第10話 ソースの香り
L字型のカウンターと、4人がけ用のテーブルが4つ配置されてある、爽太の母である絹江が営むお好み焼屋。
そこの1つのテーブル席に、爽太とアリスは互いに対面していた。今日は急遽、店はお休みとなった。爽太から事情を全て聞き出した絹江による、粋な計らいである。なので、お客はアリスだけ。
すこし古びた感じの日本家屋の店内にアリスがいるのは、異様な存在感があった。田舎のおばあちゃんの家に、端整なフランス人形が飾られているような感覚。爽太は改めて、アリスの容姿に目を奪われていた。もし常連客がいたら、『おっ! 爽太ちゃん! 何やそのべっぴんさん!』、『爽太ちゃんもそんな年頃になったんやなぁ~』などいろんな冷やかしが入っていたに違いない。そう思えるほど、アリスは綺麗で可愛かった。
「そうた?」
「!?」
カチャン!
思わず右手に持っていたコテを落とした。テーブルの中央に備え付けてある鉄板に当たり、甲高い金属音が響く。アリスが驚いたように瞳を大きくする。
爽太は慌ててコテを拾い、「だ、大丈夫! 大丈夫だから!」とぎこちない笑みを浮かべた。
アリスはパチパチと瞬きをしながら、少し困惑気味に爽太を見つめる。
爽太の喉が鳴る。全身が変に緊張し、コテを持っている手がわずかに震えだす。
やっ、やばい。こ、このままじゃ、お好み焼きを上手く焼けないんじゃ……。
コツン。
「てっ……!?」
突如、爽太は頭を軽く小突かれた。慌てて後ろを向くと、母である絹江が立っていた。
「まったく……。何ぼさっとしてんの、はやくアリスちゃんに焼いてあげなさい」
「わ、わかってるよ! い、今やるとこだよっ!」
「ふ~ん? そのわりには、コテを鉄板に落としたりしてるけどねぇ~?」
「うっ……!」
爽太は頬が熱くなるのを感じた。絹江は不敵な笑みを浮かべる。
「まったく……。がらにもなく色気づいちゃって。困ったスケベな子だよ」
「なっ!? な、何言って――」
バシッ!
「つっ!?」
爽太の背中に衝撃が走る。絹江の皮の厚い手に勢いよく叩かれた。
「あんたは、いつもの調子で焼いてあげればいいのよ」
「い、いきなり何すんだ……!? このババア……!」
「なっ!? 誰が、ババアですって……!」
2人がいがみ合っていると、アリスが両手をわたわたと動かした。不安げに瞳が揺れる。すると絹江が軽快に笑いながら、口を開いた。
「ああ、いいのよ、アリスちゃん! 気にしないで。いつものことだから」
絹江がほがらかな表情をアリスに向ける。アリスは少しホッとしたのか、軽く笑う。
絹江は爽太に視線を戻す。
「まっ、ちゃんと名誉挽回しなさいよ」
絹江は意地悪くそう言い残し、爽太とアリスがいるテーブルから去っていく。そんな絹江に、爽太は心の中で呟く。
そんなの、分かってるよ。
「そうた?」
ハッとし、その声に向くと、少し心配そうな顔をしているアリスがいた。
爽太は、耳を赤くしながらも、口を開いた。
「お好み焼きをさ……、今から作るから!」
テーブルの中央に設置されている鉄板に、ササッと生地を落とし込んだ。
ジュウウウウウウウウッッッッ‼‼
生地の焼ける音が、店内に勢いよく響き渡る。
アリスはびっくりしつつも、丸い瞳で興味津々に鉄板の上にある生地を見ている。
爽太は両手に持っているコテを器用に使いこなし、キレイな円状にしていく。母である絹江の喝のおかげか、いつもの調子でリズミカルにお好み焼きを作れている。
よし、これなら……、大丈夫。
そして、いよいよ一番の見せ場がやってきた。
爽太は丸い生地の両端にコテを差し込んだ。
チラッとアリスに視線を送ると、そこにはワクワクうずうずとしているアリスの瞳。
爽太はニッと口元に笑みを浮かべると、両手のコテを大きく自分の手前に、アクロバティックに返した。
華麗に宙に舞い、ひっくり返る生地。
ジュワアアアアアア‼‼
鉄板の上に無事着陸し、再度美味しく焼ける音が響く。そして―。
パチパチパチパチ‼‼
とても楽しそうに手を叩いて爽太を見つめるアリス。
何とも心地良い気分。爽太は得意げな顔で、今度はソースを生地の表面にたっぷりと塗る。ソースが生地の上から滴り落ちた。鉄板の上で盛大に焼ける音と同時に、スパイシーな香りが店内に広がった時だった。
「same smell ‼」
「ええっ⁉ セムセル⁉」
とても嬉しそうな表情で声を張り上げたアリス。キラキラした瞳で爽太を見つめ、小さな鼻を楽しそうにクンクンと揺らした。
あっ……! その仕草。
その小刻みに可愛く揺れる鼻は、転校初日にアリスが爽太に顔を近づけたときに見たものと、同じだった。
あっ……! そうか。あのとき、アリスが顔を俺に近づけたのは、ソースの香りが気になってたんだな。
爽太とアリス、互いの目と目が合う。ニコッと楽しそうに笑うアリスに、爽太は頬を赤くする。思わず見惚れてしまう。お好み焼きのソースが焼ける良い香りが、2人をふわっと包み込む。
爽太はハッと思い出したように、慌てて仕上げの作業に入った。鰹節に、青のり、そして、キレイな線状のマヨネーズ。その手際の良さに、アリスの目は釘付けだった。そして、完成したお好み焼きを、大きな瞳で見つめている。
爽太は得意げな声を上げる。
「アリス! 食べていいよ!」
爽太はそう言うと、アリスにキレイなコテを手渡す。だが、アリスは何だか困り顔だった。
あっ、そうか。食べ方、分かんないよな。
「えっとさ! アリス!」
爽太は得意げに、自分のコテで器用に切り分けた。その内の1つを取り、口に運ぶ。するとアリスは興味深げにコクコクと頷き、不器用ながらも見様見真似でコテを使う。そして、切り分けたお好み焼きをすくって、口にした。
「んっ‼‼」
アリスが幸せそうに目を細める。どうやらお気に召してくれたようだ。パク、パク、とお好み焼きを口に運ぶ。その様子を満足げに見つめていた爽太は、ふと、アリスの口元にソースがついていることに気付いた。
「ぷっ、くくっ」
思わず笑ってしまう。すると、ピタッと食べるのを止めるアルス。
何だかキョトンとしている。
「口元、ソース付いてる」
爽太はジェスチャーで、自分の口元を触る。アリスも同じように自分の口元を指で触った。そして自分のその指を見て、どうやら気付いた様子。少し照れながらも、白のハンカチでそっと自分の口元をふいた。
ハンカチに薄っすらとついたソースの跡。アリスはそれを見て、何だか恥ずかし気だ。
「くくっ」
「そ、そうた」
爽太の吹き出し笑いに、アリスが不満げな声で訴える。少し頬を膨らまして、怒っているような表情。だが、とても楽し気な雰囲気だった。
爽太の気持ちが軽くなる。
救われた気がした。これで、スカートめくりのことは許してもらえたような気がした。いや、でもそれは、自分の勝手な思い込みかも知れない。
爽太の顔がスッと、真剣みを帯びていく。
だから、もう一度、伝えたい。
「アリス」
爽太の静かな声音。アリスが不思議そうに見守るなか、爽太は口を開いた。
「あのときは、ごめん」
爽太は頭を素直に下げた。
静寂な空気が辺りをつつむ。
ジィィィィィィ、と鉄板が熱され小さく焼ける音が爽太の鼓膜を揺らし、鉄板の熱に顔がさらされる。額から汗が滲む。
アリスはどう応えてくれるのだろうか……。
そう思うと恐くて頭を中々あげれなかった。
「そうた」
アリスの優し気な呼びかけ。
爽太はバッと、顔を上げた。
ふわっ。
「えっ……」
額に感じる柔らかな感触。一瞬、何が起こったのか解らなかった。でも、すぐに分かった。アリスの小さな手で狭まった視界に、僅かに覗く白い布地。アリスは手にしている白のハンカチを爽太の額に当てていた。
なっ!? ええっ!?
爽太の混乱をよそに、アリスは爽太の額に何度もハンカチを優しく押し当てる。滲んだ汗を拭うために。
だが爽太はそんなことに頭が回らず、あることに意識がいってしまっていた。
そ、そのハンカチは……、さ、さっき、アリスが口元を拭いた……。
爽太の目が、アリスの小さな口元に吸い寄せられる。淡い朱の色がキレイで、艶やかな薄い唇。
爽太の体温が急上昇する。声にならない声が口から漏れる。
しばらくして、アリスが満足げな様子で手を引っ込めた。
茫然としている爽太をよそに、ニコニコと笑うアリス。右手にはコテが握られ、フリフリと楽し気に動かし、何かを待ち望んでいる様だった。そして、何だか許してくれたような仕草にも見えた。
……って、今はこんな、ぼーっとしている場合じゃ、ないよなっ。
コテを持つ手にグッと力を込めた。
「うしっ! ちょっと待ってて!」
鉄板に新しい生地が落とし込まれる。勢いよく熱く焼ける音が店内に響き渡った。
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