第十一話 ゴブリンの洞窟

 幸運にも僕たちが落ちたのは、何か柔らかい物の上だった。ふさふさとしていて、動物の毛のような感触だ。

 まさかオオカミのようなけものか――と構えていたが、しばらくしてもそれの動く気配はない。どうやらこれはただの毛皮のようだ。

 明るい所から急に暗い所へ入ったから、まだ目が慣れなくて何も見えないでいる。僕たちが落ちてきた落とし穴をさがして見上げても、一体どういう仕組みなのか、すっかりふさがって見つけることは出来なかった。

「……悠太、いるか?」

 小声で呼んでいる声がする。

「檜葉くん……」

 小さく答えて声のした方に四つんばいで近寄っていくと、毛皮の上でゴソゴソと何かが動いているのを感じた。なんとなくそうだろうなとは思っていたが、僕の手にふれて、やっぱりそれは僕をさがしていた檜葉くんの手だったということが分かった。僕たちははぐれてしまわないよう、その手をしっかりとつかんだ。

 その頃には、段々と暗やみにも目が慣れてきた。

 だれかのいる様子はない。

 僕たちが乗っているのはやっぱり毛皮で、しかも何枚も重ねて積み上げられている上だった。

 他にも積み上げられた毛皮がある。その毛皮で作った服と、それから毛皮だけでなく、皮を加工した革のベルトもあった。

 ここはそういった物を作るための作業場なのだろう。そう広い部屋ではない。

 僕のとなりでは、檜葉が目をこらして中の様子を探っていた。

「あれ、あそこ出口じゃないか?」

 ナナカマドの枝で示された先に、それらしい扉が見えた。

 檜葉はするすると毛皮の山から下りていった。後を追う僕は、ずり落ち檜葉に受け止めてもらいつつも、なんとか着地することが出来た。

 僕たちはそれからも互いの手をつかんだままだった。

 ゴブリンの気配はないけれど、足音を立てないようにそっと進んでいく。

 出口の前に着いて外の音を確認しようと扉に耳を当てても、外からは全く音が聞こえてこなかった。

「だれもいないのか、それとも――」

 外の音が入ってこないだけなのか。

 その扉は僕たちには大きかったけれど、普通の人間にとっては小さすぎる大きさだった。

「これ、ちょっと持っててくれ」

 そう言って僕にナナカマドを預けた檜葉は、近くのハンガーラックと思われる物をアスレチックの遊具のように軽々と登っていく。それからのばした手でドアノブを回し、手前に引いた。

 ただでさえ大きな物を無理な体勢で引いたため、思っていた以上に扉が大きく開き、手前にいた僕にぶつかりはね返ってしまった。そしてそれと同時に檜葉が落ちてきた。

 運動神経のいい彼はそれでもちゃんと足で着地をしたけれど、運動音痴の僕は扉にぶつかったはずみで尻もちをついてしまっていた。すぐに檜葉が手を引いて立ち上がらせてくれたけれど、それよりも今は、開きすぎた扉と、ぶつかった際の音の方が気になった。

 出来る限り気配を消して、扉の横の壁に張り付き、しばらくの間様子を見ていた。

 それでも扉の外に気配は感じない。

 隙間からそっと外をのぞいてみたところ、どうやらだれもいないようだった。

「行こう」

 檜葉に手を引かれ、二人で部屋の外の通路へと出た。この部屋は洞窟の行き止まりに造られていて、部屋の外は、手を加えていない洞窟そのものといった感じだった。

 通路でいきなりゴブリンに出くわしてしまうおそれもあるから、壁側の岩のかげに隠れるようにして進んでいる。

 こうしていると、ずいぶん前にゴブリンが出てくる本を読んだことを思い出した。あれからかなり経ったから細かい内容は忘れてしまっているけど、確か男の子がお姫さまをゴブリンから助ける物語だった。


「悠太、どっち行く?」

 丁字路だ。道が二手に分かれている。

「……川、流れてないかな」

 カブトムシが、地下に流れる川が地上のわき水と合流して、さいはての海へ流れていくと言っていた。その川を見つけられたら外へ出られるはずだ。

「音は……、聞こえないな」

 檜葉が耳をすましてみたが、残念なことにそれらしい音は何も聞こえてこなかった。

 右の通路はつき当たりの部屋が見えるくらいの短さで、左の通路は先が見えず、横にいくつもの部屋や横道があるのが分かる。

「左に行こう」

 檜葉が、ぎゅっと強く僕の手をつかんだ。


 時間のことは気になっていたけど、僕たちは変わらずにそろそろと慎重に進み続けている。

 ある部屋の前を通っているときだった。

 突然、

「グオオオッ」

とうなるような声が聞こえて、ビクッとしたまま二人で固まってしまった。そのまま動けないでいると、また

「グオオオッ」

と、地鳴りのように低い声が聞こえくる。

 部屋の中からだというのは分かるが、中の様子までは見ることはかなわない。しかし、中からだれも出てこないということは、僕たちに気づいて出した声ではないということだ。

 そのまま部屋の前を通りぬけていくときに、また

「グオオオッ」

と声がして、もしかしてこれはいびきなのではないかと気づいた。

 昼間は外に出てこないって言ってたし、それに、僕の読んだ本でも彼らは夜行性だった。だから、今はどこにも姿が見えないんだ。

 ほっとした僕を檜葉が不思議そうに見ていたから、きっと彼らがこの時間は眠っているということを耳打ちした。

 眠っているからといって、完全に安心することは出来ない。大きな物音を立てて起こしてしまっては大変だ。それに、交代で見張りをしている可能性だってあるのだ。

 僕たちは静かに、けれどもさっきまでよりも速度を上げて、出口を探すことにした。


 部屋の扉を開くことはしないようにして、横道は様子を見つつ、進んだり進まなかったりした。

 その何番目かの横道に入ったとき、か細い鳴き声のような音が聞こえてきて、僕たちはおどろき、大きな石に身を隠した。

 そしてそこから地面をはうように離れていこうとしていると、それが助けを求めるかすれた声であるということに気がついた。僕と檜葉に対してというわけではなく、ひとりごとのようにただ言い続けている。

「水。どなたか、水。水を……」

 だれかがゴブリンに捕まってしまっているのだろうか。聞こえてくる声は一人分だけで、見張りはいなさそうだった。――しかし、これがわなではないとも言い切れない。

「悠太はここにいて」

 つないでいた手を離した檜葉が、ナナカマドの枝をしっかりとにぎって声のする方へ向かっていった。

 僕も――と言いたいところだけど、いざというとき、僕が逃げおくれて足を引っ張ってしまうおそれがある。僕は後方から、かくれて檜葉の様子を見守った。

「水、水……」

 檜葉の姿が僕から見えなくなっても、水を求める声は続いている。

 いくらもしないうちに、檜葉が岩かげからひょこっと顔を出してきた。

「悠太もこっち来てくれ」

 呼ばれたということは、危険がないと判断したってことだろう。

 声の主が気になって檜葉の後を追うと、黒い大きなかたまりが見えた。

「水、水を、だれか」

 ひっくり返ったままそこから動けずに、頭と四本の足を力なくだらりと垂れ下がらせているそれは、池でよく見るようなカメだった。

「水…………」

 彼の目に僕たちは映っていないようだ。ただうわごとのように「水」とくり返している。

「とりあえず起こそうぜ」

「大丈夫かな」

「二人でやれば大丈夫だって」

 僕は「このカメを信じて大丈夫か」のつもりで言ったのだけれど、檜葉に「起こすことが可能か」の意味でとらえられて、僕はそれ以上何も言葉を返せずに、カメの甲羅のはしを下から押そうとしている檜葉の横に並んだ。

「せーの」

 思い切りつき上げるように押したにも関わらず、甲羅は起き上がりこぼしのように揺れるばかりだった。

「あれ? なんか回ってる?」

 揺れているだけかと思ったが、なぜだか少し回転もしている。

「力のバランスが悪かったのか?」

「……はしの方じゃなくって、もっと、こう……、体当たりとかの方がいいんじゃないかな」

「よーし、それ試してみよう」

 回るカメを見ながら首をひねっていた檜葉に僕なりの考えを伝えると、彼はカメの回転をおさえつつ、体当たりの姿勢に入った。

「じゃいくぞ。せーのっ」

 二人同時に体をぶつけて甲羅をおすと、カメは真横になり、しばらくその姿勢で足をばたつかせた後、ゆっくりとかたむいて、バタンと本来の体勢にもどった。

「水、を……」

「待って」

 腹ばいにもどっても水を求め続けるカメに、リュックから取り出した水を飲ませる。ほんのちょっと開いていた口にペットボトルを差し込みかたむければ、カメののどが動いているのが見えた。

 小人用のサイズに小さくなっているペットボトルだから、あっという間に飲み終わってしまったけれど、それでもカメの目に光がもどるには十分だったようだ。

「ありがとうございますありがとうございます。おかげで生き返りました。どなたか存じませんが、このご恩は一生忘れません」

 地面に足をそろえて深々と頭下げ、ていねいにお礼を言われた。悪いカメではなさそうだ。

「どうかお名前を教えていただけないでしょうか」

「オレは夏衣斗」

「…………悠太」

「夏衣斗さんと悠太さんですね。今は無理ですが、必ずお礼をいたします。本当にありがとうございました」

「カメさんは……」

わたくしはサムデイと申します。かれこれ百年前にゴブリンに捕まり、ずっとこの洞窟に閉じ込められている者です。ついにはいたずらな子ゴブリンにひっくり返され、飲まず食わずで数週間。もうだめかと思っていたところでございました」

 そうしてまた地面に頭を付けるつつ、感謝を伝えられた。

「そんなに長い間閉じ込められているってことは、サムデイも出口知らないってことですよね」

「あ。敬語はいいです。私は助けられた身ですから。――それで出口ですね。はい。残念ですが、私にも……」

「そっか。じゃあ川は? カメなら川に入るだろ?」

 檜葉にそう言われて、サムデイは「うーん」とうなった。

「水場はいくつかありますが、川は……、見たことがないですねえ」

 水場があるのなら、そこから川に続いている可能性がある。同じことを思ったのだろう。僕と檜葉は顔を見合わせた。

「その水場に連れていってほしいんだけど」

「わかりました。では、一番大きな水場へとお連れいたします」

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