Stadium
体の筋繊維が全てちぎれてしまった。嘘だ。実際にはちゃんと力を入れれば体は動く。
ただしその力を入れるための意思エネルギーが圧倒的に欠如している。
溶け切って、流れていく。
僕は猛暑の中、ジリジリと火に焼かれてベンチに座っていた。
座るというよりも、引っかかっているという方があっている。
足を地面にほっぽりだして、座面に背中で座り、背もたれのせいで首が曲げられて少し痛い。
「野球のルールくらい知っているんだろう?」
一方、隣のおじさんはちゃんと腰を据えていた。
「でもしたことがないんじゃ面白くないですよ」
ああいうのはやったことがある人だからわかるものなんじゃないのだろうか。
そりゃ、素人が見てもすごいと思うプレイングはあるかもしれないけれど、やっぱり興味がない人からしてみれば、何が面白いのか見当もつかない。
野球って、ボールを投げて、棒で打って、走るスポーツだ。それは知っているし、見ていればわかる。
しかし見ているだけで楽しいのだろうかという疑問は解消されないし、その答えを僕は知らない。
「ルールさえ分かっていればなんとかなるのさ」
何とかって、何なのだ。
ルールと、プレイヤーと、淡々と進むゲーム。
面白いか?
しかしおじさんにそれをきくのは気が引けた。初対面の人にいうものじゃないだろう。
……このおじさん、誰だ。
「そううまくいきますかね」
今度は上から声がした。僕の座席の上の段に、また別のおじさんが座っているのだろう。
もう確認するために体を起こす気力はない。
「どうせ審判は公平じゃないんだからさ」
上のおじさんが言った。
「バカ言うんじゃない。野球の審判になるのがどれほど難しいのか知っているのか」
「知っていますとも。わたくし、元審判ですので」
「な、何だって!?」
「審判がこう言うのだから、間違い無いでしょう?」
「お前、そんな叛乱危険推理をしているのか!」
「いいじゃないですか、わたくし一人のものですし」
「じゃあ、明日のゲーム、どっちが勝つか教えてくれ!」
「わたくしは右にかけるとしかお教えできませんね」
「よし、右だな!」
おじさん同士が会話を続ける。僕の隣に座っていたおじさんが立ち上がる。
そして走り去っていった。
しばらくして帰ってきた。
おじさんが行って帰ってくる間、何もなかった。
あったのは芝生が敷き詰められたグラウンドだけ。
「偽物ですね」
上のおじさんが言った。
「誰のことだ」
「全てですよ」
隣のおじさんは頭を抱えて考え込み始めた。そして、
「理解したぞ」
と結論づけた。
「お前、野球のルールは知っているか?」
僕にきいているのだろうか。
「知っていますよ、一応」
「じゃあどうして野球は始まり、終わると思う?」
知らんがな。
「じゃあどうしてゲームは進むんです?」
僕がきいてみた。
「お教えしましょう」
上のおじさんが応えた。するとさらに上から声がした。
「呆れたよ」
「この声は!?」
上のおじさんが驚く。
「どうも、嘘つきです」
野球とは、いい哲学ですね。そう僕の二段上の座席からまた別のおじさんが言う。
「大体ほぼほぼ何となく見えたように進めばいい」
二段上の嘘つきおじさんが答えた。
「狂ってるように見えます」
僕が応えた。
「秩序があるのが好みかい」
何の話をしているのだっけ。
そういえばなんで野球場にいるのだっけ。
ああ、あついなあ。
「おや、雨が降ってきたぞ」
隣のおじさんが話の腰を折る。確かに雨が降ってきたようだ。
しかしそれで涼しくなるようなことはない。雨と汗が混じって肌の上を流れていく。不快なだけだ。
「では屋根を作りましょう」
嘘つきが指を鳴らすと、機械音と振動が鼓膜を揺らした。
なんと、スタジアムの横からシャッターのしぼりのように屋根が出てきたではないか。
「実はここ、サッカースタジアムなんですよ」
「嘘つけ」
雨は止んだ。照明はなかった。
そして試合が始まった。
おじさんたちは大負けをして、そのままどこかへ帰っていった。
帰る場所なんてあったのだろうか。
僕の居場所はどこだろうか。
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