第5話
ランニング中に聞こえるいつものトランペット。あの中にチアキがいる。
昔はあの音を頼りに辛いことも忘れ、きついトレーニングを物とも思わず何でもできていたのに、最近はその潔いメロディさえ心を苦しくする。高2、夏、野球の季節。試合に出たければ、そんなことより部活に専念しなければならないと、頭では分かっていた。
チアキと翼が付き合ってから4ヶ月近くが経つ。もうすでにアスカとの期間の倍を上回っていて、チアキも浮かれたトキメキからだいぶ落ち着いてきたように見える。それでもなお、僕はチアキを諦め切れていなかった。
相変わらず毎朝、肩を並べて歩く2人を遠くから見つめてみたり、目を逸らしてみたりしながら、どうしようもない気持ちに襲われていたことは認めざるを得ない。良い友である翼の彼女とはいえ、羨まずにはいられず、時が癒してくれるものでもなかった。
午後6時半、部室で荷物をまとめているとスマホが鳴った。通知にはチアキからのメッセージが入っていた。
チアキ: 部活おつー!今日一緒に帰らん?
めずらしいな、どうしたんだろう、と思いながらも急な誘いに嬉しいのは隠し切れない。翼も一緒に3人で帰るとか、そんなことかもしれない。変な期待はしない方がいい。
翼は今日は遅くなっているはずだ。来月に迫る学祭の準備のために。
軽音部がないこの学校では、翼は帰宅部として趣味でギターをやっている。また同じように個人的に楽器をやっている人たちもいくらかいるようだ。
3年生が有志で組むバンドグループが、学祭のオープニングを飾るのは毎年恒例だ。自分たちでテーマソングを作詞作曲して披露し、学祭序盤の盛り上がりを見せる。その数分間、全校生徒を魅了する。女子からの歓声も目立つ。
ところが今年は3年生にギターを弾ける人がいないというわけで、2年生にも関わらず翼がバンドメンバーに入ったらしい。3年生の先輩方にスカウトされるってどんな気分だろう。2年生での活躍、しかもギター。これこそ注目を浴びることだろう。
そんなわけで翼は毎日放課後、先輩方とスタジオに足を運び、学祭のための練習をしているそうだ。
「オッケー、42分のバス?」
「翼も一緒?」
と返すとすぐに返信が来た。
チアキ: 翼はもう帰ったと思うけど。涼には相談きいてほしくて
相談。その二文字に少しドキドキしながら、バスの2人がけ座席にチアキと座った。
「はぁあ、部活疲れる〜」
「お疲れ様。吹部は全然休みないもんな」
「ほんとだよ〜、ブラックだわ」
「野球部はまだマシだからありがたいなぁ」
これ、他人からはカップルに見えているだろうか。翼が見たら嫌じゃないだろうか。意味もない心配をし、自意識過剰にもなりながらチアキが本題を切り出すのを待った。
「で、相談なんだけど」
「ん?」
「翼、私のこと本当に好きなのかな」
「好きだから付き合ってるんじゃないの?」
やっぱり翼のことか。少し口調にトゲが出てしまって後悔した。
「そう思うよね。でも私、愛されてないよ。
翼がカゼひいたときは看病しに行ったし、誕生日にはプレゼントあげたし、毎朝一緒に学校行ってるのに、翼からはありきたりな会話しか出てこなくて。寝てた授業のノート貸したし、ドタキャンされても怒らないで我慢したし、私翼に好きになってもらえるように頑張ってるのに、それなのに翼は私に何かしてくれたのかな。最近は既読無視もいい加減。それに……」
一気にたくさんの努力と不満が溢れ出ていた。惚気も多く含まれてちょっと痛かったけど、チアキが今の状況を辛いと感じているのは本当で、小さな呼吸を乱しながら、泣くのを抑えながら、細切れに震え訴えるチアキの不安には同情する他になかった。
「このままじゃ私が、壊れちゃうと思う」
「うん」
円満だと思っていた2人の関係は実際違っていた。そのことにびっくりした。涙を浮かべたチアキを、励ますわけでも慰めるわけでもなく、気の利いたことを言えなかった。そのことを後で悔やんだ。
1週間後、チアキは翼と別れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます