第八話 そこにいる敵と味方
バサバサと羽ばたく音が遠くなっていく。
そう高くはない位置から落ちた僕たちは、なんとかケガをせずには済んで、木の枝にとまったモーリーンを見ていた。
「下りてくるの待つか」
「うん」
しかし、モーリーンはそんな僕たちにまだ気がつかないのか、木の上から何かを見つけたらしく、楽しそうに別の木に飛び移ってそのまま姿が見えなくなってしまった。
「あー、行っちゃった。悠太、どうする?」
檜葉にたずねられ、僕は空を見上げた。はっきりとは見えないけれど、こもれびからなんとなく太陽の位置が分かる。
「……行こっか」
「そうだな」
モーリーンには悪いが、僕たちは西と思われる方へ向かって歩きはじめた。
しばらく歩いていたけれど、幸運にもモンスターの類いにも会うことはなかった。
「あっ。カブトムシ! すっげえ。でっけえ!」
「そうだね」
モンスターに会わない代わりに、虫をよく見かける。この辺りは鳥や動物がいないというから、虫にとっては敵が少なく過ごしやすいのだろう。それに僕たちが小さいからなおさら目に入るのかもしれない。
中でもカブトムシやクワガタを見つけるたびに、檜葉は目を輝かせていた。
「そういえばオレたち、王様の城でカブトムシとクワガタの妖精からも祝福を受けたよな。言葉とか通じるのかな」
確かに、祝福を受けたからには何かあるのだろう。
「声、かけてみる……?」
「よし。――おーい。そこのカッコいいカブトムシー!」
檜葉が呼びかけると、カブトムシがいっせいにこちらを見た。
「どうした? 人間のこどもよ」
「オレを呼んだだろう?」
「いやオレだよな」
「こら。オレに用があるのに邪魔をするな」
日中だというのに、夜行性であるはずのカブトムシが次々に集まってくる。
本当にカブトムシとも話が出来るようになったようだ。
「えーとさ、オレたちさいはてに向かってるんだけど、こっちの方角で合ってますか?」
「ふむ。さいはてね。合ってはいるが、真っすぐは進まない方がいい」
「どうしてですか?」
檜葉の質問に、別のカブトムシがカッコよく答えた。低くて落ち着いた良い声だった。
「足元が危険だからだよ。うっかりゴブリンの巣に落ちる可能性がある。まわり道になるけど、ちょっと南に進むことをおすすめするよ」
「分かりました。ありがとうございます」
檜葉と一緒に頭を下げて行こうとすると、去り際にまた別のカブトムシが
「もし迷ったら川に沿って進むといい」
と教えてくれた。
「すげー。カブトムシと話したの初めてだ」
「……僕もだよ」
「だよな!」
妹のことがあって不安になっているかと思ったけど、よっぽどカブトムシが好きなのか、有名人にでも会ったかのように喜んでいる。それを見ている僕まで、なんだか気持ちがなごんできた。
そのまま歩いていると、足元が少しずつ柔らかくなっていくのを感じた。さっきカブトムシが「足元が危険」と言っていたのはこのことだろう。これでも南よりに歩いてきたつもりだったけど、もっと南の方へ進んだ方がよさそうだ。
でも来た道を戻るのは時間がおしいから、そのまま南へ向かって歩くことにした。
――しかし、これがよくなかったのだ。
後ろから、しゃがれた声が聞こえてきた。
「おやぁ? 人間だよぉ。人間のこどもじゃぁないか。あぁおいしそうだねえぇ」
その直後、後ろを確かめるひまもなく檜葉が僕のうでをつかんで走り出した。
リレーのアンカーである檜葉に僕が付いていけるはずなんてない。しかしそんなことなどかまわずに、僕を引きずるように檜葉は走り続けた。つかまれたうでが痛い。でも僕もそれでも走り続けた。必死だった。足はもつれてめちゃくちゃで、前へ進めていることが不思議なくらいだった。
やがて地面が固くなる。だけど、すぐには止まらない。もう少し、いやもっと離れなければ――!
もう現代の人間に本能なんてないのだと思っていたけれど、このときの僕たちは全身で危険を感じていた。
これは関わってはいけないものなのだと。
「はっ、はっ、はっ」
珍しく檜葉の息が荒い。
「はっ、はっ、はっ、はあ、はあ」
ずいぶんと走って、もう完全に近くにはいないと確信が持てたころ、やっと速度をゆるめて立ち止まることが出来た。
あれはゴブリンで違いない。
まだ昼間だ。確か昼間は出てこられないと言っていた。
「うわあ。まじ恐かったあ……!」
安心したように笑っていたけど、僕をつかんだままの檜葉の手は震えていた。彼にも、恐いものがあるんだ。
「あっ。ごめん。つい。痛かったか?」
「うん」
檜葉があわてて離しても、うでには赤く跡が残っている。
「でも、ありがとう」
檜葉ひとりだったらもっと速く逃げられただろうに、それでも置いていかないでくれたことに感謝した。
――これまで、檜葉と同じクラスになる前にもクラスの中心人物なる男子は存在した。
大抵は物事をはっきり言って、行動力のある、そして何かしら人に認められるものを持っている強いやつだ。
それは檜葉もそうなのだが、それでも、檜葉は僕の知るそのだれとも、何かが違っているような気がしてきていた。
かなり南へ走った僕たちは、その後は西に向かって進みはじめた。「迷ったら川に沿って」とカブトムシは言っていたけれど、川はまだ見当たらない。
太陽は、さっきよりもかたむいている気がする。
早くこの山から離れてしまいたいという気持ちもあって、僕たちはどちらが何を言ったわけでもなく、自然と早足になっていた。
とにかく山を下りれば体も元に戻るはずだから、そうなれば危険も減るに違いない。
そう思って急いで進んでいると、段々と草むらの中に入っていっているのが分かった。普通のこどもだったら靴がかくれる程度。それより先へ進んでいくと、ひざ下まで見えなくなるくらいだろうか。今の僕たちなら、完全に草むらの中に消えてしまうほどだった。
「戻るか?」
そうは言いつつも、檜葉も心の中では前へ進みたいと思っている気がする。
これ以上進んでよいものか引き返すべきか迷っていると、ふいに何か生温かい空気を感じた。それは、ななめ上から草をかき分けるように吹いてくる。
辺りの草がゴソゴソと動いているのが分かり、またゴブリンか、それともモンスターかと身構えていたら、何か黒いものが檜葉の前に現れた。
「なんだこれ」
檜葉がおそるおそる確かめるように触る。
「温かい。これ、動物か? って、うわっ」
僕も触ろうと近寄ったとき、檜葉がその黒いものにすくい上げられるようにして目の前から消えてしまった。
「檜葉くん‼︎」
そんな彼を追いかける間もなく、今度は僕が後ろから何かにすくい上げられた。
「わあっ!」
驚いて閉じてしまった目を開くと、そこでようやく草むらの中で見えなかったそれの全体が見えた。
それは、真っ黒い馬だった。
檜葉と僕とをそれぞれの頭乗せている、二頭の馬だ。
黒といっても、黒い服とか黒い紙とか、そういった黒ではない。夜のような、例えば電気の消えた部屋に中で自分の目の前にある指先さえも見えないときのような、そんな暗やみの色だった。
この馬を見たとき、ゴブリンの声を聞いたときとは違う恐さを感じた。このまま彼らに乗っていても大丈夫なのだろうか。
檜葉の意見が聞きたくてそちらを見ると、彼は黒い馬の上につっぷしていた。
「檜葉くん――⁉︎」
しかし僕もすぐに意識を失って、そのまま同じく黒い馬の上でくずれ落ちてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます