第10話 エミリア、突飛ばされる
サミュエル。エミリア、ロバートの順でアパートを出る。
「馬車で帰ろう。整理したい」
とサミュエルが言ったので、ロバートが馬車を拾うために片手をあげる。
「きゃぁ」
という悲鳴とともにエミリアが何者かに突飛ばされた。バートが呼び停め、近づいてきた馬車にエミリアが轢かれそうになるのを、サミュエルが彼女の腕を掴んで引っ張った。
エミリアはサミュエルに腕を引っ張られ、その反動で歩道に座り込み、驚いた表情で馬車を見る。
「その馬車でアパートへ帰っておくように」
とサミュエルが眉間に険しいしわを寄せ、エミリアに叫ぶ。
ロバートがどこかへ走って行く。それをサミュエルも追いかけた。
ラリッツ・アパートに着いたサミュエルとロバートの帽子と上着をジェームズが受け取る。部屋に着替えを用意しているというので、二人とも各々の部屋へ行き、汗を拭って着替えを済ませた。
書斎では、手首に包帯を巻いたエミリアが座っていた。
「大丈夫かい?」とロバート。
「ええ」
「僕の引きが強かったせいだね、すまない」
「いいえ、サミュエルが引っ張ってくれなかったら、私馬車に轢かれていたわ」
手首の包帯が痛々しげで、二人は顔をゆがめた。
「それで、誰が突飛ばしたのか解りました?」
二人は首を振った。
「女、だったと思う」
ロバートの言葉にサミュエルも同意した。
「道が通れなかったからなのかしら? とか、いろいろ考えたのですけど、歩行の邪魔になるようには立っていませんでしたし、そんなに人通りがあったわけではなかったと思うのだけど」
「ああ、あれは、君を突き飛ばすつもりで当たってきたのだろうね。オリビアの時のように」
「……じゃぁ、オリビアは突飛ばされて馬車に轢かれたのかい?」
「たぶんね」
「でも、それって、」
「ああ、殺人だ」
サミュエルの言葉のあと吹き込んできた風は夏の夜の風で、なまぬるく湿気を含んでいたのに、どこか鋭い冷たさを感じてエミリアは自身を抱きしめた。
「ではますます取り逃がしたことが悔しいね」
というロバートに、サミュエルは何も言わずに視線を向けた。
エミリアは手首のこともあるのでと馬車で帰っていった。
翌日の昼前、サミュエルとロバートは書斎にあるだけの【夢遊病】に関する書籍を読んでいた。
「一体全体なんだってこれほどの夢遊病に関する本があるんだい?」
とロバートが呆れるほど、本が机に積まれていた。
「以前、夢遊病で犯行時の責任能力がないとみなされた殺人鬼がいてね。その時に夢遊病に関する本が出回ったんだが、どれも宗教的過ぎて笑えるものばかりで、医学的根拠のないものばかりだった。その後、医学的に研究が進んだ本が出された。それがこれらの本だが、もうその時には、やっこさん、夢遊病だと言いながらしっかり起きていて、自らの意志で犯行を行っていることがばれてしまってね。極刑を食らった」
「なんだって夢遊病なんかを知っていたんだろうか?」
「母親がそうだったみたいだね。夜になるとふらふら歩いて外に出て行く。近所でも異常者として扱われ、恥ずかしい子供時代を過ごした。当時は夢遊病という病気はなかったんで、頭のおかしな母親だと笑われたそうだ。だが、その頭のおかしな母親は、父親からの暴力ですっかりおかしくなり、その結果が夢遊病という後遺症となって現れた。
人はすごいストレスを感じたりすると夢遊病になるらしい。という結果が出てから、やっこさんの中で夢遊病というのはある種便利な言い訳だと気づいた。
盗みに入っても、人を殺しても、夢遊病で気付いたら血の付いた刃物を持っていた。と言えばいいんだ。
夢遊病かそうでないかを調べる試薬はないからね。基準は、今まで夢遊病だと診断された人の証言から作ったリストだけだからね」
「だが、彼は夢遊病じゃなかった」
「ああ。だから、研究する必要がなくて、そのまんま本棚に片付けていたわけだよ」
「なるほどね。……だが、エミリー・スミス嬢は夢遊病なのだろうか? 公園で僕たちを引き留めたのは、エミリーではない他の誰かだった気がしてならないんだ」
「それは、僕もそう思っているよ。だが、ある程度研究をして、どうにかもう一度行き、話しをしている最中にでも、あの時、公園で引き留めた相手に会ってみないといけない気がするんだ」
「エミリーの話しでは、エミリーがあの手紙を届けてきたわけではなさそうだからね」
「そういう事だよ。そして日記に書いていた、我々に会うように。という指示も、エミリーの字じゃない。では誰の字だろうね?」
「オリビア……だと?」
「そう思うね。……エミリーが言っていたが、オリビアが体に入り込んで食事をしていた。と言っていたが、あながち間違いじゃないかもしれない」
「なるほど。……じゃぁ、夢遊病を治せると言ってまた会いに行かなきゃいけないね」
ロバートも本を一冊手に取った。
そこへ電話が鳴り響き、ジェームズが受け取ると、眉をしかめて書斎に入ってきた。
「エミリー・スミス様の代理とおっしゃる方が、エミリーが今すぐ家に来て欲しいとおっしゃっているようです」
二人は上着を手にして、ジェームズが呼び止めていた馬車に乗り込み、タルヴィス・ガーデンそばの赤い扉のアパートメントへと向かった。
出迎えたエミリーは昨日、会った印象よりも少し覚悟を決めたような強い顔をしていた。
「どうかなさいましたか?」とロバート。
エミリーは日記帳を見せた。
【エミリー。私にはもう時間はないようです。私がこの世から消える前に、私を殺した相手を捕まえるために、もう一度彼らに会って。彼らに会ったならば、あなたは眠っていて。その間に私が彼らにすべてを話すから】
と書かれていた。
二人はエミリーを見た。エミリーはソファーに座り、枕を重ね寝る用意をしていた。
「昨日、あなたたちが帰ってから考えました。
そしたら、今朝これを見つけたんです。もし、オリビアが
もしかすると、私の願望が、書いたのかもしれないけれど、あなたたちなら夢遊病なのかどうかを判断してくれるのではないかと。もし、オリビアがいなくて、私の勝手な夢遊病だったら、病院へ行くだけですから」
エミリーはそう言って横になった。
そんな覚悟が、あの意志の強そうな表情になったのだろう。
エミリーは深呼吸をして目を閉じた。規則正しい深い呼吸が、ほぼ眠った人のそれに代わった瞬間、エミリーが目を開けた。
「体力を、温存するために、この格好で失礼しますね、ガルシア卿と、アームブラスト男爵」
「オリビアさんですか?」とロバート。
「ええ。長い話になるでしょうから、適当に座ってください」
「もう時期居なくなるというのは?」とサミュエル
「何となくですけど、うっすらと、消えてしまう気がするのです。今まではまだここに留まる力のほうが強かったのですが、足元からふわふわとした、心もとない感触を感じているのです」
「では、急ぎましょう。エミリーにも伝言を残したいでしょうから」
と言ったサミュエルのほうをオリビアが向いた。
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