第二話 茶トラと名乗るさびネコ
さっきまでは下り坂だったが、今度は登り坂だ。小さな体では小石でさえも大岩のように感じられ、自分ひとりだけの力では簡単ではなかった。
夢の中では、ようやく元の大きさに戻れたばかりだったっていうのに。
ずっと木の葉のすれる音くらいしか聞こえてこなかったこの山の中で、唐突に近づいてくる声が聞こえた。
「大変大変。遅刻、遅刻ーぅ!」
声のした方を見ると、古めかしいスーツ姿の白ウサギが懐中時計を見ながら走っている。
この山で、ゴブリンの飼っている家畜をのぞくと、モーリーンとエニィデイ以外の動物を見たのはこれが初めてだ。
まさかゴブリンの家畜かとも思ったけれど、それとも何か様子が違う気がする。少なくともゴブリンの家畜は人間の言葉をしゃべっていなかったし、服も着てはいなかった。
僕を追いこすようにはねていった白ウサギは、僕と同じ方向へ進んでいっている。
そしてたどり着いたのは、先ほど僕たちが落ちることをさけた、あの落ち葉に隠された落とし穴の上だった。そこで白ウサギは、あろうことか、そのままぴょんっと、ためらいもせずに地面の中へと飛びこんでしまったのだった。
「え?」
ここにゴブリンが住んでいると知ってのことなのか。それともやっぱりゴブリンの家畜なのか。
何にせよ、ウサギなんてさっきの夢の中では出てこなかった。
おかしいとは思いつつも、もう一度サムデイと出会うために、僕も白ウサギと同じ穴の中へ飛びこんだ。
僕が落ちたのは、やはり真っ暗な部屋の中で、柔らかい毛皮の上だった。
檜葉の手を借りずに、どうやってひとりでここから下りよう。
考えながら無意識のうちにふさふさした毛なみをしばらくなでていると、なんだかその毛皮が動いたような気がした。まさかゴブリンがいるのかと、息を止め周りをこっそり見てみたものの、どうもそんな様子は感じられない。
「気のせいかな……?」
でも安心は出来ない。
「と、とにかくどうにかして下りなきゃ」
意を決し、毛皮のはしをぐっとつかんで、そろりそろりと足を下ろしていく。
「痛いっ!」
毛皮が突然声を上げて動いた。
「痛い痛い。離せ離せ」
声とともに、毛皮がゆらゆらと左右に揺れる。
僕は手だけでつかまって、足を宙にぶらぶらと揺らされていた。落ちまいと、つかまる手の力を強めるとさらに「痛い痛い」という声が大きくなり、揺れも大きくなった。
「もうっ!」
ふんっと円を描くように大きく振られた勢いで、僕の手は離れ、体が宙へと投げ出されてしまった。
――地面に落とされる
僕はぎゅっと目をつむり、衝撃を待つ。
なのに、覚悟していたほどの衝撃は来なかった。実際に落とされはしたものの、その地面も毛皮のようにふさふさとしていたのだった。
尻もちをついたまま僕を放り投げた毛皮を見ると、それにはしっぽがあり、三角の耳が付いている。ゆっくりとこちらを向いて長い舌を出し、ベロベロと僕がつかまっていたと思われるところをなめはじめた。暗がりに緑色の目が光っている。
「まったくひどいにゃー」
それは大きなネコだった。
いや、僕が今小さいから大きいと感じるだけで、普通のネコと比べるとややぽっちゃりしているぐらいのものだろう。
そのネコは、まん丸な目で僕をじろじろとなめ回した。
「お前は人間かにゃ? 何か用なのかにゃ?」
ふんふんと首元のにおいをかがれるとヒゲが当たってくすぐったいのと同時に、ゴブリンに飼われているネコだったら僕を食べてしまうかもしれないという恐さで、体をよじりながら答えないといけなかった。
「と、友達を助けに来たんだ。サムデイっていう、カ、カ、カメ、知りませんか?」
僕がそう言ったとたんにネコは大きな口を開けて笑い出した。
「カメ? カメ? お前もだまされたのかにゃ。にゃははははっ」
「だまされたって……。だれに? カメ……って?」
「そのサンデイとかいうカメに決まってるにゃ」
「サムデイはそんなこと」
するはずないと僕が口にするよりも前に、そのネコはさっさと出口に向かって歩き出していた。
「そう言えば、お前の名前は何にゃ」
扉の前で立ち止まったネコが、ふり返ってそうたずねてきた。
「…………」
僕は少し考えて、「悠太」と答えた。下の名前で呼ばれるのはやっぱり慣れないけれど、この世界で僕を知っている妖精や動物たちは僕を「悠太」として知っている。サムデイをさがすには、その名の方が伝わりやすいだろうと思ったからだ。
「悠
僕としゃべりながら、茶トランはドアノブに前足をそえて出口の扉を開いた。
「え?」
開いた扉から、光が差しこんでくる。
これは一体どういうことだろう。
ここは洞窟だったはずだ。
なのに、そこには岩壁ではなくきれいな白い壁があり、その壁にそなえつけられているろうそくの明かりが、床の赤い絨毯を照らしている。
今、僕のいる部屋の床にも同じような絨毯がしかれているのが見えて、だからさっき落ちてもあんまり痛くなかったのだと合点がいった。
「えーと。あの、茶トラン……? ここって、ゴブリンの住む洞窟じゃないの?」
「にゃにゃ? ゴブリン? にゃっはははははははははは!」
茶トランはさっきよりもおかしそうに、お腹をかかえて笑い出した。
「いるわけないにゃ。ゴブリンがいたのはもっとずっと昔の話にゃ。悠にゃは今をいつだと思っているのにゃ」
「え? え? あの、いつなんですか?」
「知らなーいにゃ。でもオレが生まれてくるずっともっと前からゴブリンなんていなかったにゃ」
この廊下の様子からすると、からかわれているのではなさそうだ。
ひょっとして、僕は白ウサギに気を取られて入口を間違え、全然関係のない穴に入ってしまったのだろうか。
不安に心臓がドクドクと大きな音を立てはじめていたけれど、部屋を出て廊下をよくよく見てみると、部屋のある場所や廊下の長さなどは、僕の知っているゴブリンの洞窟と同じに見えた。
「――あの。ここに、昔、ゴブリンがいたのは、間違いないんですよ、ね……?」
もうちゃんとしゃべれるようになったと思っていたのに、予想していなかった展開に、のどで言葉がつまってぎこちなくしかしゃべれなかった。
「いたはずにゃ。たしか、うーんと昔、……あれ? すごーく未来だったかにゃ? まあ、とにかくいたのは間違いないにゃ」
「未来……?」
言っている意味が理解できなくて首をかしげている僕にかまわず、茶トランは廊下を進んでいった。
「ここにカメはいないけど、悠にゃの仲間ならいるから会わせてやるにゃ」
「仲間? もしかして檜葉くん――いや、夏衣斗っていう男の子ですか?」
お尻を振りながら歩く、自分より大きなネコの後を僕は走りながら追いかけた。
「名前までは知らないにゃー。とにかく仲間にゃ」
よく分からない状況だけど、ここにサムデイはいないようだし、脱出するためにも、僕はこのまま茶トランに付いていくことにした。
明るい廊下を歩いていると、茶トランの体の色がよく見える。白い足先に、茶色と黒と赤茶色の毛。それがシマ模様ではなく、バラバラにちらばっている。
僕はネコのことにくわしい訳ではないけれど、茶トラってこういうのを言うんだっけ? と、改めてこの世界の常識を不思議に感じたのだった。
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