第5話 頬の手形と痛み
学校から帰宅した爽太は、自分の部屋に引き籠っていた。
勉強机の椅子に深く腰掛け、項垂れていた。机の上には白のハンカチが置いてある。
「はあ~……」
爽太は白のハンカチを見つめながら深くて重いため息をついた。そんなことを、もうかれこれ1時間は繰り返しているだろうか。
アリスへのスカートめくりの件で、爽太はあの後、取り巻きの男子達も含めて藤井教諭にみっちり叱られた。そして、今後スカートめくりはしないように、と大きく釘をさされた。
藤井教諭の立会いのもと、爽太はアリスにちゃんと謝ったものの……。
悲し気な様子で終始俯いたままだったアリス。
そんなアリスに、ハンカチを返すタイミングが解らず、爽太はそのまま家に持ち帰ってしまった。
どうやって、アリスにハンカチを返そう。
爽太は頭を悩ます。ふと、アリスの泣いてしまった顔が鮮明に蘇る。
左頬がうずく。思わず手を伸ばし触れた。
どうすればアリスに、許してもらえるだろう。
どうすれば、もとの元気で明るい顔をみせてくれるだろう……。
しばらく考えても答えは出なかった。
「はあ~……」
爽太の深いため息が部屋に響く。
ガチャリ。
突如、部屋のドアが開く音がした。爽太の両肩がビクッと跳ねる。机の上に置いてあるハンカチを慌てて手に取り、ポケットに隠した。
「爽太、あんたなに? 珍しく大きなため息なんかついて」
爽太の母親である絹江が、怪訝な様子で尋ねた。
爽太は慌てて振り返り、口を開く。
「べ、別になんもないし!? てか、か、勝手に入ってくんなよ‼」
「はいはい。そんなことより、ちょっと店を手伝ってくれるないかい? お客が多くて焼くのが間に合わないのよ」
開け放たれたドアから、ソースのこうばしく焼けたスパイシーな香りが、爽太の部屋に流れ込んでくる。
「ええ~……、今、そんな気分じゃ……」
爽太は眉を寄せ、否定的な表情を見せる。すると絹江は、白けた目で爽太に言う。
「小遣い減らすよ」
「…………わ、わかったよ」
爽太は眉間にしわを寄せながらも、絹江と一緒に自分の部屋から出て行った。
〇
閉店後、爽太が鉄板の掃除をしていた時だった。
「爽太」
「ん? なに?」
爽太は視線を鉄板から、母親の絹江に向ける。すると、絹江はなんだか呆れた様な表情をしている。爽太が眉根を寄せ訝しんでいると、
「あんた今日、女の子とケンカしたでしょ」
「なっ⁉⁉」
カチャン‼ カチャコン‼
絹江の突然の言葉に、爽太は手にしていたコテを鉄板の上に落とした。かん高い音が店に響き渡る。爽太が動揺しながら声を荒げる。
「なっ、なんだよ! いきなり⁉」
そんな爽太を、絹江は困り果てた顔で見つめる。
「まったくあんたって子は。あのね、あんたの顔に、そう書いてあるんだよ」
「はっ、はあ⁉」
そんなこと、あるわけないだろ⁉
爽太は絹江が大嘘をついていると言わんばかりに、顔をしかめる。だが絹江が、爽太の顔を指さす。
「じゃあなんだい、それは? あんたのその、ほっぺたに付いた手形のあとは」
「へっ? ……なっ!? ええっー!?」
爽太は慌てて左頬を片手で隠したがもうすでに遅かった。
左頬がジーンと急にうずく。アリスの悲し気な表情と涙が脳裏に浮かぶ。
爽太の青ざめるような表情を見て、ギロリと絹江の鋭い視線が爽太に向く。
「あんた、その子に手を上げたりしてないだろうね」
その言葉に、爽太の全身に緊張が走る。たどたどしくも、口を開いた。
「手、手は出してない」
だが、そう言ってハッと思う。スカートをめくるというのは、ある意味、手を出しているのではないかと。
難しい顔で悩む爽太に、絹江が少し困った声音で話す。
「まったく……。ちゃんとその子に謝ったんだろうね?」
「あっ、謝ったよ、ちゃんと……」
「ふ~ん? じゃあ、ちゃんと許してもらえたのかい?」
「…………うん」
「ふ~ん? それなら…………、良いんだけどね?」
絹江の問いただすような声音に、爽太はつい顔を伏せてしまった。鉄板の上に落としたコテが目に映る。爽太は無言のまま、コテを手にした。そして、大きな鉄板に視線を集中する。所々についた焦げの後。爽太は、鉄板に付いた焼き焦げを落としにかかった。
絹江の呆れた様なため息を耳にしながら。
ゴリ、ゴリ、ゴリ、 ゴリ……。
いつもならすぐに落ちる焼き焦げ。
今日はやけにへばり付き、中々素直に、落ちてはくれなかった。
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