第四話 妖精たちの祝福
「え?」
パックの言葉がちゃんと頭に入ってこなくて聞き返すと、彼は取りつくろうように喉の奥を「んんんんんっ」と鳴らし言い直した。
「失敬失敬。つまりだ。いくらイダイなるオーベロン王といえど、そうそう簡単に人間の通れるような『隙間』は作れないということだよ」
「すきま?」
「そうじゃ」
タイテーニア妃がパックの言ったことを引きついで、僕たちに分かるように説明を始めた。
「人の国と妖精の国の扉は常に開いているものではない。開くのは千年に一度きりであるぞ。――だが、ごくまれに小さな子供が入りこんでしまうことがあるのじゃ。互いの国の間のどこかにある、ほんの小さな隙間から」
「隙間……」
僕たちは、その隙間から妖精の国に入りこんでしまったということか。
王妃のとなりで、王がひげをなでながら続きを話す。
「妖精王である余ならば、その隙間を故意に広げることは可能である。というても、隙間はどこにでもあるものではなく、また、いつでも開いているわけでもない。その場所と頃合いが一致せねばならぬのだ」
それで簡単には帰れないということなのか。
気落ちする僕に、タイテーニア妃が手に持っている羽根の付いたの扇子を僕に向けて、元気付けるように声をかけてきた。
「そうじゃ! そなたの母親には妖精の使いをやるとしよう。今日のところは会いに行けぬということを伝えておくのじゃ。夢の中ならばそれも出来ぬ話ではない。よもや夢とは思えぬほどの夢でのお告げであるぞ。それならば問題なかろう?」
「今日のところは……って」
ということは、明日にはうちに帰れるのだろうか。でも、今日帰らないとおばあちゃんもきっと心配する。
「そのすきまは、いつ広げることが出来るんですか?」
悩んでいる僕の代わりに、檜葉が質問をした。
「そうじゃのう。今日の夕刻になろうかのう」
「え⁉︎」
思わず声が出てしまった。
今日の夕方だったら、そこまで気にする時間じゃない。一週間とか一年とか、すごく先になるんじゃないかと思っていたから少しほっとした。それならおばあちゃんには連絡しなくても大丈夫だ。
「……それまで、ここにいれば、いいですか?」
僕は当たり前の質問をしたと思ったのに、オーベロン王もタイテーニア妃も、パックまでもが、僕の言ったことをおかしいと言わんばかりの顔をしている。
「人の子よ。この地の隙間は夕刻には開かぬぞ」
「開くのは、さいはての地の、またさいはて」
「天であり地である場所。川であり海である、水中であり陸地である場所。――そして、
よく分からないことを言う妖精王たちに、檜葉の眉間にはしわが寄ってしまっている。
「えーと、でもそんなに遠くだったら夕方には着かないですよね……?」
「何を言っておる。人の子の足ならば夕刻には間に合おうぞ」
「え? えー、あ。その『さいはて』とバケモノがいる『さいはて』は別ってことですか?」
「同じに決まっておろうが」
オーベロン王は口にこそ出さなかったが、やはり「何を言っておる?」という顔をしていた。
これには、檜葉ばかりでなく僕の眉間にもしわが寄ってしまう。
花畑の妖精たちの会話も理解しがたかったが、王と王妃も似たようなものだとは。
「さっき、さいはてに行くには一週間か一ヶ月か一年かかるって言ってたのに、なんで夕方には着くって……。ああ、もう」
檜葉が混乱して頭をかいている。その気持ちはよく分かる。というか、僕の頭の中もまさに今そんな感じだ。
「んんー。なんで分からないのかなあ?」
パックは僕たちの間をクルクルと回ると、プカプカと浮いたまま仰向けに寝転がり、腕を組んで目をつぶった。
「だって人間の足だよ。
「人間は……、妖精より大きい、から?」
僕がおそるおそるきくと、
「その通りー!」
と、小さな人差し指に鼻の頭をはじかれた。
それならそうと最初から言ってくれればいいのに、妖精流なのか、なんだかいちいち間だるっこしい。
「――ただし。何もなければ、の話だけれどねっ」
パックが「いたずら好き」という話をよく読むのだけれど、今彼がしている表情は、まさにそんなパックをよく表している。
「何か、あるの……?」
「ふふふふふ」
「これ、怖がらせるでない」
またクルクルと飛んでいるパックをタイテーニア妃が叱る。
「何かあるやも知れぬし、何も起こらぬやも知れぬ。それはそなたらの意思の強さ、魂の強さ、さらには運の強さによると言えようぞ」
それまでじっと黙ってやり取りを見ていた他の妖精たちが、ざわざわと騒ぎはじめた
「モンスターがいるのよ」
「すごくすごくこわいの」
「とてもとてもかなしいの」
「小さくされるかも」
「あら大きくされるのよ」
「それならさいはてまでひとまたぎだわ」
やはりハチのようにブンブンと妖精たちが騒がしくしていると、それをさえぎるように、タイテーニア妃がパチンと扇子を閉じる音を立て、みな一斉に口をつぐんだ。
「妖精たちの言うように、さいはてまでの道のりには、モンスターと数多くの困難が待ち受けておる。――しかしの、そなたらがそれに出くわすとは限らんのじゃ。何ものにも出あわなければ、さいはてなぞ、人の子の足を使えばまばたきほどの時間で着こうわいなあ」
「だけど、『進めない理由』に出会ってしまったら、なあんにもしてないのに、一年くらいあっという間にたってしまうのさ」
他人事のように言うパックは、どこか楽しそうにさえ見える。みんなバケモノを退治してほしいんじゃないの? 遅くなって困るのは彼らも同じ、ではないのだろうか。僕がたどたどしくそれをたずねると、オーベロン王は、
「うむ。ヤツは我らが国のモノではないからの。アレは異物である。あの忌まわしき異物は、やがてこの国の終焉を呼ぶやも知れぬ。それはじわじわと、少しずつ蝕んでゆく手合いのモノであろうぞ」
「王様でやっつけられないんですか?」
「うむ。ヤツは我らが国のモノではないからの。アレは我らに手出しは出来ぬ。それは世界の
それから僕たちは、森をぬけ、花畑とは反対の場所にある砂漠のような場所に案内された。それはあくまでも「砂漠のような」であって、緑の草や木があるから、正確には砂漠ではないらしい。ただ、多くが砂であって、見える限り地平線の辺りまで茶色に見えている。
「さいはてとは、あの地のはての向こう、西のかなたにある。今は真上にありし太陽が、進み行き沈む所なのだ」
オーベロン王が、小さくて指輪をたくさんはめている指で、僕たちがこれから進むべき方角を差した。今のところ、モンスターもわなもなさそうに見える。
「それで、そのバケモノってどんなヤツなんですか? オレ、魔法とか剣とか使えないけど、大丈夫なんですか?」
当然のことながら、心配そうに檜葉がオーベロン王にたずねる。
王様はくせなのか、やっぱり自分のひげをなでながら答えた。
「うむ。我らが仲間の話によると、その身の丈は水芭蕉よりも大きくナナカマドよりも小さい、ということである。ひまわりと見間違えたという報告もあった。つまりは『大きい』のだ」
「ナナカマド……?」
ひまわりは分かる。水芭蕉もなんとなく……。けれどナナカマドというのがどういったものなのかは思いうかばなかった。
「弱点とか……、倒し方は?」
「知らぬ」
オーベロン王はきっぱりと答えた。
そのあまりにもきっぱりとした口調に
「そんな」
とおどろいて困っている僕たちに、タイテーニア妃が眉を下げ、続けて言った。
「アレはそなたたちの国のモノゆえ、そなたたちの方が詳しいのではないか?」
僕たちの国のモノ?
そう言われても、僕はこれまでバケモノなんて見たことがない。
もしかしたら動物、とか? 例えばクマのような。
いや、妖精の国があるのなら、妖怪がいたっておかしくない訳だし……。
いろいろ考えるが、これまでの説明だけでは、これという答えは出せなかった。
考える僕の横に檜葉が並んで声をかけてくる。
「ごめん。悠太。なんとかして夕方には着くようにするから。悠太はバケモノのことはいいから、着いたらそのまま帰ってくれよ。お母さん、心配するだろ」
そんなこと言ったら檜葉のお母さんだって心配するに決まっている。そう思ってそれを口にしようとしたが、檜葉がそんな僕に気が付いて、
「オレは大丈夫。父さんの所に行くって書き置き残してるから」
と笑って言った。
でも時間がかかったら? そもそも、バケモノを倒せなかったら? ――一体どうなってしまうのだろう。
「もし今日の夕刻までにさいはてに着かぬ場合には、
オーベロン王はそこで右手を上げ、僕たちに手のひらを向けると何かを言おうと口を開けたまま動きを止めてしまった。目だけが忙しくあちこち動いている。
妖精たちも不思議そうにそれを見ていたが、ローザがはっと気が付いたように王様の元に飛んでいって何か耳打ちした。
するとオーベロン王は何事もなかったように僕たちに手のひらを向けたまま
「汝、夏衣斗に妖精王の祝福を与える。――汝、悠太に妖精王の祝福を与える」
と、王と王妃には教える機会のなかった僕たちの名前を口にした。
それと同時に王様の手のひらが光が出てきて僕たちを包んだ。
それに驚いていると、休む間もなく今度はタイテーニア妃が
「人の子、夏衣斗に妖精女王の祝福を与える。――そして、悠太に妖精女王の祝福を与える」
と、僕たちに手をかざして唱える。
タイテーニア妃の光はオーベロン王の光とも少し違って感じた。
それに続いてローザが
「夏衣斗と悠太に赤いバラの祝福を」
ととなえ、さらに
「たんぽぽの祝福を」
「ひまわりの祝福を」
「豆の花の祝福を」
と、次々といろんな妖精たちから祝福を受けた。
やっぱり王と王妃ほどの強い光をはなつ妖精は他にいなかったけれど、たくさんの光で体中がいっぱいになったような感覚がする。
そして落ち着いた頃に、赤い実とギザギザの葉の付いた枝を持った妖精が
「ナナカマドの祝福を」
と言った。
ああ、これがナナカマドか。どこかの家の庭先で見たことがある。
「ナナカマドには魔除けの力があります。お二人の旅の無事をお祈りいたします」
ナナカマドの妖精はそう言うと、僕と檜葉それぞれに枝を渡してくれた。
「ありがと、う」
僕は背負っていたリュックの中に入れようとして、赤い実が中でつぶれて図書館で借りた本を汚すといけないと思い直し、リュックの外側に付いているポケットにさすことにした。
手ぶらだった檜葉は、最初はズボンのポケットに入れようとしていたけれどうまく収まらなくて、結局手に持っている。竹刀を持つように両手で持ってたてに振っていた。
「それじゃあ夏衣斗、悠太。君たちの旅のケントウを祈る」
現れた時と同じように舞台の役者のようなおじぎをするパックを見て、彼からは祝福を受けていないことに気が付いた。そういえばパックっていろいろな作品に出てくるけど、何の妖精なんだろう。いたずら好きだっていうのは共通しているけど……。
パックは僕たちの上で飛行機のように旋回した。さっきまでと違って、その羽根からキラキラと輝く粉が降りかかってくる。もしかして、これが彼の祝福なんだろうか。
旋回を終えたパックはいつの間か姿を変えていて、下半身がヤギのようになっていた。
そのパックが歯を見せて
「頑張ってねえー」
と笑いかけてきた途端、僕たちの足は急にエンジンをかけたようにすごいスピードで走り出し、止まれなくなってしまった。
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