第9話 エミリー・スミス

 久しぶりにエミリアがやってきた。マルガリタとお茶を楽しんだあと書斎にやってきて、今から謎の女の家へ行くというと同行を申し出てきた。

「だって、それ程取り乱した手紙を寄越した女性が、男の人が二人きたらどんなに驚くか。女がいたほうがいいと思いません?」

 というので、17時になって三人で出かけた。


 サミュエルを筆頭にして、サミュエルの右手側にロバート、左手側にエミリアが立つ位置は変わらないのだが、どうも今日のエミリアの様子がおかしい。ロバートが辻馬車を拾いに少し外れたとき、サミュエルがエミリアを見る。その視線に気づいたエミリアが困ったように微笑んだ。

「捕まえたよ」

 の声に三人は馬車に乗り込む。


 タルヴィス・ガーデンはサミュエルのラリッツ・アパートのある中央区から少し外れていて、中流労働階級が多く住み、ファミリータイプのアパートや、単身者向けのアパートの建設ラッシュで、都市開発が進められている場所のほぼ中央にある公園で、簡単な遊具が二つ、三つあるだけで、あとはベンチと、近所の有志のご婦人たちで育てている花壇があった。

 その東側には単身者向けのアパートが乱立している通りになっていて、赤い扉のアパートメントは、赤い扉というだけあって目立っていた。

 5階まで階段を上がるのはなかなかしんどい。とサミュエルは二階以上からムスッとして口も利かなかった。

 3号室にきてドアをノックする。返事がないのでもう一度叩くと、中から女の声が聞こえた。

「サミュエル・ガルシアと申します。約束通り来ました」

 ドアの向こうの女が少し戸惑ったような「え?」という声を出し、少ししてから扉が少し開き、

「あの、……その、」

「サミュエル・ガルシアです」

 とサミュエルが名刺を差し出す。女は名刺を受け取り『サミュエル・ガルシア卿』と書かれた名刺に少し動揺したようだが、名刺を突き出しながら、

「ごめんなさい、私ではないのです。私では。ごめんなさい」

 と戸を閉めた。

 三人は顔を見合わせ、ドアを叩こうとしたが、隣の住人が迷惑そうな顔をのぞかせたので、首をすくめあいアパートを出た。

「いたずらかな?」

 というロバートにサミュエルはかなりむっとしながら、

「この期に及んでか?」

 と語気を強めた。


 タルヴィス・ガーデンまで戻って来た時、

「待ってください。ガルシア卿」

 という声がして三人が振り返るとさきほどの女が走ってきた。そしてサミュエルの腕にすがるようにして掴むと、息を整え、

「話しを、聞いてください」

 と懇願した。

「私は、オリビア・スミスと言います。オリバーは自殺ではないのです。殺されたのです。その犯人が、妹のエミリーを狙っているのです。どうか、どうか、エミリーを助けてください」

 オリビア・スミスと名乗った女は、しきりと自分の胸を叩いてサミュエルに懇願したかと思ったら、急にはっと目を見張り、辺りを見回し、サミュエルを掴んでいた手を勢いよく手放す。

「オリビアさん?」とエミリア

「……オリビア? いいえ、オリビアは、姉は死にましたわ。……なんで、なんでここにいるの?」

 オリビア・スミスであろう女は自身を抱きしめ震えだした。エミリアは彼女を支えるように抱きしめ、

「お部屋に帰りましょう。倒れたら危ないので、私の友達もご一緒に向かってよろしいかしら?」

 とエミリアの言葉にオリビア・スミスであろう女は頷いた。


 5階までの階段を二度も上がることになるとは。という顔をしているサミュエルを鼻で笑いながら5階の3号室に入った。

 エミリアはオリビア・スミスらしき女をソファーに座らせ、コップに入っていたお茶を差し出して落ち着かさせた。確かに、エミリアを同行させて良かったと、サミュエルとロバートは思っていた。

「大丈夫ですか? あなたは……オリビアさんではないのですよね?」

 と物腰柔らかいロバートが聞いた。

「ええ。オリビアは姉で、姉は一か月前に死にました。事故でした。……私はエミリー・スミスです」

「私はエミリア・マルソンです。あなたと同じ職業婦人ですわ。こちらはお友達の……サミュエルと、ロバート。あなたに危害は加えないから。安心してくださいな」

 エミリアの言葉にエミリー・スミスは涙ぐみ、エミリアの腕を取って嗚咽を混じらせて泣き始めた。

 ひとしきり泣くと、ハンカチで鼻を拭い、

「一度や、二度じゃないんです」

 と言った。

「気づいたら見知らぬところにいたことですわ。……ある時などは全く知らない人の家の前に立っていました。慌てて知っている通りまで走りましたが、その家の家人に追いかけられて、腕を掴まれそうになったり。私はどうかしてしまったのですわ」

 エミリーはそう言って再び顔を覆った。

「スミスさん、順を追って話してくださいな。もしかすると、どうにかなるかもしれません」

 サミュエルはできる限り優しく言った。

「……、あなた方はお医者様ですか?」

「いいえ、でも……それに近い時もありますわ」

 エミリアは微笑んだ。


 エミリーは少し間を持たせた。話しをじらすのではなく、エミリアに言われた「最初」を考えているようだった。

「最初……というのは自覚していませんけど、姉が亡くなり、葬儀を執り行いました。両親は亡くなっていまして、母方の叔母が生きているだけの寂しいものです。その叔母が墓守をしてくれているクレイトン墓地から帰ってきている時だったと思います。それとも、その後、しばらくはお墓へ行っていたので……でもとにかくお墓参りから帰ってきている時でしたわ。電車から降りて……クレイトン墓地へは、電車で三つ向こうですから。姉の死で心労がたまって食事が取れずにいたので、電車で通っていたんです。そうですね、何度目かのお墓参りでしたわ」

 エミリーの、女性特有のどうでもいい情報を延々話すのをサミュエルたちはじっと我慢して待っていた。

「夏の日差しが強くなってきて、少しくらっとしたりして、人波を避けて歩き出した時です。ふぅっと、意識が遠のいたんです。気付いたら、今まで行ったことのない下町にある劇場の前に居たんです。

 わたし演劇はあまり得意ではなくて、あの、いきなり大声をあげて話すのがどうにも苦手で。一度、二度ほど付き合いで行きましたが、どちらかというと本を読むほうが好きなんです。

 ですから、あんな場所へ一人で行くわけないんです。でも、私はそこまで確かに歩いて行っていたのだと思います。でも、記憶がないんです。それが最初でした」

「その時は、どう思いましたか?」とサミュエル。

 エミリーはサミュエルを見上げ、少し考え、

「くらっとしたので、人の流れに身を任せて歩いてきたのかなぁとしか思いませんでした」

「それ以前に、くらっとするようなことは?」

 エミリーは首を振った。

「何度か、気付けば知らない場所にいた。という話ですが、他にはどんな場所に居ましたか?」

「劇場に知らぬ間に立っていたのが二度ほど、三度だったかしら? 最初のころです。最近は、見知らぬ場所です。高級住宅地の路上にいる事が多いのです。知り合いなども、顧客もいません。あんな場所に住むような人が私の仕事のお客になどなってくれるわけありませんから」

「……ラリッツ・アパートの前でしたか?」

 エミリーはサミュエルを見つめ、そして頷いた。

「あなたの家ですか?」

 サミュエルは軽く頷き、

「その、気付けば居た。というその前のことは覚えていますか? どれも同じようにくらっと来て気付いたら居たんですか?」

「最初のころはそうです。でも、最近はひどい疲れで眠ってしまった日や、仕事がひと段落して早めに寝たときなどにです」

「雨は嫌いですか?」

「え?」

 サミュエルの言葉にエミリーは少し考え、

「嫌いとかいうものですか? たしかに濡れるのはあまり好きではないけれど、嫌いだからと言って避けれるものではないですし」

「そうですね……。では、お辛いのはよく理解しているのですが、お姉さんのことについてお聞きしてもよろしいですか?」

「姉のことですか? なぜです?」

「あなたが気づけば知らない場所に居たのは、お姉さんが亡くなってから。つまり、お姉さんの死があなたに何らかの作用を施している。と考えられませんか?」

 サミュエルの言葉にエミリーは少し考え、頷き、

「そういう事でしたら。……姉のオリビアと私は双子です。よく似ていると言われます。私は母親譲りの茶色、オリビアは少し赤が入った髪質をしているくらいで、初対面なら見分けがつきません。

 姉は私と違ってとても行動的アクティブで、シティーにある秘書の派遣会社に勤めていました。タイプライターをしていました。私は裁縫の内職を細々としています。

 姉とはこの部屋で一緒に暮らしていました。双子ですし、大家さんも、女性の二人暮らしならうるさくしないだろうと、特別に貸してくださったんです。ここは単身者の部屋ですけども。

 姉は忙しくなる月末は会社に泊まり込んで仕事をしていたので、月末であるその日はあまり気にせず休みました。

 翌朝、大家さんが警察から電話がかかっていると呼びに来てくださり、急いで警察に行きますと、姉は馬車に引かれて亡くなっていました。目の前が真っ暗になりました。

 それから、どうしていいのか解らないので叔母を頼ってお葬式を出したり、いろいろとやることを済ませてから、食事を数日摂っていないことに気づきました。私は食べたくないのですが、体が無意識に食べていたんです。

 ふと、姉が体に入り込んで、生きるために食べさせているのかも、と勝手に思いそれからは食べるようになりました。

 姉についてという話ですけど、姉は勝ち気で、行動力があり。双子と言っても全く違うのだとよく笑っていました。

 子供のころには、よく入れ替わって、嫌いな授業を交換したりしていましたが、大人になると、好みも違ってきて、そういう事をすることはなくなりました。

 恋人がいるような話は聞いていません。仕事が楽しくて仕方ないのだとは言っていました。私にもそういう方はいません」

「オリバー・ジャクソンをご存じで?」

「オリバー・ジャクソン? 聞いたことのある名前ですね……でも思い出せませんわ。姉に関係のある方ですか?」

「そのようですが、」

「……お役に立てませんわ」

「そうですか。では、アイラー・グリフィスという女性は?」

「まったく聞いたこともない名前です。その方も姉にかかわりが?」

「今のところは何とも。

 お姉さんは馬車に轢かれたのだと言いましたね? なぜ轢かれた? と警察は言っていましたか?」

「どうもはっきりしないのですが、姉が誰かに突飛ばされたようだったという目撃情報が数件あったが、ほとんどの目撃情報から、お姉さんは眠そうにふらふらと歩いていた。と。そのうえでタクシー馬車を待っている列に並んでいたが、軽く肩でもあたった時、普通ならばどうってことはないだろうが、寝不足のせいで大袈裟に倒れた。その時に轢かれたのだろうと、」

「……あなたはその説明で納得していますか?」

 サミュエルの意外な質問にエミリーは困惑した目をエレノアに向けた。

「納得……するしか。……いいえ、納得などしていません。でも、私はその場面を見ていないのです。警察の言うとおり、連日忙しくて会社に寝泊まりして、やっと帰れる日だったのです。

 だいたいそういう日は戸を開けるなりこのソファーに倒れ込み、化粧をしたまま、スーツのまま、ソファーに半分しか体が乗っていなくてもオリビアは平気で寝てしまっていました。

 たしかに、その状態はだらしがないですが、戸を開けるまではしゃきっとしていたはずです。オリビアは外でだらしがない姿を見せるのをどの人よりも嫌っていたのですから」

「でも、寝不足には勝てないでしょう?」とロバート。

「そう、ですわね」

 エミリーは俯いた。


「今日の18時に我々と会う。と書いていますね」

 サミュエルが机の上に広げたままの日記に目をやると、エミリーは再び震え始め、

「それを見つけたときにあなた方がやってきて、もう、どうしていいかと怖くなったんです」

「というと?」

「それは私が書いたのじゃないんです」

 サミュエルとロバートが日記を見る。

「でも、絶対に会うこと。私たちのためになる。と書いてありますよ?」

「ええ。でも、私の字ではないんです」

 エミリーはひどくぐったりとソファーに横になる。

「随分としんどそうなので、今日はこれで帰りますよ。また後日きても大丈夫ですか?」

 エミリーの目が左右に揺れる。

「あなたのその【夢遊病】を治せる手段が見つかったら」

 とサミュエルの言葉に、エミリーは「やはり夢遊病ですか? 治せるのなら、おいでください」と言ってソファーに沈み込んだ。

 



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