第十話 オオカミの話をするとそのしっぽが見える

「バケモノとは穏やかじゃないな。それは、今ちまたを騒がせているっていう、例のヤツかい?」

 妹を幽閉しているというバケモノに、檜葉は会ったことがあるのだろうか。

「どんなヤツだった?」

「どんなヤツって……」

 檜葉は、カブトムシに聞かれてしばらく思い出そうとしていたようだったけど、首に横に振って

「覚えてない」

と答えた。

「起きたときは覚えてたんだけどな、なんかもう、忘れちゃったや」

 そう言ったときの檜葉は、もういつもの顔に戻っていた。

「悠太も恐い夢見たのか?」

「僕は……」

 あれっ?

 僕も起きたときにはあんなにはっきりと覚えていたはずなのに、すっかり忘れてしまっている。ただ――

「恐いっていうか……」

 悲しかった気持ちだけは残っている。


 ナイトメアから離れた後、カブトムシが川の方へと案内してくれた。

 それは岩の間から流れ出ている、小人サイズの今でこそ小川と呼べるような規模のものだった。

「まあ、この辺りだとまだわき水って感じだな。地下に流れる川と合流して、さいはての海まで流れていくんだ」

 ここからほんの少しずつだけど、下りになっていっているのが分かる。登りは切り立った壁を垂直に上がってきたが、向こう側へは坂道を下りていけばいいとのことだった。

 わき水の周りには、いくつかの花が咲いていた。植物にはくわしくないから名前は知らないけれど、あの妖精たちと出会った花畑で見たのと同じような花もあった。

「夏衣斗と悠太といったな。――じゃあな。旅の無事を祈っているよ」

 カブトムシとは、そこで別れた。

 姿が見えなくなるまで足を振ってくれていた。

 そのとき、風で花々がすごく揺れていたのが、なんだか印象的だった。


 しかし、ゆるやかな下り坂といっても、岩があり、大きな植物が生えており、小さな体ではきつい道のりだった。

「のどかわいたな。これ飲んでもいいのかな」

 檜葉は手をのばしてわき水をすくっている。水に近づきすぎると、流されてしまいそうでもあった。

「あっ美味い。これ天然水だ!」

「…………」

 すべての天然水が美味しいのかどうかは知らないけれど、背中のリュックにペットボトルの天然水が入っている僕も興味がわいて、ちょっとだけ飲んでみた。

「なっ。美味いだろ」

「……ん〜」

「えっ。美味くない?」

「うーん……。冷たい、かな」

「ああ、確かに冷たいな」

 味の違いは分からなかったけれど、疲れた体に水の冷たさが心地良かった。

 この先のことも考えて、半分の量になっていたペットボトルの天然水にも、わき水を注ぎ足した。それを見ている檜葉は、なぜだか得意げだった。


「あー、いたー。もう! さがしたんだから」

 バサバサという音とともに声が聞こえて、大きなにわとりのかげが近づいてきた。

 モーリーンだ。

「『花たちが夏衣斗と悠太を見つけた』って、風の便りに聞いたんだよ」

 さっき見た花だろうか。多分これも妖精たちの祝福のおかげなんだろう。

「じゃ行くよ。乗って乗って」

 モーリーンが僕たちに背中を向ける。

「……もう勝手にどこにも行くなよ」

「やだー。夏衣斗ったら彼氏みたーい」

 夏衣斗の言葉にどこかうきうきとしているモーリーンの背に乗って、今後こそ道草を食うことなく真っすぐに下山を始めた。

「ふんっ、ふんっ、ふんっ」

 さすがに下りは登りよりも速い。

 バッサバッサと翼の音をひびかせながら、下へ下へと飛び降りていっている。

「すっごいじゃん」

「えへへ。これなら十分夕方までにさいはてに着くよ。ほら、見て」

 木々の間から、向こう側の景色がのぞく。

「あれって」

「……海?」

 水平線だ。

 あの眠っていた時間に太陽は西へと少しかたむいてしまっていたけれど、遠くに見えているのが目指しているさいはてで間違いないというのならば、山を下りて元の大きさに戻ったら、確かに間に合いそうだった。この岩山のような大きな障害物も見当たらなかった。

「モンスターもゴブリンもゴブリンの家畜も、なんにもいなくてよかったねー。おあにいさんたら本当に心配性なんだもん」

 ゴブリンとナイトメアになら、僕たちはモーリーンのいない間に会ってしまっていたんだけど、そんなことなど知らない彼女にとってはどこ吹く風であった。

「えいっ」

 大きな岩を飛び降りた。

 それは不自然に出っ張った岩で、その下に銀色の草のような物があるのを、視界のはしにとらえたような気がした。

「うわあ〜ん」

 飛び降りた瞬間、バランスをくずしたモーリーンが情けない声を上げた。

「やだあ。何かふんじゃったー」

 そう言いつつ転ばないように彼女が何とかふんばってくれたおかげで、僕たちも落とされずに済んだ。

 そしてそのまま気にせず前へと進みかけたとき、岩の中から低いうなり声が聞こえてきた。

「ウウウーッ!」

「えっ! 犬? 犬なの?」

 ビクビクしながら振り返り目にしたのは、一匹のオオカミだった。岩のわきにある穴の中から、むき出しのするどいキバと、らんらんと光る目が見える。銀色の毛を逆立て、かなりおいかりのようだ。

「クオォォーっ! ごめんなさーい」

 モーリーンはさけびながら、ものすごいスピードで走りはじめた。これまでとは比べ物にならないほどの速さだった。

 それでオオカミが見逃してくれるはずなんてない。必死で逃げるモーリーンと僕たちを、ほえながら追いかけてくる。

 相手はオオカミだ。走るスピードだけでいえば、にわとりのモーリーンよりもずっと速かった。

「オレ、オオカミ見るの初めてだ!」

 こんなときに、そんなことを興奮しながら檜葉がさけぶ。

「しかもあんなに足の短いオオカミってすごくないか」

「……そうだね」

 それは僕も気になっていた。

 オオカミが家畜というのはおかしいが、きっとこれが「ゴブリンに地下に閉じこめられてなんかされた」姿なんだろう。

 それは、オオカミの恐ろしい形相や銀の毛並みはそのままに、ダックスフントのような体つきをしていたのだった。

 それでも、捕まってしまえばかみ殺されてしまうのは容易に想像がついたから、モーリーンは必死で走り続けている。僕たちもそんな彼女に振り落とされたら今度こそ一巻の終わりだと思ってしがみついていた。

 モーリーンは自分がやっと届くくらいの高さの枝に飛び上がると、あらい息を落ち着かせながら下の様子を探っている。

「あっち! あそこの葉っぱの上なら、今の二人なら乗っても大丈夫だよ。そこから伝って向こうに降りて。そんでそのまま行くの」

「そのまま行くって、モーリーンは⁉︎」

「ココでお別れだよ。オオカミモドキはあたしが気を引いておくから、夏衣斗と悠太は行くんだよ」

「危ない……よ!」

 僕の口から思わず大きな声が出た。

「心配してくれてありがと! でも大丈夫! あたしにはおあにいさんが付いてるもん。悠太たちも妖精の祝福を受けてるんだから大丈夫だよ」

 モーリーンは僕たちを背中から降ろすと、翼の先の方の羽根でそっと頭をなでてくれた。「元気でね」と言って。

 それから向き直ると、オオカミ目がけて勢いよく飛び降りた。

「いっくよー! モーリーン・キーック‼︎」

「ギャン!」

 たまたまにも見えたけど、モーリーンの足のつめがオオカミのするどいキバをよけて鼻の頭を引っかいた。

 オオカミは痛そうに悲鳴を上げはしたものの、さっきよりも怒ったうなり声を上げてモーリーンに飛びかかっていく。

「おおーっと」

 モーリーンはまた木の枝へと飛び上がって逃げた。

「こっちだよこっちー」

 今後はオオカミよりも向こう側に飛び降り、翼をばたつかせて挑発した。追いかけてくるオオカミをまたかわしては、さらに向こうへと進んでいく。

「モーリーン、ありがとう!」

 二人で張り上げた声は彼女に届いただろうか。

 どうしても伝えないといけないと思った。

 きっとひとりだったら言えなかったけれど、ひとりじゃなかったから出せた声だった。

「行こうぜ」

「うん」

 モーリーンの指していた葉っぱ目がけて飛び降りようとしたとき、後ろの方から、遠く、小さな声がひびいてきた。

「夏衣斗ー、悠太ー。じゃあねー。バイバーイ」

 必死で逃げているのだろうに、のんきな声だった。

「バイバーイ、モーリーン」

 僕たちは見えない相手に手を振って、それから立ち幅とびをするときみたいに勢いをつけ、少し離れた場所にある葉っぱへと飛び移った。弾力のあるその大きな葉っぱは、僕たちを優しく受け止めてくれた。それから茎を伝って違う葉の上へ飛び降り、また茎を伝い、それを何度かくり返すと、ようやく地面にたどり着くことが出来た。

 わき水の流れからは離れてしまっているけれども、山のかなり低い位置にまで下りてきている。このまま進んでいっても問題なさそうだ。

 しかしそうはいっても小さな体だ。大きな岩や長い草の生える所はさけて、出来るだけ平らな地面を進むようにしていた。

 そのうちに、平たい地面がずっと広がっている場所に出た。落ち葉が地べたをおおっているだけで、危険な物のなさそうな場所だった。

 やっと現れた進みやすい地面に、僕たちは思わず駆け出した。

 すっかり安心してしまっていたのだ。

 落ち葉の上に、二人そろって乗ったそのときだった。

 あたかも大きな落とし穴にはまったかのように、ストンと足下の地面が消えて、僕たちは地下へと落ちていった。――いや、「あたかも」ではない。まぎれもなく落とし穴だった。落ち葉の元となる木なんて周りになかったのだ。あの光景が不自然であったと、僕は落ちてから気がついた。

 一体だれがこの落とし穴を作ったのか、そんなこと考えなくても分かる。

 それは、悪さばかりして、頭が良くて手先が器用な――ゴブリン。それに間違いないだろう。

 僕たちは、ゴブリンの住む地下へと落とされたのだ。

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