第九話 僕と火竜の宝物

 僕のつばを飲みこむゴクリという音だけが聞こえてくる。

 アキトの声に火竜が反応を示す様子はなく、部屋の中はしばらく沈黙に包まれた。

 もしかして今度こそ本当に眠ったのでは……? と期待していると、ようやく地面の奥底から聞こえてくるような、低い、低い声が響いてきた。

「ああ……。おはよう……。アキトか…………。どうやら面倒をかけてしまったようだね。――それで、何用かね?」

 その声は間違いなくさっきと同じ火竜のものではあるが、どこかモゴモゴとしていて滑舌が悪い。まさしく寝起きのそれだった。

 それから、目を閉じたままこちらに顔を向けて、僕の姿を見つけた。

「おや。さっきも来てくれた子だね」

 覚えられていたことに僕はビクッとした。

 どうして目を閉じているのに僕が分かるんだ。しかも覚えられている。

「さっきはすまなかったね。せっかく来てくれたというのに」

 言いながら火竜は、ポリポリと申し訳なさそうに自身のあご先をかいている。

 さっきとまるでひとが違っていて、なんだか優しそうだ。

 モゴモゴとしていた口調も、段々はっきりとしてきていた。

「――なんだ。本当に起きている火竜に会っていたんだ」

 アキトが火竜と僕を交互に見た。

 確か、僕がさっき一人で入ってきた時、最初のうちは火竜は眠っていたのに、うっかり起こしてしまった――と思っていたけど、逆だったのか。

「最近は歳のせいか、本当に起きていられる時間が短くなってしまってね。――人間のこどもと話をするのはずいぶんと久しぶりだから、なんとか起きていようと頑張ったんだが……、結局睡魔に負けてしまったよ」

「でも、会話はしました、よね? 名前を聞かれて、答えて、それで、僕の名前を呼んで……」

 今の火竜は優しそうだけど、それでもまだ彼を恐ろしく思う僕は、アキトの後ろに半ば隠れるようにして、ボソボソと主張した。

「ああ、名前まで教えてもらっておいて覚えていないとは、情けない。いやね、本当に起きていようと努力はしていたんだよ。――坊や、すまないね。もう一度名前を教えてくれないかい」

 うなだれた火竜は、地面にこすりつけた頭をねじって、小さな僕に目線を合わせてお願いをしている。

 あの熱い息や火をはき出していた竜と同じとは、とうてい思えない姿だった。

「…………悠太、です」

「おお。ユウタか。それで、どうしてここに? ――アキトがわざわざ儂を起こしたということは、何か訳があるのだろう?」

 僕の名前をうれしそうに口にした火竜は、――相変わらず目を閉じてはいるが――アキトを見ながらそう言った。

 そしてそれにアキトはうなずき、バケモノにさらわれた佳音のことを話した。


「――それで、真実の剣が欲しい、と?」

 うーんとうなりながら、火竜は指の甲であごの下をさすっている。

「確かに、こどもたちを無事に帰すには真実の剣でなくてはならんな。しかし……。うーん」

「どうせこのまま持っていても、使うことはないんだろう?」

 アキトにそう言われ、火竜はうっと声をつまらせて、そして言った。

「確かに、アキトの言うとおり、もう使うことはないだろう。しかし、しかしな、ここにある物は、儂のこれまでの人生の全てだ。――もう二度と会うことの出来ぬ者。戻らぬ時間。それでも、儂は眠りの中で、これらを通し、また彼らと対話をすることが出来るのだ」

 火竜のまぶたの隙間から、大つぶの涙がぽたりと落ちてきて、床に小さな水たまりをつくった。

 思い出の品、か。

 なんだか申し訳なく思えてきて、他にいい方法がないかとアキトの顔を見たが、アキトは引かない様子で、さらに火竜に言った。

「眠る時間が長くなっているのは、歳のせいだけでないだろう。一つ減らせば、その分起きていられる時間も長くなる。眠っている間に暴れて迷惑をかけるくらいなら、起きて新しい思い出を作ったらいいんじゃないか?」

 どういうことなんだろう。

 さっき火竜は「眠りの中で、これらを通してまた対話が出来る」と言っていたけど、それが眠っている時間が長くなってしまう原因なんだろうか。

「――分かってはおる。分かってはおるのだが、そう簡単には割り切れぬよ……」

 うっうっと泣き続ける火竜に、何て言葉をかけてあげるのが一番いいのか分からなくて、

「それは……、僕も、分かります」

と、ただそれだけを言った。

 それは本当に、僕もそう思っているから。

 けれどすぐに言ったことを後悔した。

 この後、火竜はさらにだまりこんでしまったからである。

 檜葉だったら、きっともっと相手の望むことを言えただろうに。

 アキトも何も言わない。

 どうすればいいのか分からなくてじっとしていると、急に口調を強くした火竜が顔を上げて僕に言った。

「よし。ユウタ、お前の心根は分かった。お前に真実の剣をゆずろう!」

「いいんですか⁉︎ 大切な思い出のこもった宝物なんでしょ⁉︎」

 それを言うと、火竜はまた「うっ」となっていたが、今度はすぐに立ち直った。

「そうだ。――だがユウタ。お前なら、その大切な思い出のこもった儂の宝物を、正しく使うことが出来ると見た」

 火竜は体をかがめると、手のひらに乗せた剣を僕の前に差し出した。

「ありが……」

「その代わり、なのだが」

 火竜は言いながら、剣を乗せていた手をにぎって、僕から剣を隠してしまった。

「そ、その代わり……?」

「その代わり、……ユウタよ。お前の宝物も儂にゆずってくれぬか?」

「僕の宝物? 今?」

 大切な物をくれるのだ。僕からも何かあげるということに文句はない。

 けれども、今ここでは、火竜に渡す宝物と言える物など持ち合わせてはいなかった。

 念のために確認すべく、背中からリュックを下ろして中をのぞきこんだ。

――財布、交通系のICカードとテレホンカードの入ったパスケース、水筒、図書館の本、タオルハンカチ、ポケットティッシュ、それから、ナナカマドか。

 この中で一番高価なのはICカードとテレホンカードだけど……。

「あの、ICカードとかテレホンカードって、どう思いますか?」

「カード? トランプのようなものか?」

「……なんでもないです」

 やっぱり知らないか。

 財布だって大してお金は入ってないし、しかも日本のお金だ。

 あとは、服と靴……。

 何もないと思いつつ、服の上からポンポンと体中を叩いているうちに、ズボンのポケットに何かがあることに気がついた。

 何だろうと少し期待をしつつ取り出すと、それは家のカギだった。近所の神社の御守である水晶の根付が付いている。

 カギはともかく、水晶の御守なら……と、チラと火竜の反応をうかがってみたけれど、残念ながら全く興味はなさそうだった。

 火竜の周りには、キラキラと輝く金銀財宝が所せましと置かれているのだから、この程度では満足できまい。

 どうしようかと考えながら、反対側のポケットに入っている物も取り出してみると、それは本の間にはさむ「しおり」だった。

 うすっぺらいステンレス製のしおり。

「おっ⁉︎」

 この時、初めて火竜が反応を見せた。

 それは、剣のつかにドラゴンの頭、つばに翼が付いていて、さらに尻尾の部分が刀身となっているデザインだった。

「おお、おお。これは良い!」

 よほど気に入ったのか、鼻をふくらませて声を上げている。

 いつだったか、お父さんの本の中にはさんであったのを見つけ、気に入ってそれからずっと使っている。

 昔、大きなイベントでお父さんが脚本を書いたお芝居をした時に、話の内容にちなんで作った記念品なんだと、お母さんが教えてくれた。

「ユウタ。これならば真実の剣と相応の価値があろうぞ! どうだ」

 僕は唇をかんでじっと考えた。

 火竜だって、あんなに泣いてしぶっていた、思い出のこもった剣をゆずってくれるんだ。

 それに、みんなで無事に家に帰るには真実の剣が必要だって言うし……。

「ユウタ、大丈夫か?」

 どうにかして自分の気持ちをだまそうとしている僕にアキトが気づいたのか、心配そうにのぞきこんでくる。

「どうしても必要な物なら、無理をしないで、そっちのなんとかカードとかでいいんじゃないか?」

 それを聞いて、僕は思わずぷっとふき出してしまった。

「ユウタ?」

「あはは。必要って言ったら、ICカードの方がなくなったら困るなあ。……うん。いいよ。このしおりと交換します」

 僕はしおりを手のひらの上に乗せて、火竜の前に差し出した。

「おおっ」

 そして火竜がやったように、僕も手をにぎりこんでしおりを隠した。

「その代わり……」

「ん? その代わり? 何だ?」

 火竜が心配そうな顔をする。

「大切にしてください」

「もちろんだ」

 笑顔で答えてくれた火竜につられて僕も口元をほころばせて、にぎっていた手を開いた。

 器用につめ先で小さな小さなしおりをつまみ上げると、とたんに魔法が解けたようにしおりは本来の大きさに戻った。

 それは、あのしおりがもう僕の物ではなくなった証拠なのだと理解して、さびしさを覚えた。

 けれどすぐに火竜が、

「ではこれも受け取るがいい」

と、今度こそ剣を差し出してきたので、気持ちを切り替えることにした。

 だが、受け取ろうとしてはっとした。

 火竜の手のひらでは小さな剣だけど、小人サイズになっている今の僕には、とんでもなく大きな剣なのだ。

 火竜の手のひらに乗って「よいしょよいしょ」と受け取ろうとするが、なかなか動かない。

 見かねたアキトが手伝ってくれて、ようやく下ろすことが出来たのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る