逃亡の果て(4)
「藤花様、先に行ってください。阿丸、北山へ!」
「兵衛っ、おまえも早く!! 」
藤花がその場に
(くそっ、こんな時に!)
ほんの一瞬、兵衛の気が
しかし刹那、
「逃がさぬと言っただろうっ!」
懐から素早く
兵衛が鬼に飛びかかる。と同時に、木々の隙間からひょうっという空を斬る音がした。
「!!」
複数の矢が鈍い光を放ち、一直線にこちらに向かって飛んでくる。
兵衛は地に這う鬼をとっさに掴むと、そのまま体を捻ってそれを盾にした。
「ぐわっ!!」
鬼の呻き声とともに、ドドドッと矢が鬼の体に刺さった。途端に、その体がびくびくと
(やはり毒矢か!)
しかし、塗られているのは
それなのに、盾にした鬼は、これだけの毒矢を受けても体が硬直してはいるものの死んではいない。
(儂らを捕らえるつもりなのか?)
何のために? しかし、その疑問はすぐに頭の外へと投げ捨てた。
相手の思惑など、どうでもいい。今、重要なのは、相手がこちらを殺そうとしていないこと。
そう考えると、無理に仕掛けてこなかった追っ手の鬼たちの行動も合点がいった。どちらにしろ、こっちとしては好都合だ。
逃げきればこちらの勝ちだ、兵衛はそう思った。
矢はすぐに飛んで来そうにない。もともと
しかし折しも、大量の
「空には逃がさないということか──」
兵衛は掴んでいた鬼をその場に打ち捨て藤花の元へと走った。
式神のエイが体を旋回させて蟲たちを
「このまま低空にて強引に押し通ります。毒矢には気をつけてください」
「分かった」
しかしその時、
はるか上空から、大きな気が迫りくるのを二人は感じた。思わず空を見上げると、澄みきった夜空から複数の黒い影が落ちてきた。
刹那、振りかざされた刃が月光に照らされてぎらりと光る。
「!!」
すごい勢いで落ちて来る影に、兵衛はとっさにエイをぶつけた。エイが真っ二つに両断される。乗り物を失った兵衛は、そのまま狛犬の背中に飛び移ったが、しかし、そこにも容赦ない刃が降り落ちてきて、兵衛はぎりぎりのところでそれを受け止めた。
落下の勢いまで加わった刃は、片手では、いや、両手でも受け止めきれない重さだ。
兵衛と藤花は、半ば押し負けるような形でそのまま地上に叩きつけられた。兵衛は地面に放り投げられ、藤花は狛犬から転がり落ちて「きゃあ」と悲鳴を上げた。
「藤花様!」
思わず駆け寄ろうとして、兵衛はそこに現れた新手の二つ鬼たちにそれを阻まれた。
体には鉄板の入った胸当て、首には
生きるために身を守る。愚直で真摯な戦う姿勢。
これを身に付けているのは、ただ一つの集団のみ。月夜の里は守りの要、
「そんな……」
兵衛の声が震えた。
加勢はしてくれないまでも六洞家はきっと見逃してくれる、頭のどこかでそう踏んでいた。
「我ら六洞衆、重丸様から
それを合図に鬼武者たちが一斉に兵衛に攻めかかる。先ほどの寄せ集めとは全く違う、鍛えられた動き。
兵衛は一気に襲いかかる刃をすかさず
(くそっ──!)
兵衛は、ぎりっと歯噛みした。いくらなんでも、
そうこうしている内に、悪童の一部が藤花に向かって刃を向けた。やつらは、六洞衆と違って無秩序で統率されていない。「殺すな」と命を受けているとはいえ、藤花に対し何をしでかすか分からない。
兵衛の体の中で、かあっと血が逆流した。
「姫に──、触れるなああ!!」
力任せに目の前の鬼を
刹那、ひょうっと空を斬る音がした。
「藤花様!!」
兵衛が藤花に覆い被さったのと、矢が飛んできたのとが同時だった。
とっさに式神のカラスたちを盾にして何本かは防いだ。しかし、最後の一本が兵衛の左肩に刺さった。
「ぐっ」
肩に激痛が走り、左腕の感覚がみるみると失われていく。
「兵衛!」
「大丈夫です」
そう答え、兵衛は歯を食いしばって肩から刺さった矢を引き抜いた。感覚を失った左腕がだらりと下がり、そこから血が
藤花が青ざめた顔で兵衛の袖を掴んだ。
「兵衛、もう無理じゃ。
「いいから、乗ってくださいっ」
兵衛は無理やり阿丸の背中に藤花の乗せると、北に向かって走らせた。藤花が体を捻り、泣きそうな顔で「兵衛も一緒に!」と叫び声を上げた。
当然、兵衛もそのつもりだった。
藤花一人では
しかし、六洞衆が再び兵衛に襲いかかる。左手が使えない状態で、四方から斬り込んでくる容赦ない刃を
兵衛は一瞬ぐらつく足に力を込めて踏みとどまると、目の前の鬼を蹴り飛ばしながら自身も後方に飛び退いて、六洞衆と距離を取る。
そして、彼らをぎっと睨みつつ、髪の毛を抜いてエイに変化させた。次に片手で素早く九字を切る。
刹那、兵衛のかざした手の平から、かっと
ゆっくりと光が消えて、辺りが暗闇を取り戻した。しかし、そこにはもう兵衛の姿はなく、いるのは
「式神に乗って逃げたか」
「なんと──。あの状態で、まだあのような大きな式神や幻術を出すことができるのか」
「さすがは九尾様の弟子殿」
六洞の鬼たちから感嘆に近い声が上がった。一方、標的を失った
すると、まとめ役と思しき鬼が「うるさい!」と
「このまま逃がすわけにはいかん。我ら六洞衆が動いたことで、弟子殿はかなり気が立っている。重丸様は、自ら説得すると言っていたが、場合によってはお守りせねばならなくなる。ここに三人残し、儂を含めてあとは弟子殿を追う」
「
「始末しろ。邪魔なだけだ」
「九洞ゆかりの蟲使いが背後におる。まずくはないか?」
「……重丸様は、殺していいと。分が悪いと思えば、勝手に
その言葉に鬼武者たちが、にやりと笑う。さっきから、空を覆う
そもそも、
「後方隊がもうすぐ来る。そいつらと合流し、始末がついたら重丸様の元へ。では、行くぞ!」
まとめ役の号令で、翡翠の鋼輪をつけた二つ鬼たちは一斉に飛散した。
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