第五話 願いを望んではいけない
「だ、だれか、とめ、とめて! 止めてぇー‼︎」
僕の足は僕の意思には関係なく、凸凹としたつかみどころのない砂の上を駆け、ちょっとした岩をはね、西の地平線に向かってひたすらにつき進んでいっている。体育という体育が苦手な僕は、かけっこも当然速くはない――はずなのに、今の僕は、まるで動物にでもなったかのようなスピードだった。
しかし、そんな今の僕でも遠く感じるくらいに、檜葉はもっと速く、前の方を走っている。彼はそもそも運動会のリレーではいつもアンカーなのだ。
「待って! 檜葉くん。待って!」
珍しく大声を出して呼んだが、きっと彼だって自分じゃどうにも出来ないだろう。それにこれだけ離れてしまうと、僕の声が彼に届いているかもあやしかった。
ただ速く進めるだけならいいけど、元々の僕の体のことまでは考えてくれていないようだ。呼吸も足も苦しくて痛い。
「誰か……、お願い。僕たちを止めて――!」
はあはあと荒い息の中で、なんとかそう言った。風に乗って妖精たちの力を借りて、オーベロン王にでも届けば彼の力で止めてくれるかもしれない。そう思って。
だけど聞こえてきたのは、別の知らない声だった。
「――それがお前の望みか?」
「? うんっ。うん」
誰かは分からないけれど、どうにかしてくれるのならと、首を何度もたてに振った。
「よし。叶えてやろう」
声がそう言うと、ピタリと足は止まり、勢いあまって砂の上に顔から転んでしまった。砂をかぶったまま起き上がると、僕と同じようになっている檜葉が見えた。ペッペと砂をはき出している。
僕は立ち上がり、ヨロヨロと檜葉に向かって歩こうとしたが、さっきまで猛スピードで走らされていた足はガクガクとして、二歩、三歩進んで、そこでカクンとくずれ落ちた。
「大丈夫か」
僕に気づいた檜葉が口元を半袖のTシャツでぬぐいながら駆け寄ってきた。どうやら彼はダメージはなさそうだ。僕と違って、足元がふらつくとかもつれるとか、そういった様子は全くなかった。
「ごめん、勝手に止めちゃって……」
「悠太がなんかしてくれたから止まったのか! ありがと。助かった」
檜葉が歯を見せて笑う。
「ごめん」
「なんで謝るんだ?」
「せっかく、前の方、進んでたのに……。戻らせて」
「別にー? たいした距離じゃないじゃん」
檜葉がなんでもないことのように笑う。
彼はいつも笑っている。だれかを怒ったり、泣いたりするのなんて見たことがないし、そんな想像も出来そうになかった。
「あ、止めてくれたのは……」
先ほどの声の主をさがして辺りを見まわすと、茶色い砂のくぼみに茶色の毛玉が見えた。ネコくらいの大きさで、何かの動物かと思ったが、僕の知っているどの動物とも似てはいなかった。頭の上に付いている三角の耳で、どうにか生き物だと分かる見てくれをしていた。
「わしだ」
毛玉がしゃべった。年寄りともこどもとも聞こえる声だった。
「妖精……?」
それともモンスター?
「砂の妖精だ」
毛玉はぶっきらぼうにそう言った。
よかった。モンスターなんて口に出して言わなくて。
「お前たちは人間のこどもだな。妖精王から聞いた。お前たちの願いを叶えよ――とな」
「いちにち、ひとつじゃなくても、大丈夫……?」
「うん? ああ」
砂の妖精はうなずきながらも、不思議そうな顔をして僕の顔を見た。なぜ僕がそんなことを言ったのか分からないといった顔だった。
なぜ僕がそんなことをきいたのかというと、前に読んだことのある本の中に、願いを叶えてくれる砂の妖精の話があったからだ。その話の中では、一日にいくつでも願いを叶えることは出来るのだけれども、砂の妖精に負担がかかってしまうため、一日にひとつと決めていたのだ。
「ああそうか。お前の願いならもう叶えたから今日は終わりだ。もう一人のこども。お前の願いを言え」
どうやら砂の妖精は、僕がいくつも願いを叶えてもらえるかをたずねた、と受け取ったようだ。
「願い?」
突然話を向けられた檜葉がとまどっている。
「あ、そっか。それで悠太の願いで走るの止めてくれたんだ。――ありがとうございます」
「礼儀を知っていることは良いことだ。お前の願いを叶えよう」
砂の妖精はそう言いながらチラッと僕の方を見た。
願いを言った当の本人である僕がお礼を言っていないと言いたいのだろう。
「あの、ありがとう、ございました」
恥ずかしくてボソボソと礼を言った。
砂の妖精はそれで満足してくれたようで、もう一度檜葉の方を見た。
「願い、か……」
檜葉は目を閉じて考えている。
そんな檜葉に、僕は今伝えるべきかどうしようか気になっていることがある。物語の中でのことだ。
――僕の知っている砂の妖精は、なんでも願いを叶えてくれるが、その結果はいつも最悪のものになってしまう。しかも砂の妖精に悪意はないのに、だ。
だけど、ここにいる妖精に叶えてもらった結果が、それと同じようになるとは限らない。見た目も少し違うようだし、一日の願い事がひとつだけじゃない点も違う。もし問題なく願いを叶えてくれるのなら、檜葉の邪魔はしない方がいい。
とは思うが、それでも万が一のことがあるから、檜葉に気をつけるように伝えておきたいとも思った。
「あの、檜葉くん」
「なんだ」
僕に答えたのは檜葉ではなく砂の妖精だった。邪魔をするなと言いたげな無愛想な声に、言うのをやめそうになった。でも、
「どうした?」
と檜葉も答えてくれて、それで言葉をつなげることが出来た。
「あの。……願い事には、気をつけた方が、いいよ。間違って叶えられたら……、最悪の結果に、なるかもしれないから」
「ああ、うん。そうだな。鼻の頭にソーセージ付けられたらたまんないもんな」
考えてあいまいな言い方をした僕に、檜葉は知っている話を引き合いに出して答えた。それは別の昔話だけど、でもまあ、そういうことだ。
「んー、そうだなあ……。うん。『今日の夕方までにバケモノをやっつけて佳音を助け出したい』!」
檜葉はきっぱりとそう言ったが、言ってすぐにひとり悩んでいる。
「あ、でも、これじゃ『やっつける』と『助け出す』で二つになるのかな?」
「構わん。それでつじつまが合う。ひとつの願いだ」
「じゃあ叶えてくれるんですか!」
「ああ」
「ありがとうございます」
檜葉に笑顔で礼を言われた妖精は、どうやら悪い気はしていないようだ。表情は読めなかったけれど、三角の耳が後ろにペタンと寝ていて、どこかうれしそうに見える。
「ではさらばだ」
砂の妖精はこれ以上は関わるつもりはないと言わんばかりに、砂のくぼみの中にズズズと沈んでいこうとする。そして、おそらくは顔の部分が砂にうまる前に、思い出したように再び声をかけてきた。
「ああそうだ。人間のこどもよ。願い事は日が暮れたら消える。覚えておけ」
「えっ。ちょっ待って。それってどういう意味――? 佳音はどうなるんですか⁉︎」
檜葉があわてて呼びかけるが、砂の妖精は言うだけ言うと、また砂の中へと沈んでいってしまった。
――日が暮れると砂の妖精が叶えた願いはなくなる。
それは僕の知る物語の内容と同じだった。
「なあ。今の、どういう意味だと思う……? まさかバケモノをやっつけて佳音を助けた後、バケモノが生き返って、また佳音がユウヘイされるってこと、ないよな?」
「……どう、かな」
「大丈夫だよ」なんて、その場しのぎのなぐさめの言葉は言えなかった。言った方が檜葉は安心するのだと分かってはいたけれど、僕にはそういうのは言えない。それよりも、砂の妖精についてもっとちゃんと彼に伝えておけばよかったと後悔している。それでも、
「考えてても仕方ないし、とりあえず進もうぜ。進みながら考えよう。砂の妖精の力借りなくても、自分の力でやっつければ問題ないかもしれないしな」
と、檜葉は前を見て進みはじめた。
僕はふるえる脚をなんとか立たせる。少し休めたから、ましになったような気がした。夕方までにたどり着きたいのは僕も同じなのだ。
「待って! 檜葉くん」
呼ぶと、檜葉はふり返って僕を待ってくれた。急いでいるはずなのに嫌なそぶりも見せない。
「早く来いよ」
と笑っている。
これまで檜葉夏衣斗という人物にほとんど関わってこなかった僕は、彼がどうしていつも笑っていられるのか、不思議でしようがなかった。
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