12)逃亡の果て

逃亡の果て(1)

 影霊殿には、青白い鬼火がいくつも掲げられていた。そこからきざはしを降りて広がる南庭には、両手を後ろに拘束された一つ鬼たちが集められている。

 そして、階の中ごろには、どかりと腰を下ろす二つ鬼。毛皮の陣羽織をはおり、腰に派手な装飾を施した大太刀をいている。山守やまのかみ九洞くど旺知あきともだ。


 彼は、拘束された一つ鬼たちを冷たい目で眺め、小さく息をついた。中には、まだうら若い娘もいる。

 しかし、女だろうと容赦をするつもりはない。いやむしろ、時として女は男より厄介だと、旺知あきともは思っていた。

 ひ弱く、儚げに泣いては難を逃れ、そのくせ子供を生んで種を増やす。そいつらが、もし将来自分に刃を向けるとなれば、これほどの災いの芽はない。


 とは言え、今ここに集められている一つ鬼は、生かすにしても殺すにしても値しない者ばかり。奥院でも、下働きをしている者たちだ。

 奥院を警護する一つ鬼の洞家衆と奥頭おくがしら率いる侍女衆は、まだこちらに来ていない。刃向かう者は殺していいと命じてあるので、勝ち目がないと分かればきっと投降するだろうが、それでも全員を引き立てるには、それなりに時間がかかるだろう。

 今夜は守りの要である六洞りくどう家がいない。月に一度だけある、非番の日だ。それを密かに探らせて、今日のこの日を狙った。おかけで、大きな抵抗にうこともなかった。


山守やまのかみ様、」


 しばらくすると、攻め入りの興奮と暇を持て余した者たちが、旺知の前に数人やって来た。洞家でも家元でもない、下郎のような二つ鬼だ。


「捕らえた一つ鬼は殺してしまうのでございますか?」

「いや、まだ決めてはおらぬ」

「ならば、」


 一人がずいっと前に出て、媚びるように笑った。


「あの中にいる娘、一人か二人、好きにさせてもらえれば……。なんせ、一つ鬼の娘など、儂らは口さえきいたこともないもんで」


 旺知あきともが片眉を上げると、男は慌てて両手を振った。


「もっ、もちろん、適当な娘で十分で。見目麗しいのは、山守やまのかみ様のものでございます」

「ふむ。そうだな……」

「じゃあ──」


 男が嬉しそうに舌なめずりをする。が、しかし、旺知は突然立ち上がると、彼の頭を鷲掴みした。


「我らは物盗ものとりではない」


 言って旺知は刀を抜くと、その男の首を斬る。そして、そのまま腹を蹴り、男の仲間へと彼を放り投げた。

 仲間の鬼たちが「ひいっ」と悲鳴を上げながら、血を流し白目をむいた男を受け取った。旺知あきともは、騒ぎを聞きつけやって来た他の鬼に命じた。


「こやつらも殺せ。物盗りはいらん」

「はっ!」


 顔を真っ青にし、下郎たちはがたがたと震えながら頭を地面に擦りつけた。


「お、お許しください!」

「儂ら、ほんの出来心でございます!」


 しかし、旺知は不機嫌そうに頭を振る。下郎たちは、「うわあ」と叫び声を上げて逃げ出した。鬼武者がそれを追いかける。そして、あっという間に仕留められ、鬼火がかけられた。


 その様子を見ながら、旺知あきともは二つ目のため息をつく。

 こんな矮小わいしょうな輩がいては、己の伯座に傷が付く。女など、後から好きなだけ手に入るというのに。

 今回の謀反むほんは、世のためでも、しいたげられている二つ鬼のためでもない。純然に己の野心のためである。力ある者が、上に立つ。旺知にとっては、至極当然のことだった。


 あとは機会を狙っていた。


 そんな矢先、人の国から伏見谷のが入ってきた。こんな真冬に動くのかと臣下から声が上がったが、旺知あきともは迷うことなく決断をした。

 春まで待てば、機を逃す。今こそ、影親かげちかを討ち、伯座を奪う好機であると。


 今夜の目的は二つ。まずは、影親をはじめとした一つ鬼の一掃だ。そして二つ目は、宝刀・月影を手に入れること。月影は鬼伯に代々受け継がれてきた宝刀であり、鬼伯であることの証しである。自身の正当性を訴えるためにも、なんとしてでも手に入れなければならない。

 

 しばらくして、八洞やと家の奥頭おくがしらを先頭に奥院の侍女衆が、ようやく連れられてきた。彼女たちは刃で脅され、南庭の一所ひとところに固まって座らされた。

 すると、その中央、年長者でもある奥頭が青ざめながらも毅然とした態度で立ち上がった。


山守やまのかみ!!」


 言って彼女は旺知あきともを睨みつけた。


「二つ鬼ながら伯に取り立てられ、九洞くどまで賜ったというのに、恩を仇で返すとはこのことじゃ。恥を知れ!」

「……言いたいことはそれだけか?」


 旺知が近くの鬼武者に目配せする。刹那、鬼武者の刃が奥頭の胸を貫いた。

 絶叫のような悲鳴が上がり、娘たちがその場から狂ったように逃げ始める。しかし、すぐに二つ鬼の武者に取り押さえられ、それでも反抗するものは容赦なく刃にかけられた。たちまち彼女たちは大人しくなった。


 真っ白い雪が血で赤く染まる中、他の侍女たちに混じり初音はいた。動かなくなった奥頭を横目で見つつ、我が姫はどうなったのかと思いを巡らせる。今日に限ってお茶を部屋に置いてきた。いつもなら戻ってきた頃合いを見計らい持って行くというのに。


 ここ最近、庭先に止まっていた式神のカラスは、ちゃんと兵衛に知らせに行っただろうか。彼が監視のために置いていったことは、初音も知っている。

 ただ今は、自分自身もなんとかして生き延びなければならない。


 すると、旺知あきともが初音の斜め前に座っていた娘に声をかけた。


「そこの娘、御前会で月詞つきことを披露していたな」


 家元の娘だ。彼女は蒼白になりながら、こくりと小さく頷いた。


「ふん……」


 旺知が残りの侍女の顔を眺め回す。そしてふと、思案顔になる。

 今度はなんだ? 不安で心がざらつく中、旺知が「いらんな」と呟いた。


 その時、


旺知あきとも様、影親かげちか、清影、深芳みよしを捕らえましてございます」


 旺知の側近らしき鬼が影霊殿えいれいでんの奥から現れた。旺知が上気した顔で応えた。


「分かった。どこだ?」

「大広間に連れております。ただ──」

「ただ?」

「末姫、藤花は逃亡したよし」

「なんだと?」


 旺知の顔が一気に険しくなる。かの姫は、姉の深芳と違い影親の実の娘だ。生かしておくと後々の禍根となりかねない。


「奥院の姫が一人でそうそう逃げられるわけがない。すぐに探せ」

「それが……」

「まだ何かあるのか?」


 旺知は苛々とした口調で聞き返した。側近の男が、気まずそうに目を泳がせる。


「配下の者の話によると、何者かが突然現れ、一瞬のうちに五人を斬り殺し、姫を連れ去ったとのことです」

「なに?」

「かなりの手練てだれかと」


 旺知の目がギラギラと光った。その口の端にわずかな笑みが浮かぶ。

 そこまでして藤花を連れ去る理由のある者。さらに、あっという間に五人もの鬼を殺してしまう強さ。

 誰だと問うまでもない。


「伏見谷の猿──!!」


 吐き捨てるように呟いて、旺知はその場にいた鬼たちに命じた。


「里中はもとより、周辺の山の御化筋おばけすじを今すぐ封鎖しろ。同時に、追っ手をかけよ。見つけたら、姫ともども殺して構わん。あと、使にこのことを伝えろ」


 すると、旺知の下知げちに、側近が伏し目がちに戸惑った様子で言い返した。


「しかし、各所の筋を封鎖しつつ追っ手にそれなりの数をそろえるとなると、手が足りません。それに、蟲使いを……あの、外道をお使いなさるのですか」

「生ぬるいことをして止められる相手ではないわ!」


 旺知は一喝いっかつした。御前会での試合を忘れたのかと、罵りたくなる。

 彼はぎりっと歯噛みした。末姫を人の国へ逃したとなると、今夜の謀反に汚点が残る。今後の伏見谷との関係にも影響が出てくるだろうし、ゆくゆく藤花を擁立して反旗をひるがえす輩が出てくるかもしれない。


「絶対に藤花を人の国へ逃がすな。ここにいる全員を向かわせろ」

「今ここに捕らえました侍女衆はどうなさるので?」

「殺せばいい」

「は?」

「どうせ、月詞つきことを歌う者などいらぬと思っていたところだ。始末してしまえ。そうすれば、ここにいる者の手が空くだろう」


 側近が青ざめる。捕らえた一つ鬼をただで解放するわけないと思っていたが、皆殺しするとまでは思っていなかった。


「何をしている。早くしろ!!」


 躊躇ためらいを見せる側近に旺知あきともが激昂する。


 その時、


「お待ちくださいませ」


 殺伐とした場には似つかわしくない柔らかな、それでいて凛とした声が響いた。

 艶やかな黒髪を高く結い上げ、頭に二つの角をいただく美姫、今は旺知あきともの正妻である千紫が、優美な笑みをたたえて影霊殿の回廊に立っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る