第六話 にわとりだってたまには空を飛びたい
パックには少しだけ感謝をしている。
普段運動をしない僕の足は今パンパンになっていて、きっと明日には筋肉痛になると思う。だけど、振り返って見れば、僕たちの出発地点であった花畑や王様のお城のある森が、はるか向こう、地平線の向こう側へと消えていた。
「だいぶ進んだな」
「……うん」
景色はそれまでとずいぶん変わっていて、この辺りには妖精以外も住んでいるのか、畑があり、にわとりや牛が柵で囲われた内側にいるのが見えた。
その農場のような所に気を取られていると、突然太ももに痛みを感じた。
「痛っ! 痛い痛い!」
囲いからぬけ出してきたのか、大きなにわとりが僕の太ももをつついている。
痛くて思わずかがんだら、そいつは低くなった僕の背中のリュックから、ナナカマドの実をついばみはじめた。
「なんだ。腹減ってるのか。こっちも食うか?」
僕の枝からみるみる実が減っていくのを見た檜葉は、自分の枝からいくつか実をもいで手のひらに乗せ、にわとりの前に差し出した。にわとりは、それも遠慮なくガツガツとつついている。
「痛っ! 痛っ! 痛っ!」
つつかれるたびに檜葉は声を上げていた。服の上からだって痛かったのだ。手のひらを直接つつかれたら、それは痛いに違いない。
あっという間に食べ終えたにわとりは、満足したように鼻から大きく息をはき出すと、僕たちから数歩ほど離れた。
それから振り返ることもなく、まるで水面から飛び立つ白鳥のように、地面を駆けながらあの農場へと羽ばたいていく。囲いの柵は、僕たちよりも高い。けれど、にわとりは迷いもなく飛んでいた。
そして柵の真上まで飛んだにわとりは、残念なことにわずかに高さが足りず、足を引っかけて頭から囲いの向こうの地面へと落ちていってしまった。まるで前転をするように、丸い体が転がっていく。ようやく止まったかと思うと、すっくと立ち上がり、チラッと目だけで僕たちをうかがっていた。
にわとりでもばつが悪いのか、何事もなかったとごまかすように、スタスタと小屋の中へ歩いていってしまった。
「……実、減っちゃったね」
「飼われてるのに腹減ってたみたいだったな。なんか丸々してたけど、にわとりってあんなもん?」
「さあ……?」
こういったちょっとしたことでも、時間てとられていくもんなんだな。
「……手、大丈夫?」
「ん。痛かったけどその時だけだった。ほら」
そう言って傷も何もない手のひらを僕に見せた。
「悠太は? 足とか服とか大丈夫か?」
つつかれた部分を確認すると、僕もなんともなっていなかった。
「うん、大丈夫」
初めは真っ平らにしか見えなかった地平線に、今は新たに大きな岩山が見えている。それは行き先をさえぎるように、真横に長くのびていた。
「問題はあの山だな。まわり道は出来なさそうだし、登れる感じじゃないし、どっかぬけ道でも……」
「うわっ!」
檜葉の話を聞きながら岩山を見上げて歩いていた僕は、何かにけつまずいてくずれ落ちた。
「おい大丈夫か?」
「大丈、夫」
檜葉の手を借りて立ち上がりながら、何につまずいたのかと足元を見ると、そこには小さな赤いコーンのような三角の物があった。
その赤い三角はブルブルッと左右に揺れると、ニョキニョキと帽子の下から小さな足、体、うで、そして顔を出した。
その顔はムッとしていて、帽子に負けないくらい赤くさせていた。
「あっ。ごめん、ごめんなさい!」
すぐに、僕がけとばしてしまったのは、この赤い三角帽子の小さな彼だったと理解した。でも謝っても、彼の気は収まらないらしい。
「不愉快だ。まったく不愉快だ」
と、言い続けている。
「せっかく手助けしてやるためにわざわざ近づいて来てやったっていうのに、本当に不愉快だ」
「手助け?」
「そうだ。実に不愉快だが手助けをしてやるんだ」
そう言いながらもこぶしを作り、肩をいからせ、まるでケンカでも売られているような感じだ。
「オーベロン王に人間のこどもの手助けをするように言われたんだ。不愉快で仕方ないが手助けをしてやる」
「あの、本当に……、ごめん、なさい。ケガは」
「ない。だが、オレの心は傷ついた。せっかく手助けしようとしたのに踏みにじられて、オレの心はとても傷ついたんだ。どうしてくれる」
「……ごめんなさい」
隣で檜葉も、どうしたらいいのかと顔をくもらせている。そして話を変えるように、妖精に質問をした。
「オーベロン王に――ってことは、妖精なんですか?」
三角の帽子のイメージから、小人のようにも見える。
「そうだ。農場を守る妖精だ」
「農場? ああ、さっきのにわとりの!」
「……にわとり?」
妖精がけげんな顔する。
「さっきオレたちのナナカマドの実を食べてたんです。――ほらこれ」
檜葉が実の減った枝を見せると、農場の妖精は固く握りしめたこぶしといかった肩はそのままに、顔をさらに真っ赤にしてぶるぶると全身をふるわせた。
「…………」
何も言わないけれど、さっきより怒っているのが分かる。今の会話の中に怒らせる原因があったのか。
「………………」
何を言われるのかと、僕と檜葉は無意識のうちにピッタリとくっついていた。
「モーリーン‼︎」
「え?」
僕たちは同時に口から声が出ていた。
「モーリーン?」
農場の妖精はくるりと後ろを向くと、農場へと向かって怒鳴りはじめた。
「モーリーン! またお前か! 何度言ったら分かるんだ」
それに答えるように、農場の方から、「コケコケ」と鳴き声が聞こえてきた。
「何言ってるんだ! こんなのよりいつもやってるエサの方がいい物なんだぞ。だから太るんだ」
「クォー! コッコッ‼︎」
モーリーンと呼ばれたにわとりは、怒ったとばかりに翼をバッサバッサとはげしく動かすと、囲いを越えるべくこちらへ向かって飛んできた。――が、やはり今回も高さが足りずに足を引っかけ、農場の妖精の近くまでころころと転がってきた。
「だからそうやってぬけ出すのをやめろと言ってるんだ! お前のせいでどれだけ柵を高くしたことか」
しばらくそうやって言い合っていたが、農場の妖精はおもむろにこちらを振り向くと、
「ふん。そういうことなら仕方がない。手助けしてやる」
と不愉快そうに言った。
「あの山の向こう側に行きたいんだけど、ぬけ道知らないですか?」
手助けをしてくれると言った妖精に、檜葉がたずねてみると、
「ぬけ道? やめておけやめておけ。あの中には小鬼がいる。食われちまうぞ」
と、あっさりぬけ道を通ることを反対された。
「小鬼? へえ、この国にも鬼がいるんだ」
「ゴブリンといわれるヤツらだ。悪さばかりするから地下から出ることを許されなくなり、それでオレたち地上の者にさかうらみをしている。夜になるとこの農場の動物にも悪さしようとしてやってくるんだ。ま、オレなら簡単に追っぱらっちまうけどな」
妖精は鼻歌まじりで少し自慢げだった。
「じゃあ他に行き方はないですか?」
「山の上を越えるのが一番早いぞ」
「上……」
目の前の岩山は、「切り立った」という表現がしっくりといくような形をしている。まるで横長のケーキのように。とうてい登れるとは思えなかった。
「だから手助けをしてやると言っているんだ」
不安そうに見上げた僕たちに、農場の妖精が鼻で笑うようにそう言った。
「お前たちがこの山を越えるまで小さくしてやる。小さくなったお前たちを、動物の誰かに運ばせて……」
「コケーッ!」
まだ農場の妖精が言い終わらないうちに、モーリーンが鳴き声を上げた。
「はあ? お前に山なんか越えられるわけがないだろう」
「コッコッコッ!」
「そういう問題じゃない。それにこの山の上には」
「コッ。クォーッ! コッコッコ!」
「だから……!」
ふたり(一人と一匹)の言い合いは、いっこうにおさまる気配はない。こんなことで時間をむだにしている場合じゃないのに。
にわとりに山を飛んで越えるのが難しいのは分かるけど、農場には他にどんな動物がいるんだろう。山を越えるのが得意な動物って何なんだろう。
目の前のケンカよりも農場の方を見ていたら、檜葉はそんな僕が気になったらしい。
「何かあるのか?」
ときいてきた。
「他に、何がいるのかな、って」
「にわとり以外だったら……、牛とブタと、アヒル? この中で空飛べるのはアヒルくらいか」
「アヒルじゃない。ガチョウだ! アヒルもガチョウも空は飛べん!」
僕たちの会話が耳に入った農場の妖精が、力強く否定した。
「じゃあ山を越えられる動物なんかいないんじゃないですか」
「うちの農場の動物でなくても、この辺を飛ぶ鳥にでも頼めばいいだろう」
そう言われて見上げてみても、どこにも鳥なんていなかった。
「と、鳥じゃなくても、ネズミとかリスとかに頼めばいい」
ネズミやリスの姿を求めて辺りを見回し、そういえばここへ来てからあの農場以外で動物を見ていないことに気がついた。
「あーもー! ゴブリンのせいだ‼︎ あいつらがみんなさらっていってしまうから、他のヤツらが寄り付かなくなっちまったんだ!」
農場の妖精はくやしそうにジタバタしながら大声を上げている。
「えーっ」
「問題ない。オレは言ったことはやりとげる。二、三時間くらい待ってろ。すごいのを連れて来てやる!」
鼻息あらくそう言われたが、今の僕たちに二、三時間なんて待っていられない。
「オレ、そのニワトリがいいです」
待つことに対する不安からか、檜葉がモーリーンを指差してとんでもないことを言った。
「コッ!」
「檜葉くん……?」
「何バカ言ってるんだ。こいつは飛べないんだぞ。おとなしく待ってろ」
「でも、空は飛べなくても、さっき二メートルくらいは飛べてたの見たから、それでちょっとずつでも進んでいけたらいいと思うんです。――悠太はどう思う?」
一気に飛べる鳥よりは、確かに時間はかかるだろう。でも、本当に来るか分からない動物を二、三時間待つよりは、まだいいかもしれない。
「……僕もそれで」
「よし! じゃあお願いします」
頭を下げる檜葉に合わせて僕も小さく「……お願いします」と頭を下げた。
農場の妖精は、しばらく何も言わずぷるぷると震えていたが、結局
「まったくもって不愉快だ!」
と言いながら、僕たちの体を彼と同じくらいに小さく変えたのだった。
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