持たぬ者、持てる者(2)

 山を後にして、藤花たちはエイに乗って月夜つくよの里の端に降り立った。そこから歩いて里中へ向かう。


「兵衛、金子きんすはあるか?」

「そんな高価なものは持っていませんし、必要ありません。小銭があれば十分です」

「よく分からんが、あれば良い」


 呆れて肩をすくめる兵衛を無視して藤花は賑やかな通りへと向かった。

 両側に大小さまざまな店が立ち並び、その隙間に行商の者がござを敷いて売り物を並べている。ここで商売をするのは、鬼以外の人語を解するあやかしたちだ。

 一つ目の小僧、猫の顔をした娘、腹のでかい狸の親父おやじなど、通りは多種多様なあやかしでごった返していた。


 売っている物に目をやれば、春の山菜、遠くから取り寄せた魚の干物、猪の肉、人の国の書物──、どれもこれも藤花にとっては珍しい物ばかりだ。

 彼女は一つ歩いては立ち止り、立ち止まっては一つ歩きを繰り返した。途中、ツチノコの尻尾の干物を見つけた時は、さすがに兵衛に腕を引っ張られ、「あれは偽物です」と耳打ちされた。


 そうこうしながら見て回ることしばし、


「うむ、あれが欲しい」


 藤花は「芋まんじゅう」という張り紙をした店を指差した。兵衛が意外そうな顔をする。


「あのようなただの饅頭でいいのですか? はす向かいの上等な菓子屋の方が良いのでは?」

「いや、あれがいい」


 兵衛がやんわりと少し先の立派な店を薦めたが、藤花は譲らない。

 それで二人は、古びた饅頭屋の店先にある縁台に座ると、立っていた垂れ目で尻尾のある女に饅頭とお茶をそれぞれ二つ頼んだ。

 女は藤花の着ている物と頭の角、そして兵衛の角のない頭をじろじろ見ながら、訝しい顔で店の奥に入っていく。どうやら、この組み合わせが珍しいらしい。


 あらためて通りを見れば、藤花のように小ぎれいな小袖袴の女はほとんどおらず、みな着古した小袖を楽に羽織り、腰に細い帯を巻いているだけだ。中には動きやすさを重視してか、野袴をはいている者もいる。


 ちらほらと鬼も歩いている。が、そのほとんどが男ばかりで、姫君らしき鬼はどこにもいない。身なりも藤花と同様小ぎれいで他のあやかしとは違う。あらためて、鬼が特権階級であり、そして自分が籠の中で育っていることを知る。


 しばらくして、店の主人らしい男が緊張した面持ちで饅頭とお茶をおずおずと持ってきた。


「お、お待たせいたしました」


 顔を上げず、腰を低くし、茶菓子の乗ったお盆を高く上げる。見ると、皿には饅頭が四つ入っている。


「主人、饅頭は二つしか頼んでおらぬ」

「いいえ、いいえ。どこぞの名家の鬼姫様とお見受けいたします。どうぞお召し上がりください。お代は二つ分で十分でございます」


 なるほど、突然現れた身分違いの者に恐縮してしまっているらしい。困ってしまい、兵衛を見ると、彼が「せっかくですからいただきましょう」と頷いた。


「しかと四つ分を払うゆえ、遠慮なくいただくぞ」

「あ、ありがとうございます」


 主人がさらにかしこまって頭を下げた。この男には角がない。それにさっきの女には尻尾があった。藤花は饅頭を頬張りながら主人に尋ねた。


「おまえは何者か。狐か、狸か?」

「いえ、私はでございます」

「なし者……」


 藤花は口の中の饅頭をごくりと飲み込んだ。

 なし者──、それはごく稀に生まれてくる角のない鬼のことである。霊力が極端に低い者も多く、また、なし者は伝染するとも言われ、生まれてすぐに捨てられる場合もあると聞く。


 このような場所で店をやっているなど、通常の鬼では考えられない。おそらく、この鬼も家を追われた類いなのだろう。

 藤花はにわかにどういう顔をしていいか分からず、気まずくなって頭を下げた。


「すまぬ。ずけずけと詮索してしまい、無礼であった。許せ」

「とんでもない」


 主人がほんの少し顔を上げ、にっこり笑う。


「お気遣いただけただけで十分にございます」

「ここでずっと饅頭屋をやっておるのか?」


 藤花が無礼ついでに尋ねると、主人は「そうです」と返事をしながら遠慮がちに後ろに下がった。


伝染うつるといけませんので、私はこれにて下がります」

伝染うつらぬ。根拠のないげんはやめよ」


 そう、伝染うつらない。これは千紫の言葉だ。そして、藤花の身近にそれを証明する者がいる。

 そして彼女は自分の隣をぽんぽんと叩き、主人に座るよう促した。


「こういう場所には滅多と来れぬ。おまえが嫌でないのなら、ここに座って話を聞かせやれ」

「隣に座るなど滅相もない!」


 主人が飛び上がって驚く。見かねた兵衛が助け舟を出した。


「藤花様、それぞれ分相応の振る舞いというものがあります。あなたと並んで座ることを強要するは、返ってこの者に迷惑です」

「おまえは隣に座っておるではないか」

「私は関係のない者ですから」


 いきなり「関係ない」と言われ、少なからず傷つく。が、今はそこが問題ではないので、ひとまず聞き流した。

 藤花は残念に思いながら、主人に次の提案をした。


「では今度、饅頭を届けてくれるか?」

「はあ、それなら……。しかし、どこに?」

「うむ」


 この流れから察するに、「奥院」などと言うと腰を抜かされそうだ。ひとしきり考えた後、藤花は「良いことを思いついた」とにっこり笑った。


「兵衛を迎えに寄越すゆえ、案内してもらえ」

「藤花様!」


 にわかに兵衛が「何を勝手に──」と顔をしかめる。しかし藤花はそんな彼にしたり顔を返した。

 関係ないなどとは言わせない。これで、少しは関係が出てくるというものだ。


 するとその時、乱暴な声が響いた。


の饅頭なぞ、食えるもんではないなあ!」


 その悪意のこもった口調に藤花と兵衛は目を向ける。どこからやって来たのか、頭に角を二つ冠した若い鬼が数人、店の前に立っていた。途端に主人が青ざめた。


「これは、綱役つなやく様。ようこそおいでくださいました」


 言って主人は慌てた様子で店の女に何か言い付けた。女がさっと奥に入っていく。

 綱役とは、里の治安を守る里守さとのかみの下で、手足となって働く下級の鬼のことだ。二つ鬼が多く、中には綱役という立場をかさに着て乱暴を働く者もいる。と、これも千紫の言葉だ。


 店の女が奥から饅頭を五個ほど持って出てきた。主人はそれを受け取ると、素早く紙に包んでかしらと思しき若鬼に押し付ける。若鬼が満足な顔でそれを受け取った。


 その様子を見て、思わず藤花は立ち上がった。


「そこな綱役つなやく。饅頭五個分、しかと払え」

「あん?」


 若鬼がぎろりと藤花を睨んだ。


「誰にも食ってもらえない不味まずい饅頭をもらってやろうというのだ」

「不味くはない。むしろ、この餡と芋の塩梅あんばいが絶妙じゃ。欲しいのであれば素直に欲しいと言えば良い」


 藤花が食べかけの饅頭をぐいっと突き出して言い返す。綱役の鬼が怒りで顔を歪めた。


「綱役筆頭の儂に向かって──。こんな物を食っては、伝染うつると言うておるのだっ」

「……意味が分からぬ」


 藤花は大きなため息をついた。


伝染うつらぬ。伝染ると言うて、おまえは饅頭を食べるのか。おかしいとは思わんか、兵衛」

「は、左様に」


 後ろに控えた兵衛が無表情ではあるが、かすかに口の端に笑いを浮かべ静かに頷く。綱役つなやくが兵衛を一瞥してから、藤花の一本角をじろじろ眺めた。


「一つ……、どこの姫御じゃ」


 女の角をじろじろ見るなど、そもそも作法がなっていない。藤花はまともに相手をするのも馬鹿らしくなりながら北の御座所おわすところの方角を指差した。


「奥院じゃ」


 すると、綱役をはじめ二つ鬼の集団がどっと笑った。


「奥の姫君が、角もない従者とかような場所で饅頭を頬張っておるものか。それに奥の姫君は里一番の美しさだと聞くぞ。そこそこ程度の姫御が何を言うておる」

「そこそこ程度で悪かったの。それは姉様のことじゃ」


 むすっとしながら藤花が言い返した。後ろで兵衛が笑いを堪えているのが分かり、さらに腹立たしい。


 さて、どうしてやろうか。


 藤花が目の前の綱役の処遇についてあれこれと考えていると、店の主人が藤花と綱役の間に割って入った。


「若様、こちらの御方はまだ世間のなんたるかも分からぬ年端もゆかぬ娘様にございます。どうか、これにてお引き取りくださいませ」


 言って主人はさらに饅頭を包んだ紙を綱役に差し出した。綱役がじろりと不機嫌そうに主人を睨む。折しも藤花との口論に、通りを歩くあやかしたちが高みの見物をし始めていた。

 彼は忌々し気に舌打ちをして乱暴に包みを受け取った。そして藤花に向かって「ふんっ」と鼻を鳴らし踵を返し去っていった。


 日常の喧騒が再び訪れる。遠巻きに成り行きを見守っていた者たちも、「なんだ、しまいか」と散っていく。


「なぜ──、」


 納得がいかないのは藤花だ。彼女は批判的な眼差しを主人に向けた。


「あのようなことをしては、つけ上がるではないか」

「そうかもしれません」


 主人が藤花の怒りを受け止めながら穏やかに笑った。


「しかし、この先もここで饅頭屋をしていくためには必要なことなのです。私は、先ほどあなた様に美味いと褒めていただけただけで十分でございます」

「……」


 振り返り兵衛を見る。彼もまた、「これで収めましょう」といった目で彼女を見返した。もやもやとした気持ちが腹に溜まる。

 藤花は手に持っていた残りの饅頭を、まるごと口へ放り入れた。


「うむ、美味い。必ずや届けよ」


 口の中に広がるのは餡の甘さか、己の甘さか。何もできなかった自分が、ただ腹立たしかった。

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