼らの身体が焼かれる時も、焼かれた後も、何の反応もなく終わってしまった。焼かれた後の姿や匂いに対して、眉間にシワを寄せてしまうような自分はやはり親不孝ものかもしれない。

それぞれの祖母達は実の娘と息子の骨となった姿を拾う際には手が震えていたのに。一方で私は、なんの反応もない。おそらく祖母たちは、こんな状況で一人残された私のことを都合のいいように考えてくれているのだろうが、なんの実感もないのだから、反応をすることなど不可能に等しい。かつて両親の身体を作り上げていたそれにこっそり直に触れば案の定火傷をした。まるで、両親のどちらかが自分の行いを罰しているかのような痛さだった。

あの時はその痛さに涙が出て、思わずその場から抜け出して手洗い場で只管水を手に浸した。その痛さは未だ掌に跡を残している。じきにこの跡も消えて、数年も経てばこのよくわからない感情も消え失せるのだろう。いっそ跡でも残れば、葬式の様子をいつでも思い出すことが出来るのではと馬鹿な考えも浮かんだがそれはすぐに消えた。自分に自傷行為をするような度胸や考えはない。


生前、母は言っていた。

そんなことをしても何も変わらない。自分で自分を傷つけて何が楽しいの。誰も痛みをわかってあげられるわけではないのだから無意味な行為だ、と。これは正論だと思った。


生前、父は言っていた。

馬鹿な考えを持つのはやめろと。これはあまり共感できなかった。それは父が論理的且つ現実的な人間だったからかもしれない。これは、そういった考えを少しでも持ったことのない人間が言う言葉だと、私は感じたのだ。

父の経歴はこうだ。

無難に就職をし、無難に結婚をして、子供を授かって、子供は己の考えたレールの上を歩いて完成形へ。それが私だ。大学も誰でも知っているところへ通い、誰でも知っている会社に就職した。だが、それも、長くは続かなかった。子が親離れをする時。レールから外れる時が来たのだ。右と左を選ぶ際に、父のレールである右ではなく左へ。これが今の自分だ。でも、それに対してはもう少し頑張れとは言わず、好きなように生きればいいと言われた。そんなことを言われたのは恐らく初めてだ。あの時がレールの切り替わりの日だったのだと思う。


ああ、なんだ。


どうやら自分は、両親のことが思いの外好きだったらしい。


そう認識したが最後、ダムが決壊するように様々なものが溢れ出てくる。

涙、後悔、寂しさ、辛さ、苦しさ。

どれも、いらない。

こんな感情はいらない。

わたしはただ、家族で笑って過ごせる日々が、なによりも恋しいのだから。





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