第12話 遭遇
サミュエルとロバートはエミリー・スミスのアパートを出た。
昼前に尋ねたはずなのにすっかり夕方になっていた。と言ってもまだ昼のように明るいので、時計を気にしていなければいったい今がいつなのだろうと思ってしまう。宋国の夏の一日はひどく長いのだ。
「夕飯前だけど、少し何か食べないかい?」
ロバートが落ち着きたいと言ってタルヴィス・ガーデンそばのカフェに入った。エミリー・スミスのアパートメントとは目と鼻の先だった。
中に入ると、女二人組と、一人で座っている女がいた。珍しく男の客がいないカフェだった。
「あのまま帰ったら、たぶん、疲れすぎて、途中で倒れる気がしたよ」
とロバートが言った。そんなにショックを受けているようには思えなかったが、サミュエルは「そうだな」と短く同意した。
「君はどう思うね? あれは演技だと思うかい?」
「いや本当だろうね」
「僕もそう思うよ」
ロバートは短く言ってお茶を口に含む。
「おいしい……。さて、彼女の話しでは、僕たちはとんでもない理由で犯人を突き止めなきゃいけなくなったようだね」とロバート。
ロバートの顔をサミュエルが見つめる。ロバートは紅茶から目線を上げ、サミュエルと視線が合う。
「どうか、したかい?」
サミュエルの何とも言えないような顔にロバートが首を傾げる。
「いや……、そうだね。……警察に言っても立証もできなければ、証拠にもならないだろうね」
「魔法の鏡と聞いた時、僕はあの本を思い出してしまったよ」
というロバートの言葉を受け、サミュエルもタニクラ ナルの本を思い出した。
「関係があると思うかい? いやあるだろうねぇ。だって、あの本をめくったらあのページが開いたんだ」
「そうだったね……。彼女はわざわざ我々に鏡に関わるぞと知らせたんだね」
サミュエルの言葉にロバートは頷き、
「でも覚えているかい? あのページの内容……僕はね、えっと、確か……そう、報われない思いをした男が、……女に見つめられたいがために思いを込めて作った。それがどうしたわけか望みをかなえる鏡になった。そうだったと記憶している」
「おおよそ君と同じだね」
「だとすると、望みをかなえる鏡がなぜ人を殺せるんだろうか? どうやって毒を飲ませたんだろうか?」
ロバートが腕を組んで悩む。
サミュエルはふとロバートから店内へと目を向けた。何気なく向けた先には、先に入っていた女二人組と、一人客の女がテーブルをはさんでにらみ合っているところだった。
ちょうどボーイが歩いてきたので、「なぜ彼女たちはいがみ合っているんだい?」と聞くと、
「あぁ、あれは、二人組はこの辺りを根城にしている娼婦です。有名な。赤いドレスの女はここ最近やってきて客を取り始めたようで、この辺りに来るなと言っているんですよ」
「娼婦の縄張り争いかい?」
「まぁ、とはいえ、最近では路上娼婦の取り締まりが厳しくなってきているので、縄張りだのなんだのと目くじら立てている間に警察に捕まるので、営業時間外にああやって出会っては喧嘩しているようですね。店の外へ行ってくれるとありがたいんですがね」
と、あと少し険悪になったら止めに入りるつもりだとボーイは言った。
「いいもの見せてあげるよ、あんたの本当の姿よ」
と赤いドレスを着た一人客の女の声と、店に入ってきた老父が同時に叫んだ。
「俺の鏡だ―」
サミュエルとロバートが立ち上がり、鏡を二人組の娼婦に翳している女と、入ってきた老父を同時に見る。
ブルネットの娼婦が絶叫をして顔を覆う。ブラウンの娼婦はふらりと立ち上がると、糸の切れた人形のように椅子に崩れ落ちた。
赤いドレスの女は老父を睨みつけると、老父とは別の出口から出て行った。
「お、俺、俺の鏡―」
老父は追いかける体力もなくその場に崩れた。
ロバートは老父に、サミュエルは娼婦のもとに駆け寄る。
「警察を呼んでくれたまえ」
サミュエルの要請を受けてボーイが通りを歩いている警官を連れてきた。すぐに、ホッパー警部が駆けつけてきた。
娼婦は二人とも死んでいた。
「それじゃぁ、あなたたちは皆、その赤いドレスの女がこの二人に鏡を見せたことで死んだというのですな?
そこにいた、サミュエル。ロバート。ボーイの三人は頷いた。
「あなた方まで……それで、その鏡は、あなた、ピ、……ピル・オト氏のものだということですな?」
「そうだ。あの鏡がないと、俺は、俺は死んでしまうんだ」
ホッパー警部が眉を顰める。
ホッパー警部がサミュエルとロバートを少し離れたところに連れて行く。
「検視官の見立てでは、あの娼婦は心臓発作で間違いないそうです。だが、あなたたちは鏡を見たせいだと言っている。鏡に何ができますか?」
「……その鏡が見せたものが、本当の姿だとしたら、あのきれいに塗られた下の顔を見せられたショックというのは、いかがですか?」
「……そんなオカルト的な話……。鏡は所詮鏡ですよ。化粧の下などを写せるわけがない」
ホッパー警部の言葉にサミュエルは同意した。
ホッパー警部が再びピル・オトと名乗った男のほうへと向かい、住んでいる場所や年齢など詳しく聞いていたが、
「俺の鏡、俺の命」
を繰り返すだけで役に立たなかった。
サミュエルがピル・オトに近づく。
「間違っていたのなら失礼。グレイソン・スコット、」
サミュエルの言葉にピル・オト氏は立ち上がり、手を振り回して道を開け、外へと出て行った。
「サミュエル?」
ロバートが聞いたが、サミュエルはロバートとホッパー警部に向かい、「確かめてくるので、今は聞かないでくれたまえ」と言って外に出るとすぐ馬車を拾って走り去っていった。
サミュエルは好んでは来ない王宮殿の執務室の窓際に立っていた。
まったく悪趣味でたまらない装飾が施された部屋で仕事などできるか。と毎回思う。しかし今はそれに立腹するよりも、今回の事ではずいぶんと思考が乱れたことについて考えることにした。
いったいどうしてだろうか? いい案が浮かぶとそれがすぐに邪魔され先に進まないような苛立ちを覚えた。いつもならば気にしないことがやけに気になり、それが何なのかよくわからずイライラする。そう、今回は非常にリズムが乱れる。
ドアが開かれ、女王ソフィアが「珍しい」と嫌味を言いながら入ってくると、大きな一人掛けの椅子に威風堂々と座った。
「聞きたいとことがあるとか?」
ソフィア女王の前に行き、ひとまず傅こうとするのを、
「おやめなさい。どうせお前の忠誠の姿勢など、建前なのでしょうから。それよりも、出不精のお前がわざわざ馬車を走らせ、駆けこんで来たのです。よほどの急ぎなのでしょう?」
というので、サミュエルは首をすくめ、そばに使えている官僚の一人をちらりと見ながら、
「グレイソン・スコット・キング公爵のことについてお聞きしたいんです」
「まぁ」
ソフィア女王は短くそう言ったあと扇で顔を隠し、じっとサミュエルを見ていたが、
「良からぬことに巻き込まれているのでしょうね……。グレイソン・スコット・キング……何と懐かしい名前でしょうね。あの男は、元気なのですね?」
ソフィア女王はサミュエルの返事など待たず、
「あれははとこの一人です。先代の王の、弟たちの……つまり叔父の孫です。昔から頭がよく……頭がいいのとは少し違うわね。ずる賢い。こズルい。そういう賢さでしたね。戦争ごっこが好きで、残忍で、よく、トカゲを捕虜だと言っては木に括り付け、ナイフを投げて遊んでいましたわね。トカゲはしっぽを切り離すでしょう? だから、両手両足を縛るんですよ。逃げないように。容赦なく命中させるんです。子供心に恐ろしい男だと思いましたわ。
その憎悪が私に向かったのは、私が六歳になった時です。グレイソンと出会ってまだ数回目でした。その時、私の父の様態が芳しくなく、皇太子としては役に立たないのではないかと言われていました。私は正統な後継者だけど、6歳では、王位継承権は叔父に渡るのではないかと思われたのです。
ですが、先代の王。つまりおじいさまは思いのほか元気で、私の父もまた、わたしが18歳まで存命でしたので、父が亡くなった後、私は正式に皇太子となり、そして現在に至るわけですが。
その系譜を相手が知ったらしく、まだ子供で、しかも女の私には将来この国の総てを手にすることができるということにえらく腹を立てたのでしょう。グレイソンはあからさまに……あからさまに敵意をむき出しにし、……その日の食事の際、手にしていたナイフを私めがけて投げてきた」
「え?」
どんなことでも驚きもしないサミュエルが思わず声を出した。それがおかしかったのかソフィア女王は少し笑ったが、
「ええ、そうよ。16歳の男の子が6歳の少女にナイフを投げたの。でもね、6歳なんて、テーブルから頭が出るかでないかの子供だから彼が投げたナイフは私の頭のはるか上を素通りしていったわ。
グレイソンはそりゃ厳罰を食らったわ。ただ、牢に入ることはなく、そのかわりに田舎に引っ込ませられた。そこは不毛の土地で、だけども王室の立派な土地だから、領主ではあるけれど、いつか王位につけると思っていた彼にとってそこはどれほどの地獄か、しばらくは、呪いの手紙を送り続けていたようだけど、私に届くことはなく、執事がすべて燃やしていたようよ。あとになってふとそう言うのをメイドから聞いたわ。
グレイソンはそのままでいれば王位継承権は、32位だったけれど、今は王位継承権をはく奪されていると思うわ。
さて、懐かしい話はしたけれど、なぜあなたが今になってグレイソンのことを?」
「……さきほど会いました。ただ、見た限りでは60歳、いや、70歳の老父に見えました」
「……おかしいわ、そんな歳ではまだないはずよ」
「ええ、そうでしょう。私だって、あのむだに勲章をぶら下げたパイロット姿を見ていなければ、赤の他人だと思いますよ」
「パイロット! そう、パイロットだったわね。飛行機に乗って勇猛果敢であると証明した。だから、王位継承権を与えろと言ってきたわ」
「ええ、その時私も居ましたよ。驚きましたね、王位継承権の復権を願っているから、どれほど近いのかと思えば32位ですか……。そんなものただの飾りにもならない権利じゃないですか」
「だけど、彼はその上にいる31人が同時に死ぬと思っているのだからしようがないわよ」
ソフィア女王の言葉にサミュエルが鼻で笑う。
「でも、そんなに老けてしまっただなんて、」
「老けた理由は解りませんが、彼がグレイソン・スコット・キングだという証拠を知りませんか? あの老けようでは証明できなくて」
ソフィア女王は手の中で扇を開いたり閉じたりもてあそびながら少し考え、
「……そう……彼は、彼は左足を引きずっているはずよ。飛行機事故で負傷したとか、落馬でなら格好がつくけれど、
私が王位継承をするほんの少し前、皇太子のころに、彼の領土へ公務で行ったの。もちろん、その時にはすべての警護が彼を私に近づけないようにしていたし、私は私であの男のことなど忘れ去っていたけれど。
馬に乗って領地をめぐっていた時、棒を持って走ってきたのよ」
ソフィア女王はその日のことを思い出し、おかしいが哀れんだ表情を浮かべ、
「棒を振り回すしか、彼には武器はなかったのよ。普段走ったりなどすることはなかったのでしょうね、足がもつれて転げ、手にしていた棒が運悪く足に刺さった。
私がいる場所からはるか遠くで、大騒ぎになったわ。見えていたけれど、誰が何のためにあんなことになったのか理解できなかった。
その時にグレイソンからの手紙や、幼いころのことを聞いたの。ナイフに関しては、投げつけられたナイフね。私ね、あの日ひどく眠くて、食事中だというのに睡魔と戦っていたのだって、それで、がくっと机の陰に隠れたときに投げられたようで、大人たちが大騒ぎをしていたけれど、私は母上に抱きかかえられて部屋を出てそのまま眠ってしまったらしいの。
だから、私には、グレイソンに対する思い出は人づてで聞いたことしかなかったけれど、その時思うの。もし反対ならば、私はグレイソンと同じことをしていたかもしれないと」
そう言ってソフィア女王に背中を向けサミュエルがドアへと歩く。ドアの前で立ち止まり、
「あなたはそんな醜いことはしないでしょう。たとえ、王位継承権がなかったとしても、あなたはあなたが信じる道を進み、結果幸せを手にする。そういう強運があるように感じます」
と言って部屋を出た。
「任せても大丈夫だと、お思いですか?」
そばについている家臣の中でも、最もそばにいる男がソフィア女王に聞く。
ソフィア女王は少し考え、
「そうねぇ。頼りになるかどうかと言えば、味方のふりしてそばにいる裏切り者よりは頼りになるわよ。
それにね、
ソフィア女王はそう言って席を立ち、執務室を出た。
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