逃亡の果て(3)

 四方の木々に複数の影がちらついた。


「ちっ」


 兵衛がいまいましげに舌打ちをする。追っ手がかかるまで、もう少しまごつくだろうと踏んでいた。この対応の早さは──、自分が里中の筋を使わないと考え、しかも東へ向かうと予想した者がいる。


 絡み取られるような、嫌な感じがした。


「藤花様、このまま真っ直ぐに走り続け、大きな岩が見えてきたら、北の方角へ」

「東の山へ行くのではないのか?」

「いえ、北山へ。東の筋もおそらく無理だ。少し遠いですが北山へ向かい、それまでに追っ手を始末します」


 言い終わるや否や、木の影から複数の鬼武者が彼と藤花に襲いかかった。

 兵衛が三方から降りかかった三つの刃を同時に受け止めた。


「兵衛!」

「止まらずに前へ!!」


 鋭く言って、そのまま力任せにそれらを跳ね返し、阿丸の背から滑り落ちるように離れた。着地すると、すぐさま地を蹴って先を走る狛犬の横にぴたりとつける。


 森全体がざわざわと騒ぎだす。


 刹那、木々の隙間から大小ざまざまな雑蟲ぞうこたちが、ぶわっと溢れ出た。

 大きな羽虫や蜘蛛のようなもの、目玉がいくつもついたムカデ、何だかよく分からない雑多な蟲たちが、明らかな殺意をもって二人に襲いかかった。


「蟲?!」


 藤花がとっさに、片手を上げて大きな鬼火を繰り出した。青白い炎が蟲を飲み込み、それらを一気に焼き尽くす。しかし、森の奥から雑蟲ぞうこは次から次へと現れる。


「これは──、どうなっておる?!」

「蟲使いがいる!!」


 兵衛たちを取り囲む鬼がまた増えた。その奥に、まだ何か気配がする。自分たちを捕らえるために、一体どれだけのあやかしを投入してくるのか。


 東側の空気が殺気でひしめき合い重く感じた。東の筋は封鎖されたと考えていいだろう。


(くそっ、誤算だ──!)


 気持ちがはやる。本当の敵は目の前の鬼や雑蟲ぞうこたちではない。そいつらに指示を出している奴だ。


九洞くど旺知あきとも本人か、それとも側近の誰か──)


 しかし、そうだとしてもこちらの情報は少ないはずだ。北山の御化筋おばけすじは、まだ誰にも知られていない。


「藤花様、蟲の始末をお願いしても?」

「無論じゃ」

「では、先ほど言った通り北山へ。いつもの渓谷へと向かいます」

「分かった」


 藤花が余裕の顔で答える。刹那、彼女は狛犬の背の上で両手を広げた。大きな帯状の鬼火が現れ、まるで生きた蛇のように雑蟲ぞうこたちに突っ込んで行く。


 一方、兵衛は髪の毛を数本抜いて式神を飛ばした。一本が大きなエイに、残りが数羽のカラスに変化する。そして、それらを藤花の周りに飛ばした。


 追っ手の鬼は、両側の木々の間を飛び渡りながら、つかず離れずの間を保っている。相手は全部で五人。


 今ここで全員を始末する。まずは、右側の二人からだ。


 兵衛は地を蹴って大きく空中へ舞い上がった。

 

 兵衛が突然動き出したことで、追っ手の鬼たちは驚いた。

 千紫から受けた命令は「適当に攻撃を加え、二人を追い詰めろ」だ。

 ただ追いかけているだけでは、どこかに追い詰めていると勘づかれる可能性がある。本気で戦えば、返り討ちに合うかもしれない。だからこそ、適当に攻撃を加えながら距離を保ち続ける。それが命令だった。


 とは言え、あばよくば自分たちで捕らえられればと、先ほどは襲いかかった。しかし、三人同時の攻撃を事もなげに跳ね返され、二つ鬼たちはすぐに無理をしないことを決めた。相手は、あの六洞りくどう重丸しげまるを一瞬にして打ち負かした、大妖狐の弟子なのだ。


 千紫からは「藤花が側にいる以上、無理に攻めてはこないはず」と言われていた。追っ手の鬼たちはその言葉を信じ、完全に油断していた。

 しかし、兵衛は攻めてきた。


「うっ──わ!」


 鬼の一人が、ずしりと重い兵衛の一撃をなんとか刃で受け止める。しかし同時に、彼の腹部を鈍い衝撃が貫いた。

 兵衛が一瞬の隙を突き、脇差わきざしで腹を刺していた。


 相手の鬼がぐらりと体勢を崩し、刃を受け止める力が抜ける。兵衛は自身の刃を鋭く滑らせ、そのまま彼の首を一気に跳ね飛ばした。


「がっ!!」


 頭と胴体が別れた鬼が、悲鳴を上げる間もなく地に落ちていく。しかし兵衛は、次の瞬間には木の幹を蹴って二人目の鬼に襲いかかっていた。


「まずは、一人」

「あのれっ、猿風情があ!!」


 いきなり仲間がやられ、鬼武者たちがいきり立つ。次の相手は、さっきの男よりも自信ありげな様子の男だ。

 しかし、兵衛にとっては先の鬼とそう変わらない。勢いだけいい二番手は、軽く兵衛にいなされて、あっという間に胸を貫かれた。


「二人目、」


 落ちていく二人目の鬼に目もくれず、兵衛が淡々とした様子で木々の間を飛んで方向転換をする。その目はすでに反対側の三人に狙いを定めている。


 あっという間に二人を殺され、残りの二つ鬼たちは蒼白になった。


 このままでは全員殺される──。


 「生け捕り」などと、甘いことを言っていては、命がいくつあっても足りない。あちらがその気なら、こちらもやるしかない。


 しかし、まともに相手をしては勝ち目がないのは明白だった。動き一つ取って見ても、兵衛のそれは無駄がなく、恐ろしいほどの殺意で満ちていた。


 とすれば、狙いは一つ。少し離れた先を狛犬に乗って走っている鬼姫を盾にするしかない。


「末姫を狙え!」


 追っ手の鬼の二人が、藤花に向かって木の枝から飛び出した。残り一人が、兵衛の行く手を阻むように対峙する。一気に間合いを詰めて斬り込んでくる兵衛の刃を受け止めながら、二つ鬼はいまいましげに彼を睨んだ。


「姫さえ手に入れば、おまえはしまいだ!」


 兵衛は眉一つ動かさない。その感情の読み取れない表情に鬼はいらっとした。彼は、自らの焦燥をかき消すように刃に力を込めた。


 すると前方で、大きな爆発音が上がった。同時に、藤花を捕らえに行った鬼たちの「わあわあ」と騒ぐ声が聞こえた。


 たかが姫一人に何をしている? そう思ってちらりと見ると、狛犬が火炎を吐いて、たなびくエイがその炎をまといながら鬼たちを撹乱かくらんしていた。


(こちらで戦いながら、あの大きな式神を自在に動かせるのか?)


 どれだけ余力があるのだと、冷や汗が吹き出す。刹那、


「よそ見をする余裕があるのか?」


 兵衛の冷ややかな言葉にはっとして、視線を戻すと鳶色の目とかち合った。

 その鋭い視線にぞくりとする。


 と、兵衛が突然力を抜く。勢い余って、鬼が前のめりになる。そこに兵衛の容赦ない肘鉄ひじてつが落ちてきて、重い衝撃とともに鬼は落下した。激しく地面に打ちつけられながら、それでも何とか体を起こすと、そこに刃のひらめききが飛び込んできた。


「三人目、」


 首を失くした二つ鬼が、どさりと崩れ落ちる。

 兵衛はその三体目の亡骸を飛び越え、藤花の元へ一直線に向かって走っていく。

 前方では、式神のエイと藤花を乗せた狛犬、そして雑蟲ぞうこと二つ鬼が入り乱れて戦っていた。狙うは、四人目の首。


「きっ、来たぞ! 退けっ!!」


 兵衛が迫って来ていることに気づいた鬼が悲鳴のような声を上げた。すでに三人がやられている。もう、藤花を盾になどと言っている場合ではない。


 一刻も早くここから離脱しなければ──!

 

 にわかに浮き足立つ二つ鬼たちへ、エイの尾が鋭い鞭のように伸びてくる。一人が、足首を絡め取られ捕まった。そこへ、兵衛が獲物を狩る獣のような目で突っ込んできた。


「ひっ! た、助──!!」


 助けを求める声は、しかし、最後まで発せられることはなかった。兵衛が心の臓をひと突きし、それは呻き声に変わった。

 エイがだらりと生気を失った鬼を無造作に投げ捨てた。


「四人目、残るは一人」


 いいだけ返り血を浴びた兵衛が、少し離れた所で立ち尽くす二つ鬼に目を向けた。


「さっきは一人逃がしたが、今度は一人も逃がさぬよ」

「……!」


 この男には躊躇ためらいというものはないのか。

 最後の一人となった二つ鬼は、冷々ひえびえとする鳶色の目に震え上がった。


 その時、森の奥からぎゃあぎゃあと甲高い声がいくつも上がった。


悪童わんら!」


 頭にコブのある小さな者が攻めてきた。

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