第二章

第一話 夢のつづき

 僕は川の流れに沿って進み続けていたはずなのに、いつの間にか離れていて、川が下の方に見えていた。どうやら、自分でも気づかないうちにゆるやかな坂を登っていたらしい。あの山の上から見た時にはそんな坂があるように思えなかったから、すごく不思議だった。

 しかも西にかたむく太陽を目指していたのに、今は太陽が左側にある。途中で曲がった覚えなんてないのに。


――ああ。

 それにしても眠いなあ。

 そりゃあ、さっきまで水に浸かっていたんだから、プールの授業のあと眠くなるのと一緒だ。

 もしかして、そのせいでまともに考えられなくなって、道を間違えたんだろうか。

 重くなるまぶたが落ち切ってしまわないよう、懸命にこらえながら歩いているのだけれども、つい、カクンと、一瞬眠ってしまった。


 歩いているのに眠ってしまうなんてあり得ないと、僕は自分におどろきあわてて起きた。

 そしてまぶたをこすっていると、

「よう。無事か」

というカッコいいひびきの声が聞こえてきた。

 その声の主はというと、川に沿って進むということを教えてくれた、あのカブトムシだった。

「え?」

 僕は自分のいる場所を確認した。

 どう見ても山の中、そして、黒い馬の上にいる。

 正面を見ると、黒い馬の上で苦しそうに顔をゆがめている檜葉の姿があった。

「檜葉……くん」

「虫の知らせってやつかな。どうにも気になってね。様子を見にきたんだが……、ナイトメアに捕まっているとは。やはり来て正解のようだ」

「ナイトメア……」

 まさか今までのすべて、ナイトメアの見せた夢だったっていうのか。

――太陽は、すでにかなりかたむいている。今は三時くらいだろうか。

 ここから、今からで間に合うのか?

「檜葉くん! 檜葉くん起きて! 檜葉くん」

 いまだうなされ続けている彼に、起きる気配はない。

「そうだ」

 リュックからナナカマドをぬき出す。

「これ! あっちの檜葉くんに届けてもらえませんか?」

 カブトムシは、ナナカマドと向かいにいる檜葉を確認してうなずいた。

「オーケイ。任せとけ」

 そう言うと、ナナカマドの枝をかかえて、檜葉の方へと飛んでいった。

 カブトムシにナナカマドを置かれた直後、檜葉はさらに苦しそうにしていたけど、すぐに目を覚まして起き上がった。

 それから僕たちは、カブトムシの協力のおかげで地面に降りることが出来た。

「檜葉くん、大丈夫? バケモノの夢見たの?」

 顔色を失くした彼に声をかけると、まだぼんやりした様子で答えが返ってきた。

「ああ。もう大丈夫だと思っていたのに……」

「大丈夫? それは、何が?」

「何がって、もう出ないと思っていたんだ。なのに、今度は佳音を傷つけようとするから……」

「もしかして檜葉は知ってるの? バケモノが何なのか」

「え?」

 檜葉がおどろいた顔をした。

「だから、バケモノって何?」

「バケモノ? えっと、佳音をユウヘイしてるってやつのことか?」

「夢で見たんじゃないの?」

「夢? ああ。起きたときは覚えてたんだけどな、なんかもう、忘れちゃったや」

 ああこのくだりは、先に見た夢の内容と一緒だ。

 聞けるのはここまでか。

「とにかく急ごう。もう時間がない」

 モーリーンは来てくれるだろうか。

 オオカミに会わないようにしないと。

 そしてゴブリンの洞窟には、絶対落ちてはいけない。

 僕はくちびるをぎゅっとかみしめた。

「……ナイトメアに悪夢を見せられる前と、なんか、悠太すごく変わってないか?」

「そうだね。いろいろあったんだよ。――忘れてたこと、夢から覚めたときはまた忘れたのに、結局思い出しちゃった」

 当たり前だけど、僕の言ったことが檜葉にはよく分からなかったらしく、彼は不思議そうな顔をしていた。


 それからカブトムシと別れ、僕たちは小さな体でわき水にそって険しい山を下りている。

「あっ。美味い。これ天然水だ」

 わき水を美味しそうに飲む檜葉を前にして、僕はこの水をペットボトルに注ぎ足すべきかどうか考えた。

 夢の中で見た内容とここまでの出来事があまりに一致しすぎていることから、ナイトメアに見せられていたのはきっと正夢だったんだろう。

 だったら、絶対にこの先でゴブリンの洞窟に落ちるわけにはいかない。

 でも僕らが行かなければ、ひっくり返ったままのサムデイはどうなる?

 この先一生洞窟の中?

 その前に体を起こしてあげないと。

 だけど本当に正夢で間違いないのかな?

 僕たちが洞窟に落ちても、サムデイなんてカメは存在しないのかもしれない。

 だとしたら、洞窟には決して行ってはいけない。サムデイがいなければ脱出など不可能なのだ。

……だけど、水は持っていた方がいい。

 サムデイという僕の夢の中のカメのためではなく、僕自身のために、ペットボトルにわき水を足しておいた。



「夏衣斗ー、悠太ー。じゃあねー。バイバーイ」


 それからほどなくしてモーリーンにまた会えて、そして別れを告げた。

 この先だ。落とし穴があるのは。


 そして、予想どおりに不自然に落ち葉をかぶせてある平地に出たので、僕はそこを進もうとする檜葉を止めた。

 ここからゴブリンの洞窟に落ちてしまうことを力説すると

「なんで知ってるんだ?」

と、檜葉が不思議そうに首をかしげたから

「本で読んだんだ」

とごまかした。オーベロン王の件があったため、そんなうそでも彼は疑問に思わないでいてくれた。

「悠太ってなんでもよく知ってるよな。国語のテストもいつも一番だし。やっぱり本読んでるからか?」

「さあ。でも本は読んでおいた方がいいよ」

 うちのクラスでは、点数の良かった人から順にテストが返される。僕は、国語だけはいつも一番が取れている。反対に檜葉は、国語はあまり得意ではないようだった。

「本かあ。なんか字だけって、頭に全然入ってこないんだよなあ」

 檜葉が目を閉じて眉間にしわを寄せて言った。

「文字から絵を思いうかべるの、苦手?」

「あー、苦手かも。だいたい文の意味が分からなくて内容が分からない」

「そこからかあ。今度、檜葉くんの好きそうな、分かりやすくて面白い本持ってくよ」

「読書感想文、悠太に聞けばよかったな。今年の夏はちょっとズルしたから」

 檜葉がズルってなんか意外だ。ネットのを写したとか?

「アニメ化されたやつのアニメだけみて書いた」

 いたずらっぽく檜葉が笑った。

「それはバレてるんじゃないかなあ」

「かもな。でもちゃんと作文の最初の方に『アニメもみました』って書いといたから、アニメもみたんだなって、思ってくれたと思う」

「ええー」

 そんな話をしているうちに、あの不自然な落ち葉のある場所はとっくに過ぎて、さらに進んでいくと、鳥のさえずりが聞こえてきた。

「ここにも鳥がいるんだ」

 ギクリとして見上げると、見覚えのある鳥が飛んでいた。

「エニィデイ……?」

 僕がこの名を口にすると、ひどくおどろいた様子でその鳥がそばに下りてきた。僕が何なのか確かめようとしている風にも見える。

「――君、エニィデイ? もしかして、サムデイっていうカメを待ってる?」

 顔の前まで下りてきて羽ばたく鳥は、よどみのない言葉で僕に答えた。

「サムデイは知らないけど、カメなら知ってるわ。彼、そんな名前だったの?」

 いぶかしげにエニィデイが小首をかしげる。

「エニィデイがいなくなってあと、自分で名付けたって言ってたんだ」

「そう、あなた会ったのね、彼に。元気だった?」

「元気といえば、まあ」

 ただ、あの夢が正夢なら、今苦しんでいるだろう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 僕はおもむろに、エニィデイとのやり取りを見ていた檜葉に向き直った。

「ねえ、檜葉。今苦しんでいる友達がいて、その友達を助けにいくと、その分、妹の苦しむ時間が長くなる。……その場合、檜葉ならどうする?」

「その間、妹はずっと苦しんでるのか?」

「うん」

「じゃあ、妹を助けに行く。あいつはオレが守ってやらないと」

「そっか」

 迷いのない檜葉の言葉に、僕にはもうこれ以上のことは言えなかった。

「檜葉くん。ひとりでさいはてまで行ける?」

「え? 悠太は行かないってことか?」

「今は。――ごめん。先に行ってて。後で絶対行くから!」

 僕は来た道を戻りはじめた。

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