サマータイム・エイリアン・シンドローム
檜木 海月
サマータイム・エイリアン・シンドローム
暑い夏がきたと、隣で彼女が嘯いた。
そうだねと、僕が短い同意を口にするとソーダ味の蒼の液体をアスファルトに垂らしながら彼女が密かに笑った。
月明かりが街灯のない道を照らす、寝付けない暑い夜になんの取り決めもなく外に出ればそこに彼女がいたというだけの話。
「夏はソーダだ」
「僕は、いつでもバニラが好きだけど」
「バニラは喉に絡みつくからね、私はソーダが好きなの。青いからね、涼しいでしょ目が」
「目が涼しくても、気温はちっとも下がらない」
つまらないこと言うな、そんな目線が僕を射る。仕方ないだろなんて呟いて、ただただ暑い夜の道を行くあてもなく歩く。
馬鹿みたいに騒ぐ虫の遠吠えと、煌く星空が何だか映画のワンシーンみたいだと思った、バニラ味を咥えたまま僕は両手を空に掲げて指先で夜空をトリミングして見せた。
「スマホで撮ればいい」
彼女がクスクス笑いながらそう言った。
「置いてきたんだよ、無い物ねだりしても仕方がないだろ」
「でも形に残らないでしょう、それじゃ」
「カメラの画質じゃたかが知れてるよ、こっちの方がずっと素敵だ」
「気取ってるね」
「ロマンチストなんだよ」
バニラ味がサンダルの隙間の指に落ちて、背筋が震えた。
「うえぇ、最悪」
「かっこつけてるからそうなる」
「浸ってもいいじゃん、こんな夜ぐらい」
ベタつく足の指先の気持ち悪さを忘れたい、口いっぱいに広がった好きなはずのバニラが今は少しだけ忌まわしかった。
隣では勝ち誇ったようにソーダの最後のひとかけらを頬張る彼女。
「宇宙人に会いたいの」
「僕からすれば君も十分に宇宙人だから安心していいよ」
「だから会いたいの」
なんの脈略もなく、そんなことを言い出した彼女に僕は言葉を返した。素っ頓狂なセリフだっていつものことだから。
一歩だけ、彼女が先に踏み出した。
「私だけ地球人じゃないからね、私は仲間に会いたいの」
「あぁ、そう言うことか」
頷いて、納得する。
確かにここには彼女の仲間はいない、こんなつまらない街には……それもこんな僻地には彼女の仲間はいない。ここは僕の街であっても、彼女の街ではなかった、だから彼女は仲間に会えなかった。
悔しいとは思わない、僕には彼女が理解できない。僕では彼女の理解者たり得ない、逆立ちしたって僕は地球人だから。
「また、難しい顔してる」
「デフォルトでこれだよ」
「笑ってよ」
「突然だな」
唇を尖らせて、つまらなさそうに振る舞う彼女。
「僕はあんまり自分が笑った顔が好きじゃないんだよ」
「知ってる」
「だろうね」
「私は好きだよ、笑った顔」
「知ってる」
そう言って軽く笑って見せると、そう言うのじゃないんだと彼女がぼやいた、注文が多い。
田舎道から外れ、現れた街灯に沿って歩く。
虫の鳴き声がようやくBGMみたいな音量に変わって、チカチカと点滅する街灯に誘われるように彼女が突如として進路を変えた。
「どこに行くの」
「ジャングルジムが見えたの」
「はぁ?」
「登りたくない? ジャングルジム」
子供みたいにキラキラした顔でそう言った、何歳だお前はと言う言葉が喉元まで出かけたが、そんなものを吐き出したところで彼女には効果がないことは僕が一番よく知っている。
住宅街の隅にある寂れた公園の、サビだらけのジャングルジムの上に素早く登った彼女は「危ないぞ」としたから呼ぶ僕なんて気にもせずテッペンで仁王立ちしている。
「久しぶりに登った」
「何か見えるの?」
「朝日の頭が見える」
「絶対嘘だ」
「嘘じゃないよ」
「ていうか、朝日の頭ってどこ?」
くだらない問いかけに、彼女は答えない。ただ、静かに冷え切ったような顔で僕にはみえない向こう側に目を向けている。
「見納めだ」
彼女が言った。
「そう」
僕が呟いた。
日の出が近づいてるのが体感でわかった、空が少しずつ解けるように薄明るく淡い藍色になっていく。
彼女が空の向こうに手を伸ばして、少し前の僕みたいに朝日をトリミングした。
「スマホで撮ったほうが早いんじゃ?」
「無い物ねだりしても仕方ないんでしょ?」
馬鹿にしたような声音で彼女が言う。
「それに、こっちの方がずっと素敵だわ」
見上げると、ジャングルジムのテッペンから見下ろす彼女がいた。
「私さあ。ずっとアレされたいって思ってたの」
「何。アレって」
「なんだっけ、ほらアレ! 宇宙人が連れ去るやつ、キャットなんたら」
「キャトルミューティレーションでしょそれ」
「そうそれ!」
「いや違うわ、連れ去られるのは確かアブなんたらだ」
「どっちでもいいよ。とにかくさ、それされたかったの」
僕の眼前に砂埃と衝撃が立ち込めた、一番上から飛んだ彼女は事も無げな表情で受け身も取らずに着地した。
「危ないだろ」
「大丈夫、知ってるでしょ私がすごいの」
ケロッとした顔でそう言って僕の心配なんてよそに笑う、ぬるい風が吹いて彼女の短い金の髪が揺れた。
「君が特別丈夫なのは知ってるけど、僕が危なかった今」
「ごめんあそばせー」
「謝る気ないでしょ」
汗ばんでいたはずの首筋はいつの間にか乾いていて、暑かったはずの夜は朝に切り替わるごとに少しずつ涼しくなっていく。それが終わりの合図みたいな気がして寂しくなる、小さい頃に聞いた五時を告げる鐘の音みたいな旅客機が僕らの真上を通過した。
「とにかくさ、抜け出したかったんだよ」
「……」
「窮屈で退屈だ、狭いねここは」
初めてみる顔だった、いや見ようとして見てこなかっただけなのかもしれない、最後の最後でそれを思い知らされる。
簡単な謎解きだ、僕の人生は彼女によって彩られたが、彼女はそうではなかった。僕と彼女の間の笑っちまうぐらいの認識の齟齬はきっと一生覆らない、だって彼女は僕の感情にも感傷にも気がついていないから。
気がつけるわけがないから。
「君にとってはそうだったんだね」
僕がそう呟くと、彼女がいっとう悲しそうな顔をして笑った。
腕時計を見る。夜が沈む。そうしてすぐに朝が来る。
「行こうか」
彼女が短く呟いた。
「そうだね」
僕も静かに言葉を返した。
長いと思っていた夜は、僕が思っているよりもずっとずっと短くて、身近だと思っていた彼女はずっとずっと遠かった。
・・・・・
他愛もない話をした。
それぐらいしかする事もなかった。
子供の頃の思い出とか、何になりたかったとか、彼女がこれからどうするのかとか、そんなくだんない話を繰り返す。
何か大切なことを伝えなきゃいけない気がして、喉元まででかかったそれを何度も何度も殺して沈める。
ゆっくりと歩いているはずなのに世界の時間はちっとも変わらない、それどころか早くなっている気さえした。
宇宙人が楽しそうに笑う、僕はいくらか不機嫌になる。仕方がない、僕は彼女みたいな宇宙人ではない純正の地球人だ、何をどう足掻いたって地球人以外の何にもなれない。
「笑ってよ」
彼女が言う。
「頑張ってみる」
僕が呟く。
街灯に沿って歩けば、朝日に少しづつ近ずいてオンボロな駅が視界にチラついた。
始発までの時間が迫っていく。彼女が財布から札を出して切符を買った、僕は小銭をだして入場料だけ払った。
「律義ね、誰もいないんだから勝手に入っちゃえばいいのに、乗るわけじゃないんだから」
「そうもいかないでしょ」
彼女は真面目ねなんて呟いて肩を竦めた。
「ねぇ、見て朝よ」
「見えてるよ」
「ほんとに?」
「あぁ」
「でも、そっちに朝日はないよ」
背を預けた僕に彼女が言う。
「見なくてもわかる」
「いつから超能力者になったの」
「知らなかったかずっとだよ」
「驚いた、なんでもっと早くに教えてくれなかったの」
脊髄反射で会話が続く、本質なんて見ないまま表面をなぞった意味のない会話が続き、時間だけが経っていく。
「ねぇ」
「ん?」
「楽しかった?」
彼女の問いに、僕はすぐに言葉を返した。
「あぁ」
始発の列車の灯りが背中越しにも見えて、僕は思わず振り返る。
蛍光色の光を背にして、満面の笑みで笑う彼女がそこにいた。
止まった車両に彼女は乗り込んで、僕のいる近くの席に座って窓を開けた。
「後のこと、お願いね」
「うん、まぁ、それなりにうまくやっとく」
「任せた!」
「連絡しろよ」
「うん、向こうで携帯契約したら……いや、幸せになれたら連絡する」
「いつまでかかるんだそれ」
「さぁ」
屈託のない顔で笑う。
心臓がちくりといたんだ。
「なぁ、結局何しにいくんだ」
「月の裏側に仲間がいるかどうか見にいくの」
そんな軽口を叩いた。
「一緒にこない?」
窓の向こうから彼女が手を伸ばした。
いつものふざけた笑顔はなくて、表情は真剣そのものだった。冗談じゃないことが簡単にわかった。
手が震えて、心も震える。
鉛みたいに重い右腕を動かそうとしたその瞬間、扉が閉まる甲高い音が世界に響いて僕は我に返る。
「じゃあね、宇宙人」
精一杯の強がりを吐いた。
そんな僕に気づかずに、彼女が窓から伸ばした手をさらに動かして俺の手を握った、握手でもするみたいに。
「じゃあね、地球人」
まるで全部わかっていたみたいにすっきりとした顔でそう言った。
ゆっくりとだが確実に車両が動いて、決定的に戻れない現実も音を立てて動き出した。走って追いかけるような真似も、好きだって叫んだりもしない。
涙も流さずに、僕は呆然とそこに立ち尽くして彼女の始まりを見送った。
しばらくぼうっとして、完全に夜が明けた世界を一人で静かに動き出す。
色々とやることがある、彼女の尻拭いとか。
驚く程に軽い足取りを自覚しながら二人で歩いた道を一人で辿る。途中のコンビニに立ち寄って二本目のアイスを買った。
馬鹿みたいに安いソーダ味を頬張った。
「……やっぱバニラだわ」
地面に蒼い水滴が溢れてシミになるのを見つめながら蝉の声を鬱陶しいなぁなんて吐き捨てた。
顔を拭って、アイスの最後の一口を放り込む。頭の向こう側と心臓らへんがジーンと鈍く傷んだ。
「好きだったよ、エイリアン」
食べ切ったアイスの棒には『あたり』の文字が刻まれている。
暑い夏がきた……なんて言葉を呟いた。
サマータイム・エイリアン・シンドローム 檜木 海月 @karin22
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