第十五話 白昼の弓張月
空に白い月が見える。
それは別に珍しいことではない。
見てどうなるというものでもないのに、つい見てしまうのはどうしてなのだろう。
岩山を下りきった僕たちは、農場の妖精の祝福が解けて元の大きさに戻った。
太陽のかたむきからすると、今は三時前後といったところか。
急げばまだ間に合うことが出来ると信じて、僕たちはサムデイに別れを告げた。
「ありがとう、サムデイ」
「こちらこそありがとうございました。お二人にお会いできて本当によかったです」
元に戻ってからも、サムデイと話が出来たのは意外だった。
モーリーンのときは、小さくなって初めて話が通じたから、サムデイの言葉が分かるのも農場の妖精のチカラだと思っていたのだ。
「私は農場のものではありませんからね。かの妖精のチカラはおよびませんよ。伊達に百年生きてません。カメの本気ってすごいんですよ」
首をかしげる僕たちに、彼はそんなことを言ったのだった。
「それから、この先にあるカメの里には気をつけてくださいね。私とは違う種族なのですが、カメっていうのは時間を食うものですから」
川の流れに沿って進んでいくのなら、どうしてもその里を通らなければならない。
しかし避けて通るとすれば、ずいぶんな遠回りになってしまう。
どちらが正解か、判断するのは難しかった。
時間を食われないようにするにはどうすればいいかをサムデイにたずねると、
「それはもう、自分を強く持つことです。――だけど人は、弱いものなんですよねえ」
と教えてくれた。
「強く持つ……」
その難しさは僕もよく分かっている。
「どうする? 檜葉くん」
檜葉も悩んでいた。
「よし。とりあえず走ろう」
「え?」
「つかまる前に走って通りぬけよう」
「えっ、ちょっと」
冗談などではなく、檜葉は本当に走り出していってしまった。
確かにこの里の大きさを考えたら、遠回りしていてはとても日が沈むまでにさいはてにたどり着けない。だから里をぬけていくのは仕方がないにしても、檜葉と僕の走る速さや体力の違いは、ちょっとやそっとのことでうめられるものではないということを、彼はまだ分かっていないようだ。前の方でふり返って僕を手招きする檜葉の所まで駆け寄っていく力は、僕にはもう残ってはいなかった。
その立ち止まっている檜葉の前にカメが立ち止まった。
サムデイが自分とは違う種族だと言っていたとおり、ここのカメの甲羅は山のように高くふくらんでいて、そしてみんな地上で生活している。リクガメなのだ。
どうにか檜葉に追いつくと、彼は目の前で草を美味しそうにかじるリクガメを、ただじっと見つめていた。
「檜葉くん――?」
声をかけるとはっとしたように我に返った。
「うわ、やばい。これが時間を食うってやつか」
笑いながらそう言うと、今度は追いついた僕を置いていくことなく、早歩きで進みはじめた。
「ただ草を食ってるだけなのに、なんか見ちゃうんだよ。美味そうだな、とか。食べるの下手くそだなって」
「ああ、何かをやっていた訳じゃなくて時間がたっていたときって、そういう感じだよね。今見なくていいものとか、どうでもいいこととかやって止められなくなるの。不思議だよね」
そんな話をする僕たちの前に、ひっくり返ったカメがいた。サムデイを助けたときのように、戻すだけなら時間はそう取られないだろう。
そう思っていたのだが、そのリクガメはあきらめていなかった。懸命に背中側へと頭と足をのばして、甲羅ごしに地面をけってはずみを付け、起き上がろうとがんばっている。
「うわっ。いけ。もうちょっとだ」
「……檜葉くん」
「あ」
地面をがむしゃらにけっているうちに、リクガメの体がずれて木の根元へと近づいていく。そして木の根元にぶつかった後は、それを利用して無事に本来の姿勢に戻ることが出来た。
「おー」
「檜葉くん」
見終わった檜葉が、またはっとした。
「やばいな、カメの里……。あ」
檜葉の視線の先に、またもひっくり返ったカメがいた。今度のカメは、仲間のカメが体をぶつけて起こそうとしている。
「…………檜葉くん。先に走って里の外まで出ていいよ。僕、後から追いかけるから」
「ああ、オレまじでモーリーンみたいになってるな」
「うん」
「いや、なんかさ、どうでもいいことやってるの、なんでか無性に気になって目が離せないんだよ。妹の赤ちゃんのとき思い出すからかな?」
「じゃあ急いで助けに行ってあげないと」
「うん」
また目の前で、障害物を登れずにもがいているカメがいたけれど、檜葉はそれに気を取られることなく前に進めた。
「これで大丈夫かな」
確かにこの状態を続けていけるなら大丈夫だろう。
だけどこれが本当にサムデイの忠告してくれた「時間を食われる」ということなんだろうか。
これは、そもそもカメに興味のない人なら、問題なく進めるくらいの内容だ。
サムデイが言っていたのはもっと別の何かのような気がする。
まさか浦島太郎の話みたいなことはないと信じたいけど、なぜだか妙に恐いと感じた。
それに、このまま無事にここをぬけてさいはてに着けば僕は家に帰るとして、檜葉の方はバケモノから妹を救い出さなければならない。そのバケモノのいる場所もどんなやつなのかも分かっていない。とても今日帰れるとは思えなかった。
バケモノ相手に檜葉はひとりで戦うのか?
でも僕は帰らないとお母さんもおばあちゃんも心配してしまう。
いろいろ助けてもらっておいて、檜葉のことは助けないで帰るのか?
いやいや。そもそも僕がこの世界に来たのって、檜葉に巻き込まれたんじゃないか?
だとしても、まあ、出来れば何事もなく早くさいはてに到着して、一緒に妹を助け出し、今日の夕方みんなで帰れることが出来れば、それが理想だ。
「ねえ、檜葉……くん?」
つい自分の考えに夢中になってしまったが、檜葉の意見もちゃんと聞いておこう。そう思って声をかけたのに、ずっととなりにいたと思っていた彼の姿は、そこになかった。
――先に走っていった?
それならひと声あるはずだ。
――また道草食ってる?
辺りを見渡しても、どこにも姿が見えない。
「檜葉くん? 檜葉くん!」
大きな声でも呼んでも、なんの反応も返ってこなかった。
「こんなことで時間食ってる場合じゃないのに」
この付近をさがすべきか……。
時間がないのだ。
檜葉だって先に進むはずだ。
僕はさがすことはしないと決めて、先へと歩を進めた。
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