逃亡の果て(4)

 悪童わんらたちが、小刀を振り回しながら一斉に襲いかかってきた。藤花を乗せた狛犬が、ばっと空中へと浮上し、式神のエイが追随する。


「藤花様、先に行ってください。阿丸、北山へ!」

「兵衛っ、おまえも早く!! 」


 藤花がその場にとどまり、阿丸の背中から兵衛に呼びかける。


(くそっ、こんな時に!)


 ほんの一瞬、兵衛の気が悪童わんらに逸れる。その隙を突いて二つ鬼が踵を返した。

 しかし刹那、


「逃がさぬと言っただろうっ!」


 懐から素早く苦無くないを取り出して兵衛が二つ鬼に投げつけた。それが鬼のふくらはぎに命中し、鬼は足をもつらせて転んだ。


 兵衛が鬼に飛びかかる。と同時に、木々の隙間からひょうっという空を斬る音がした。


「!!」


 複数の矢が鈍い光を放ち、一直線にこちらに向かって飛んでくる。

 兵衛は地に這う鬼をとっさに掴むと、そのまま体を捻ってを盾にした。


「ぐわっ!!」


 鬼の呻き声とともに、ドドドッと矢が鬼の体に刺さった。途端に、その体がびくびくと痙攣けいれんし、そのまま硬直する。


(やはり毒矢か!)


 しかし、塗られているのは怨水えんすいではない。兵衛が受けた怨水えんすいの毒矢は、一本が刺さっただけで昏倒した。複数本なら死に至る。


 それなのに、盾にした鬼は、これだけの毒矢を受けても体が硬直してはいるものの死んではいない。

 蠱毒こどくの一つには違いないだろうが、これは体を麻痺させる類いの毒だ。


(儂らを捕らえるつもりなのか?)


 何のために? しかし、その疑問はすぐに頭の外へと投げ捨てた。

 相手の思惑など、どうでもいい。今、重要なのは、相手がこちらを殺そうとしていないこと。


 そう考えると、無理に仕掛けてこなかった追っ手の鬼たちの行動も合点がいった。どちらにしろ、こっちとしては好都合だ。


 逃げきればこちらの勝ちだ、兵衛はそう思った。


 矢はすぐに飛んで来そうにない。もともと悪童わんらが弓矢を扱えること自体おかしい。使える者は限定されていると考えていいだろう。


 しかし折しも、大量の雑蟲ぞうこが上空から逃亡者を押さえ込むように現れる。藤花と阿丸が、雑蟲にされてジリジリと下降した。


「空には逃がさないということか──」


 兵衛は掴んでいた鬼をその場に打ち捨て藤花の元へと走った。悪童わんらが、その鬼を踏みつけながら、ぎゃあぎゃあと小刀を振り回し追いかけてくる。中にはつぶてを投げつけてくる者もいる。一つ一つの個体は大して強くもないのだが、集団で襲ってくるから面倒だ。


 式神のエイが体を旋回させて蟲たちをぎ払いながら、兵衛をすくい上げる。彼は、エイの背中へと飛び乗ると、雑蟲ぞうこの攻撃に応戦している藤花の隣につけた。


「このまま低空にて強引に押し通ります。毒矢には気をつけてください」

「分かった」


 しかしその時、

 はるか上空から、大きな気が迫りくるのを二人は感じた。思わず空を見上げると、澄みきった夜空から複数の黒い影が落ちてきた。


 刹那、振りかざされた刃が月光に照らされてぎらりと光る。


「!!」


 すごい勢いで落ちて来る影に、兵衛はとっさにエイをぶつけた。エイが真っ二つに両断される。乗り物を失った兵衛は、そのまま狛犬の背中に飛び移ったが、しかし、そこにも容赦ない刃が降り落ちてきて、兵衛はぎりぎりのところでそれを受け止めた。


 落下の勢いまで加わった刃は、片手では、いや、両手でも受け止めきれない重さだ。


 兵衛と藤花は、半ば押し負けるような形でそのまま地上に叩きつけられた。兵衛は地面に放り投げられ、藤花は狛犬から転がり落ちて「きゃあ」と悲鳴を上げた。


「藤花様!」


 思わず駆け寄ろうとして、兵衛はそこに現れた新手の二つ鬼たちにそれを阻まれた。


 体には鉄板の入った胸当て、首には翡翠ひすいの飾りが付いた鋼の首輪を全員がつけている。心の臓と首を守るためだ。


 生きるために身を守る。愚直で真摯な戦う姿勢。


 これを身に付けているのは、ただ一つの集団のみ。月夜の里は守りの要、六洞りくどう家直属の鬼武者たち──六洞衆だった。


「そんな……」


 兵衛の声が震えた。

 加勢はしてくれないまでも六洞家はきっと見逃してくれる、頭のどこかでそう踏んでいた。


 翡翠ひすいの鋼輪をつけた鬼武者たちが、一糸乱れぬ動きで兵衛に対して身構える。その内の一人が、大きな声で兵衛に言った。


「我ら六洞衆、重丸様からぬしを殺すなと言われておるが、全力で臨めとも言われておる! 一切の手抜きはなし、いざ参る!!」


 それを合図に鬼武者たちが一斉に兵衛に攻めかかる。先ほどの寄せ集めとは全く違う、鍛えられた動き。


 兵衛は一気に襲いかかる刃をすかさずかわしたものの、次の瞬間には別の鬼に足を払われ体勢を崩された。振り落ちてくる刃をなんとか受け止めつつ、体勢を立て直す。悪童わんらが兵衛たちを囲い、その戦いに野次を飛ばし始めた。


(くそっ──!)


 兵衛は、ぎりっと歯噛みした。いくらなんでも、悪童わんらと六洞衆の相手をまとめてするのは無理だ。


 そうこうしている内に、悪童の一部が藤花に向かって刃を向けた。やつらは、六洞衆と違って無秩序で統率されていない。「殺すな」と命を受けているとはいえ、藤花に対し何をしでかすか分からない。

 兵衛の体の中で、かあっと血が逆流した。


「姫に──、触れるなああ!!」


 力任せに目の前の鬼をぎ倒し、藤花の元へと一気に走る。群がる悪童わんらを斬り払い、掴み投げ、兵衛は閻魔えんまの形相で藤花に駆け寄った。


 刹那、ひょうっと空を斬る音がした。


「藤花様!!」


 兵衛が藤花に覆い被さったのと、矢が飛んできたのとが同時だった。

 とっさに式神のカラスたちを盾にして何本かは防いだ。しかし、最後の一本が兵衛の左肩に刺さった。


「ぐっ」


 肩に激痛が走り、左腕の感覚がみるみると失われていく。


「兵衛!」

「大丈夫です」


 そう答え、兵衛は歯を食いしばって肩から刺さった矢を引き抜いた。感覚を失った左腕がだらりと下がり、そこから血がしたたり落ちた。

 藤花が青ざめた顔で兵衛の袖を掴んだ。


「兵衛、もう無理じゃ。六洞りくどう衆までが動いておる」

「いいから、乗ってくださいっ」


 兵衛は無理やり阿丸の背中に藤花の乗せると、北に向かって走らせた。藤花が体を捻り、泣きそうな顔で「兵衛も一緒に!」と叫び声を上げた。


 当然、兵衛もそのつもりだった。

 藤花一人では御化筋おばけすじは分からない。なんとしてでも、そこに二人で辿り着かないといけない。もう北山の裾まで来ている。いつもの峡谷は、すぐそこだ。


 しかし、六洞衆が再び兵衛に襲いかかる。左手が使えない状態で、四方から斬り込んでくる容赦ない刃をかわし、受け止めつつ、さすがの兵衛も防戦一方となった。体に小さな斬り傷が増える中、そのうち脇腹に深い一撃を受けた。


 兵衛は一瞬ぐらつく足に力を込めて踏みとどまると、目の前の鬼を蹴り飛ばしながら自身も後方に飛び退いて、六洞衆と距離を取る。

 そして、彼らをぎっと睨みつつ、髪の毛を抜いてエイに変化させた。次に片手で素早く九字を切る。


 刹那、兵衛のかざした手の平から、かっとまばゆい光が放たれた。六洞の鬼たちは、その明るい光に目がくらみ、思わず両目を覆った。

 ゆっくりと光が消えて、辺りが暗闇を取り戻した。しかし、そこにはもう兵衛の姿はなく、いるのはうるさ悪童わんら雑蟲ぞうこ、そして二つ角の鬼だけだった。


「式神に乗って逃げたか」

「なんと──。あの状態で、まだあのような大きな式神や幻術を出すことができるのか」

「さすがは九尾様の弟子殿」


 六洞の鬼たちから感嘆に近い声が上がった。一方、標的を失った悪童わんらは、さらにぎゃあぎゃあと騒ぎ始める。


 すると、まとめ役と思しき鬼が「うるさい!」と悪童わんらを一匹刺し殺した。そして、仲間たちに落ち着いてはいるが、鋭い視線を向ける。


「このまま逃がすわけにはいかん。我ら六洞衆が動いたことで、弟子殿はかなり気が立っている。重丸様は、自ら説得すると言っていたが、場合によってはお守りせねばならなくなる。ここに三人残し、儂を含めてあとは弟子殿を追う」

雑蟲ぞうこ悪童わんらはどうする?」

「始末しろ。邪魔なだけだ」

「九洞ゆかりの蟲使いが背後におる。まずくはないか?」

「……重丸様は、と。分が悪いと思えば、勝手に退くだろう」


 その言葉に鬼武者たちが、にやりと笑う。さっきから、空を覆う雑蟲ぞうこといい、ぎゃあぎゃあとうるさ悪童わんらといい、むかっ腹が立っていたところだった。

 そもそも、九洞くど家の命で動いているというのが気に入らなかった。


「後方隊がもうすぐ来る。そいつらと合流し、始末がついたら重丸様の元へ。では、行くぞ!」


 まとめ役の号令で、翡翠の鋼輪をつけた二つ鬼たちは一斉に飛散した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る