第三話 王と王妃とバケモノの話
真っ赤な花びらワンピースを着たローザの率いる列は、さっきまでの勝手気ままな集団と同じとは思えないくらいにおごそかだった。
檜葉の肩や頭には何人かの妖精が座っているが、それでも真面目な顔をしてひざをそろえ、大人しくしていた。
檜葉は彼女たちを乗せたまま、僕にヒソヒソと耳打ちをしてきた。
「悠太って妖精の王さまと知り合いだったのか? それでオレたちここに来たのか?」
僕はあわてて首を横に振った。
「ちっ違うよ。……本で、知ってただけ」
「本? まんが?」
僕はそれにも首をふった。
「……お芝居の」
「へえ。悠太って芝居とかするんだ?」
「違うよ。お父さん、の」
お父さんの本棚にあったシェイクスピアの戯曲だ。お父さんとお母さんは、学生時代に演劇部に入っていたのだとよく話していた。
本には脚本や演出を担当していたお父さんの注意書きがたくさん残っていたけど、内容は演劇用なだけあってほとんどセリフばかりで、あっという間に読み終えてしまった。
「じゃあ、お父さんが芝居してるんだ」
「ううん。昔、だよ。お父さんはもう――」
「やあやあ王と王妃のお客人。我らが陛下が待ちかねだ。ここから僕が案内しよう」
そのとき、僕たちの会話などお構いなしに男の子の妖精が現れた。その妖精は、昔お父さんと観に行った舞台の役者がしていたような右足を後ろに下げて右手を胸の前にそえる西洋のおじぎをしながら、自己紹介を始めた。
「僕はパック。オーベロン王が最もシンライをよせるチュウジツなるシモベ。君たちを王の元へ案内するよう直々におおせつかったんだ。ここからは僕にまかせてよ」
そう言って胸を張り、親指で自分自身を指して見せるパックは、やっぱりどこか芝居がかって見えた。
「パック、お前がですって?」
ローザが信じられないと言わんばかりに、パックの上から下までをじろじろと見ている。それに合わせて、檜葉の肩や頭に乗っている妖精たちもパックに聞こえるようにヒソヒソと話しはじめた。
「チュウジツ?」
「シンライ?」
「シモベ?」
「何?」
「誰が?」
「どなたの?」
「どちらさまの?」
しかしそんなことは気にもならない様子で、パックは大人がよくするようにのどの奥を「んん、ん」と鳴らして、仕切り直すように僕と檜葉へまた声をかけてきた。
「失礼。妖精なんてのはすぐに他人のやることなすことにクチバシをいれてくる、実にこっけいであさはかなものなんだよ」
僕たちの周りをひらりと一周しながらそう言うと、
「さあ行こう!」
と、まるで歩くような足どりで宙を進みはじめた。
「――男の妖精もいるんだ」
先ほどまで女の妖精ばかりに囲まれていたからか、檜葉が感心したような声を出した。
「もちろんいるさ。松ぼっくりの妖精も砂の妖精もくつ屋の妖精も男だ。まあ、どこまでを妖精と呼ぶかはショセツあるがね」
「ああ! 小人のくつ屋」
パックの話の中に知っているものがあったため、檜葉が納得して声を上げると、パックもそれにうなずいた。
それから僕たちはパックに案内されるまま、花の妖精たちと一緒に花畑をぬけて森へと入った。
森の中には、花の妖精たちとは違って動物のような姿の妖精もたくさんいて、パックの言葉どおり男の妖精もいた。
そして大きなツノを持ったカブトムシとクワガタの二匹の妖精が並んで立っている所まで来ると、パックがその奥にある緑のかたまりを、のばした右手で示して言った。
「見たまえ。あそこにそびえ立つ巨城こそ、オーベロン王とタイテーニア妃の居城だ」
そこにあったのは僕たちの知っているような城ではなく、大きな、とても大きな木だった。それも一本で出来ているのではない。中心にある大きな木にいくつかの木がからまり合い、さらに大きくさせているのだ。
その木の根元には大きなうろがあり、花々でかざられた扉が付いている。
「さあさ、こちらへ」
と、パックがそのまま扉の中まで案内してくれようとしているが、いくら大きな木といっても、さすがにその扉は僕ら人間には小さすぎた。
どうしようかととまどっていると、城の中から色とりどりの蛾の妖精たちが二列に並んで現れて、ピタリと立ち止まると間を空けて向かい合った。その間を二人の妖精が歩いてくる。頭の上には王冠とティアラ。間違いなくオーベロン王とタイテーニア妃だとすぐに分かった。
「
オーベロン王がおかしな言い方をした。
「あの。王様がオレたちをここへ呼んだってことでいいんですか?」
檜葉の問いに、王はさらにおかしな返しをしてくる。
「左様。
「それで、どうして呼んだんですか?」
「
首をひねりながらのオーベロン王の言い方は、僕たちを試しているとかではなく、本当に分かっていないようだった。
「えーっと。本当に王様がオレたち二人を呼んだんで間違いないんですよ、ね……?」
「うむ」
あごの下にたくわえたひげをなでながら、オーベロン王がうなずく。だが、それ以上は何も言わずに黙ってしまった。
すると代わりに、そのとなりの妖精にしては背の高いタイテーニア妃が、にっこりと優しい笑みを浮かべながら問いかけてきた。
「人の子らよ。そなたたちの目的は何であるか?」
「目的っていうか、オレは妹に会いに行くところだったんだけど……。なんか、『バケモノにおそわれる』って言うから……」
「バケモノ?」
「うむ。うむうむうむ。なるほど、合点がいった!」
檜葉の答えに、オーベロン王の方が反応して声を上げた。
周りにいた他の妖精たちも「バケモノ?」「バケモノ?」とざわめきはじめた。
「其方らは、余がバケモノをこの国から追い出すために呼んだのだ。うむ。よくぞ参った」
王の言葉に、周りからわっと歓声が上がった。
その様子からすると、本当にバケモノはこの国にいるのだろう。
「最近ちらちらとバケモノのうわさを聞いておったが、今朝方、ついに我らが妖精の国に入り込みおったのだ。余はそのバケモノをどうにかせんと、其方らを特別に妖精の国へと招き入れた、という訳である」
胸を張るオーベロン王に、妖精たちは「さすがは我らの妖精王!」「王の中の王!」とほめそやしているが、僕には王のセリフがどこか嘘くさく聞こえていた。
「やはり王と王妃の客人で間違いなかったのですね。陛下の
僕たちを初めに案内してくれたローザがオーベロン王の前へ出ると、頬を赤く染めながら誇らしげに言った。
「うむ。その通りである。妖精王たるもの、人間ふぜいに名を知られるなどあってはならぬことであるからな。大義であったぞ、ローザ」
オーベロン王とタイテーニア妃の名前なんて、発音はそれぞれ違っているにしても、僕が読んだ本以外にも映画や舞台で知られているというのに、彼らはそれを知らないのか。確かに人間のことをよく知らないようだったから、僕たちの世界のことも知らないのは当然かもしれない。
――要するに、妖精の国の王と王妃の名前が人間に知られているのは体裁が悪いから、つじつま合わせのために、檜葉の口にした「バケモノ」を理由にした、といったところだろうか。
「だけどさ、それって本当に佳音の言っていた『バケモノ』と同じなのかな……」
檜葉も口先ばかりのオーベロン王に気づいているのだろう。不安げにつぶやいた。
その不安をぬぐうように、あるいは、さらに増幅させるようにパックが悪気もなく口をはさんだ。
「バケモノは小さな女の子をユウヘイしていると、風の妖精の友人たちの間ではもっぱらの噂だ。君の妹君だというのならば、イッコクも早く救い出さなければならないだろうね」
「ユウヘイ?」
「……閉じこめるって、ことだよ」
聞きなれない「幽閉」という言葉に檜葉の理解が付いていかないようだったので、僕がボソッと説明した。
「佳音……」
檜葉がさっきよりもずっと妹のことを心配しているのが分かった。僕たちがこの国に入りこんでいるということを考えると、檜葉の妹もここにいてもおかしくないし、バケモノだって本当のバケモノの可能性があるのだ。
「そのバケモノはどこにいるんですか?」
「うむ。遠い遠いさいはての地ぞ」
「さいはて……」
僕たちはこの国のことを全く知らない。どんな形をしていて、どれくらいの大きさなのか。それからここにあるのは妖精の国だけなのか。気候も、地形も何も知らないのだ。
「ここからどれくらいかかるんですか?」
「そうじゃな。一週間か一ヶ月か。あるいは一年かも知れぬのう」
それほど深刻さを感じさせない口調で、オーベロン王はあごひげをなでている。
「そんなに……」
当然のことながら、檜葉はひどくあせって王に顔を近づけた。本当なら服でもつかみたかったんだろうけど、何しろ相手は手のひらにも乗りそうな小ささだ。つめ寄るのが精いっぱいのようだった。
しかしあせっているのは檜葉だけではない。
僕はバケモノには関係ないし、お母さんの所に行かなくてはいけないのだ。
「あのっ」
オーベロン王に何か言おうとしている檜葉をさえぎって、僕は声を上げた。
「あの。僕は、お母さんのお見舞いに、行かなくちゃいけないんです。だから、だから僕は……」
僕の言葉に、檜葉が心配そうに僕の方を見た。
「悠太のお母さんて入院してたのか。ケガでもしたのか?」
僕は首を横に振る。
「病気で……」
元々病気がちだったお母さんは、お父さんが死んでしまった後、僕を育てるためにたくさん働いて、無理をしすぎて結局身体をこわしてしまった。お父さんが死んだのが小学二年生のときで、お母さんが初めて入院したのはその一年後、三年生のとき。それからはずっと入退院をくり返している。
「――そっか。悠太はお母さんの所に行った方がいいよな。……王様。悠太は帰してあげてください」
檜葉はちょっとだけ残念そうな顔をしたけど、オーベロン王に向き直ってそう言ってくれた。
けれど、王も王妃も渋い顔をして悩んでいるようだ。
そこへパックが、あっけらかんとこう言いはなった。
「そんなこと、出来るわけないじゃん」
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