第6話 爽太の憂鬱な一日
スカートめくり事件後の、次の日。
生徒が誰もまだ登校していない朝早い時間。爽太はもう小学校に着いていた。下駄箱付近で、辺りをキョロキョロとうかがっている。
よし……、誰もいないな。
爽太は用心深く確認した後、恐る恐るアリスの下駄箱の蓋を持ち上げた。そこには、赤いラインが入った白の上履きがあった。
爽太は緊張しながらも、上履きの上に白のハンカチをそっと置いた。下駄箱の蓋をゆっくり閉める。爽太は周りをまた少し見渡した後、4年1組の教室がある校舎へ駆け足で向かった。
*
自分の教室のドアをゆっくり開ける。
「つっ……」
教室の窓から差し込む朝日が眩しい。爽太は目を少しだけしかめる。教室に舞うわずかなホコリが、陽光をキラキラと反射していた。
静かで、なんだかキレイな雰囲気。
自分しかいない教室内の様子に、爽太はしばらく目を止めていた。なんだか気分が落ち着く。このまま、何事も無く時間が過ぎていけばいいのに。
「ねえっ、なにしてるのっ?」
びくっ!?
後ろから聞こえたトゲのある声に、爽太の両肩が跳ねる。
ぎこちなく後ろを振りかえると、そこには、顔をしかめているクラスメイトの女子、高木がいた。両手には、なにやらポスターらしきものを丸めた物をいくつか抱えている。
なっ、なんでこんな朝早い時間に来てんだよ!? よりにもよって今日に!?
「いやっ、そ、その……」
爽太はあたふたしながら、何とかしゃべろうとするも言葉が続かない。すると高木が険悪な顔付きで、めんどくさそうに口を開く。
「早く教室に入ってくんない? ジャ・マ、なんだけどっ?」
「おっ……、おう」
高木に強くそう言われ、爽太はぎこちない足取りで教室内に入った。
そんな爽太の横を通り過ぎる高木。「ふんっ……」と、小さくも荒い鼻音が、爽太の鼓膜を嫌に震わした。
なんだよ……あいつっ。
爽太は高木の背中をねめつける。だが、なんとなくその理由は分かる。昨日の、アリスにやってしまったスカートめくりのことだろう。そう思うと、高木の背中を睨みつけている自分が虚しい。爽太は、少し元気のない足取りで自分の席に向かい、椅子を引いて座った。ランドセルを机の上に置く。
「はあ~……」
思わずため息をついて、あごをランドセルの上に載せる。
もうなんがこのままでいたい……。
動く気分がまったくわかない。チラリと視線だけ、教室にある丸時計に向ける。まだ朝の8時前。そのことに少し安堵する。
まだ来ないよな……、アリスは。
そのことに少し安堵する自分がいた。でも、そのうち登校してくる。そしたら――、
俺は、どうしたらいいんだろ……。はあ~……。
アリスは俺のこと、許してくれているのだろうか。昨日、スカートめくりについて、ちゃんと謝ってはいる、いるのだが……。
考え込んでも、答えは分からなかった。そう、アリスと直接会うまでは。目線を隣の席に向ける。気分が重くなりばかりだった。
「あれっ? 爽太くんっ?」
ガタタッ!?
名前を呼ばれて体がばねのように跳ねる。椅子から落ちそうになるのを必死に堪え、声のした方に慌てて顔を向けと、教室のドア近くに、友達の細谷(ほそや)がいた。
なっ、なんだよ、びっくりさせやがって。
爽太は顔をしかめる。細谷は少したじろぎながらも、ぎこちない笑みを作りながら爽太に近づいた。
「おっ、おはよう」
「おうっ……」
「えっと……、今日は早いね、爽太くん」
細谷の少し不思議がるような声音に、爽太の心音が大きくなる。
今こんな朝早い時間に、爽太が教室にいるのは不自然だった。いつもなら、クラスメイトがざわざわと騒いでいる教室に、一足遅れるような形で爽太は登校してくる。
返事をまっているのか、細谷は丸い瞳で爽太を見つめていた。
爽太の口元が引きつる。素直に言うのであれば、アリスが落としたハンカチを返すため、なのだが、それを言うのは何だか恥ずかしかった。それに、誰にもバレないように返したかったのだから、なお更だった。
「まっ……、まあな。てか、細谷も早いじゃん」
爽太は理由をぼかし、すぐに細谷に会話を返した。細谷は、別に気に留める様子もなく口を開く。
「僕は今日、クラス委員でやることがあるから早めに登校したんだ。でも、ちょっと出遅れちゃったみたい」
細谷はそう言って苦笑する。視線は爽太の後ろ側を見つめていた。爽太も体をひねって後ろを見ると、高木がなにやらポスターらしきものを広げていた。それを教室の一番後ろにある掲示板に、どこに貼ろうか悩んでいる。
そっか、高木がこんな朝早くに来たのは、このためだったのか。あいつも女子のクラス委員だもんな。
「あっ、あの爽太くん」
細谷のなんだかたどたどしい声に気付き、爽太は正面に向き直る。細谷がなんだか口元をもごもごしている。何かを言いたげな様子に、爽太が怪訝な顔していると、細谷は覚悟を決めたかのように、顔を引き締めた。口をおずおずと開く。
「えっ、えっと、昨日のことなんだけど――」
それを聞いてすぐ、アリスのスカートめくりのことだと気付いた。
あれか、クラス委員として、俺を注意するのか。爽太が眉をひそめる。
だが細谷が口にしたのは、意外な言葉だった。
「ごめんね、爽太くん」
「……、へっ?」
なんで細谷が俺に謝ってるんだ?
爽太は理由が分からず目を丸くしていると、細谷が話を続ける。
「僕が、男子の皆にその……、昨日みたいなことは止めておこう、って強く言えなくてさ。クラス委員なのに……」
そう言ってまた、「ごめんね」と申し訳なさそうに小さく呟く。爽太は毒気を抜かれ、茫然とした。だがすぐにハッとし、細谷に声をかける。
「い、いや! そんなこと気にすんなって!」
「爽太くん……」
「ほ、ほら! き、昨日のことはさ、お、俺が、悪いんだよ。俺がさ、調子に乗ってやったことだし……」
「で、でも――」
「ほんといいからっ!! 気にすんなって! なっ!」
爽太は声を大きくし、細谷の言葉を押しとどめる。細谷は浮かない表情だったが、それでも「う、うん」と小声で頷いた。
それで良い。
爽太の気持ちが少し軽くなる。アリスのスカートめくりをいつやるか盛り上がっていた男子達のなかで、1人だけ急に、『そんなことは止めよう』とは言えないだろう。たとえクラス委員である細谷でも。それにだ、細谷は、俺も含め周りの皆に半ば押し付けられるような形でクラス委員になったんだ。細谷が、昨日の事件について変に責任を感じる事はない。
「ねえ~、細谷くん!」
びくっ!
突然、高木の声が教室に響き、爽太と細谷の両肩が跳ねる。
細谷が慌てて、爽太の後ろに向かって声を発する。
「な、なに? 高木さん」
「もう~、何じゃないでしょっ。早く手伝って」
と、高木が不満げに声をはる。細谷の目が、しまった、というように少しだけ、しかめっ面になる。きっと、高木が持っていたポスターを張る仕事を思い出したんだろ。
爽太は細谷に促すように口を開いた。
「ほ、ほら、早く行って来いよ」
「あっ、う、うん」
細谷は慌てて爽太の横を通っていく。「また後でね」そんなことを小声で言いながら。細谷のお人よしぶりに、爽太は苦笑する。後ろをゆっくり振り返ると、細谷と高木が、後ろの掲示板にポスターを張っている。『廊下は走らない』『掃除用具で遊ばない』など、校内での禁止事項を書いたものだ。
ふと高木と目が合った。すると、ニヤリと嫌な笑みを浮かべながら口を大きく開いた。
「『スカートめくりはしない』ってのも、書いてあるほうが良いのになぁ~」
張りのある声で、明確な悪意と軽蔑を感じる言葉。
爽太は慌てて前を振り向く。ずきずきと痛む胸を押さえながら、
「はあ~……」
と、つらいため息がまた漏れ出たのだった。
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