第11話 オリビアの話し
「私が殺されたのは、確かに仕事明けで疲れている時でした。いつもならば私は馬車になど乗らず歩いて帰ってくるのです。それはお金を無駄にしないためです。たかだか少しのお金ですが、貯めれば大きなものになることを知っていますから。
お金をためて、少しいいところに引っ越したかったんです。5階まで階段で上がるのはとても大変ですから。
でもその日はひどく疲れていて、足が重くて、やっと立っているような感じでしたが、気を抜いていたことはありません。ですから、私を突き飛ばした女の顔を見ましたし、私はその女にはっきりと馬車めがけて突飛ばされたんです。
体力がその時、いつもと同じであるならば、あんな突飛ばしなどへっちゃらで、逆にその女の手をむしり取るほどの勢いで掴んでねじ伏せるでしょうが、その時の私には踏ん張るだけの余力はなかったんです。
あっという間に馬車に轢かれたことでしょう。でもその瞬間の痛みなどまるで無く、無いのか覚えていないのかよく解りませんが、とにかく覚えていなくて、気付くと、エミリーの中に居ました。
エミリーの中に居ても、ずっとエミリー越しに世界が見えるのではないのです。エミリーがぼんやりして
例えばの表現ですけど。一つの椅子があります。その椅子に座れば、のぞき窓から外が見える。いつもはエミリーがそこに座っているのですけど、ぼんやりしたり、眠っていたりするとそこが空くのです。だから、そこに座ってみました。
座ると、エミリーの体を動かすことができるのです。でも、私の体ではないので、ひどく重くて、重労働の上、考え過ぎると頭が痛くなることなどありませんか? ああいう状態になるんです。
ですから、最初のうちは、少しの間だけ椅子に座るようにしていました。
ところがある日、私を突き飛ばした女を見つけたんです」
「お墓参りの帰り道で?」
「たぶんそうでした。エミリーの体は悲しみに一杯で、女を見つけて後を追うだけでへとへとになってしまいました。
女は劇場へと入っていきました。でもすぐに、ボーイに追い出されていました。
何度か女を見つけると後を付けて行くと、女は同じ劇場へ行っては、ボーイに追い返されていたんです。少しはエミリーの体に長くとどまれるようになっていた時、ボーイにあの女はなぜ出入りできないのか? と聞きましたら、
『アイラー・グリフィスはオリバー・ジャクソンに付きまといを繰り返してきて、接近命令が出ている。それなのに毎日やって来る迷惑な女なのだ』
と聞いたのです。
そんな女になぜ私は殺されたのでしょうか? という疑問が沸き上がりました。すると、そのボーイが思い出したかのように、
『あなたはこの近くに居てはいけない』というのです。何故かと聞くと、
『オリバーが、以前、アイラーにしつこく交際を申し込まれている際、君のような上品でおとなしい人のほうが好きだと指さしたんです。オリバーにしてみれば、その辺りを歩いていた人を指さしたのでしょうが、ちょうど、あなたが立ち止まった。それを見たアイラーがあなたを追いかけた。だから、あなたはこの辺りに居ちゃいけないし、何かあれば警察へ行くべきだ』というのです。
私は絶句しました。ただそれだけで私は妹に間違えられ殺されたのです。たった、オリバー・ジャクソンが手を挙げて、あの人がいいといった場所に立っていただけで、私は殺されたのです。
何という不幸でしょう。でも、エミリーが本当に殺されていたらと思ったら、」
「オリバーが指を指したのはエミリーさんではなくあなたではないのですか?」
「決して違いますわ。私はあのような低俗な劇など見ませんし、見たくはないです。エミリーが知り合いに誘われ、断ることができない子なので仕方なく行ったんです。
私のあの日の絶句をあなたたちが解るとは思えませんが、とにかく、私はそんな理由で殺されたのです。
犯人は解りました。しかしエミリーに話してアイラー・グリフィスと対峙させるわけにはいきません。かといって、警察に行ってエミリーが説明できるわけではないし、その時の私には、一時間エミリーの体にいるだけで、エミリーはそのあと一日中寝込んでいました。そのくらい疲労したんです。
犯人が解り、動機が判ったのに、どうすることもできない。私は悔しくて仕方なかったんです。そんなときふと気づいたことがあるんです。
私には、人の周りに何か……こう、靄のようなものが見えるんです。ふわふわとしたもので、それが人を包んでいるんですけど、とても元気な人は赤色が主体で、オレンジや黄色をしています。
少し不安だったり、具合が悪かったりする人はブルーが多いです。
優しい人は緑色も見えます。
それがいったい何なのかよく判らなかったんですが、たぶん、それはその人のオーラなのでしょうね。そしてその目をもってアイラー・グリフィスを見ましたら、彼女は黒い靄がかかっていました。かろうじて体に近い部分に赤色が見えますが、ほとんど黒いものです。
残念ながらエミリーにはそれは見えないようで、意地悪な人が発している嫌な黒色を出す人ともエミリーは仲良くしていました。頭の中で叫んでもエミリーには聞こえるわけはありませんけどね。
そんなある日です。アイラー・グリフィスの様子を探りに劇場へと向かった時です。アイラーの黒い靄がひどく禍々しくとても嫌なもののように見えました。ぞっとするほどのいやなものです。今まで見たことのないもので、私、寒気を覚えました。そしたら、気付いたんです。アイラーから感じられるのではなくて、アイラーが持っているものからそれを感じたのです」
「持っているもの?」ロバートが聞き返す。
「ええ、最初は布袋の中にありましたが、オリバーが出てきたときにアイラーが出したのです。一瞬。
……手鏡でした。
裏にものすごい装飾がある、とても手鏡にするにはもったいないような飾りのあるものです。
それを、アイラーはオリバーに向かって翳そうとしていたのですが、またボーイに邪魔され、鏡を布袋に入れて立ち去りました。
私は、あれを見たのは二度目だったのです」
「二度目? いったいどこで見たんですか?」
「アイラーに突き飛ばされた時です」
サミュエルとロバートが同時に「え?」っと絶句する。
「あの女は手鏡を手にして私を突き飛ばしたのです。
そして思い出したのです。
突飛ばされた時に何を思っていたかを」
「何を思っていたか? とは、どういうことです?」とサミュエル。
オリビアの呼吸が浅くなっている気がした。息苦しそうに顔をゆがめる。
「あの日、ひどく疲れていた時。もし、わたしがエミリーだったら、こんなに大変な仕事に就かず、こんなに疲れはしなかっただろう。私はエミリーになりたい。エミリーとなって、過ごしたい。でも、エミリーに私の代わりはできないだろうから、私はエミリーの中に居て静かに毎日を過ごしたい。……そう思ったんです。そう思いながら、アイラーが突き出していた鏡に自分が映るのを見ていたんです。
もう、時間がないようですわ」
「オリバーの死因が他殺だとなぜわかったんですか?」
「アイラーが劇場ではなく、オリバーのマンションに向かったんです。そして、オリバーの部屋が黒い靄に覆われたんです。そのあと、アイラーは鏡を持って走り出てきました。
驚きましたが、アイラーの髪は真っ白で、急に老けたように見えました。
アイラーが走り去ると、オリバーの部屋の靄は消えていました。
私、思うのですけど、あれは魔法の鏡じゃないかしら。私が死んですぐのころに、エミリーが市場で見つけていたんです。その時は、音を聞くだけしかできませんでしたが、その時感じたびりびりと体に刺さるとげのような印象。あれを黒い靄に感じるのです。同じものだと思うのです」
「あなたはそれをどんなものだか知らないのですね? では、最後に、なぜ僕だったのですか?」
オリビアは閉じていた目を開けサミュエルを見つめ、
「あなたの色、が、独特だったのです。黒いものもあるけれど、アイラーのような嫌なものではなく。だけど、赤くて、力強さを感じました。そして、安らぎを与える緑も。だから、あなたになら話してもいいと思ったんです。私と似た波長が合ったから。
……アイラーは、この家には入ってこれないので、エミリーには仕事を休むように私は無理をして体に入り続けました。そうしないと、エミリーが出掛けてしまいますからね。でも、もう、私では、守ってあげられないわ。お願いです。エミリーを守って」
「必ず」
オリビアはふと微笑む。
「エミリーさんにはなんと?」サミュエルが聞く。
「愛していると、」
そういうとオリビアは目を閉じ、再び深い息をし始めた。
サミュエルもロバートも何も言わずに一時間黙って過ごした。エミリーが涙を一筋流して目を開けた。
「オリビアが……」
「たぶん、天国へ、」
エミリーは頷いた。
「愛していると。言ってましたよ」
エミリーは顔を覆った。
エミリーが更に落ち着いたのは三十分後だった。
オリビアから聞いた話をすると、恐怖で顔が青ざめて行ったが、
「そうでしたか……私が劇場へなど行かなければ、オリビアは殺されなかったのですね……」
とつぶやいた。
「アイラー・グリフィスにあなたは見つかってしまっている。身の危険があるわけです」
「でも、彼は亡くなったのでしょう? それなのに、狙われるんですか?」
「……一度、殺したと思った相手が生きているのです。彼女にしてみれば恐怖でしょう。自分を殺しに来たのかと思ったのなら、殺される前にもう一度殺そうと思ってもおかしくはない」
サミュエルの言葉に首を振って抵抗したが、エミリーは最後には「そうだと思います」と納得した。
「ところで、オリビアさんの話しでは、あなたは【魔法の鏡】を以前見たことがあるとか?」
「……ええ、オリビアが話した鏡と同じものかは分かりませんし、話しを聞くまですっかり忘れていましたが、確かに市場で見つけました。ええ、そう。劇場の近くの骨董市のような、そんなところだったと思います。いいえ、露天商ではないですね。物売りのようでした。そう、物売りです。
鏡を、装飾のほうを見せて素敵な装飾でしょう? というけれど、私にはひどくおぞましいものに感じられて、振り切って逃げたんです。
男の人でした。ひげ面で、勲章をたくさんつけた服ですが、その服は十年以上も昔に流行ったかのようなものでした。
男の人は……えっと、……思い出せないわ。変わった名前だったの……、えっと、」
「話しを続けていると思いだすかもしれませんよ?」
「そうですね。……えっと、その男の人は急に名乗ってきたんです。私が怪しむ顔をしていたのでしょうね。自分は、ピ……、ピ何とかという名前の貴族で、由緒正しい方からいただいた鏡なんだが、もらって欲しいと言ったのです。
でも、さきほど話した通り、その鏡からは嫌な感じがしましたし、その人もなんだか薄気味悪い、と言っては失礼ですけど、でもとにかく嫌な気しかしなくて、断って立ち去ったんです。
……そう、後ろの方で、彼と、女の人が鏡を売るだの売れないだのと話しているのが聞こえました」
「その女のことは?」
「……見たこともない人です」
「男は鏡をただ譲ると言っていたのですか?」
「ええ。……そう、どんな望みも叶えてくれる鏡だと。魔法の鏡だと言っていました。美人になりたいと願いながら見れば美人になれる。好きな相手に、自分を振り向かせたいと念じながら相手に見せれば、自分のものになる。というような、都合のいい話をしていました」
「信じませんか?」
「もちろんです。鏡ごときで願いや何かが叶うような幸せは幸せではありませんわ」
「願い事を助けてくれるとは思いませんか?」
「気休めになるとは思います。頑張りましょう。あなたならできる。というようなことを言えば励みになりますし、」
「だが、あなたはその鏡を拒否した」と、サミュエル。
「ええ、だって、私には欲しいものはないのですから」
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