第8話 手紙が来ない
「ところで、ヒ素の瓶には指紋はどうだったんだろうか?」
とサミュエルが聞くと、ホッパー警部は頭を掻きながら、
「オリバーのものしかなかったんですよ。しかも、オリバーは数日前に殺鼠用としてヒ素を近くの薬局で買っている。そこの瓶なんです」
「なるほど、確かにそこまで揃っていたら、箱が一本用から二本用に変わったぐらいで他殺だと捜査はしないですね」とサミュエル
ホッパー警部は「その通りです」と申し訳なさそうに言った。
「正直、ほとんどの捜査官は自殺なのか他殺なのか未だに迷っていると思いますよ。だが、他殺だとすれば、他人がいた痕跡があるはずだが、無いんですよ。箱が変わっているだけ、口を拭ったであろうハンカチの類が消えただけ。
もし、オリバーが自殺をした後で誰かが入ってきて、彼の痕跡を美化しようとしたのならばそれは隠ぺい工作であって他殺ではない。殺人を犯した者が、死者の口を拭ってやるなんて親切をするとは思えませんからね。そりゃ、自殺を手伝った相手ならするでしょうがその場合なら、証拠が残りますからね」
「確かにそうです」とサミュエル「ところで、配達員が渡したといった女は探したんですか?」
「もちろん。だが、マンションの住人も、その日電気工事をしていた連中もそんな女は見なかったと言っているんです。
ただね、配達員の証言、部屋から出てきて鍵をかけた。ってのが実に怪しくてね」
「まぁ、それは、オリバーの鍵を一度盗み、合いかぎを作って戻した。と簡単に推理できますよ」
「だが、そうなると、オリバーに近づけるものになる。恋人ですら鍵は持っていなかった。そのカギを作れる人間は、俳優仲間しかいないんですよ」
「ライト君が話していた付きまとっていた女はどうだろうか?」
四人が再びアイラー・グリフィスの写真を見る。
「……いやぁ、どうだろう」
「調べることは可能ですか?」
「……正直、自殺と断定した件です。捜査をするとなると、」ホッパー警部が言葉を切る。
「警部の単独行動ですか」
「ですなぁ」
ホッパー警部がため息をついた。
「だが、仮に」とロバートが腕組をしながら言う「もし、このアイラー・グリフィスがカギを作って出入りできたとして。接近禁止命令が出ていても、舞台の本番であれば誰も気づかずに楽屋に入って作れるかもしれないねぇ。
そこで作った鍵を持って、あの日オリバーを訪ねたとしよう。
ヒ素をグラスに入れて飲め。と言って、飲むかね?」
ロバートの言葉に三人は唸る。
「相手は付きまとっている嫌な奴なわけじゃないか。そんな奴が不法に鍵を使って入ってきた時点で大騒ぎをするだろうよ。もしかしたらオリバー自身が彼女を中に入れた。というのはないだろうか?」
「オリバー自身が?」ライト記者が驚いたようにロバートを見る。
「そう、もう付きまとわない、これが謝罪のワインだ。とか何とか言って、手渡す。一応謝罪を受け、中に入れる。付きまとってうっとうしいと感じていただけで、命の危険を感じないだろう。相手は女だもの。だとしたら、オリバーは彼女を中に入れる。うまい具合にヒ素で殺鼠剤を作っている机に目が行き、彼が背中を向けている間にさっとグラスにヒ素を入れる。
ワインをなみなみ注ぎ、それを飲んでくれたら、気分良く帰れる。とか何とか言われ、オリバーは飲み干す。吐く。倒れる。彼女は口を拭い、手を合わせる。そこは、愛しい人だったものへの敬愛からだと思うが、そうして部屋を出たところで配達員と会う。受け取ったワインを持って帰る。帰る際に金髪か、何かのかつらでもかぶっていれば気にされないだろう。どうだろうか?」
「なるほど、素晴らしい。素晴らしいですよロバート!」とライト記者が手を叩く。
ホッパー警部は少々納得がいかない顔をして見せた。
「玄関の鍵は?」
サミュエルの言葉にロバートが少し考え「あ」と短く言った。
「まぁ、合いかぎを作っていたとしたらそれで鍵をかけて出て行ったのだろう。と一応筋道はつく。なみなみワインを注ぎ、それを謝罪を受けたしるしとして飲み干してくれとはよく考えたと思うよ。オリバーにしてみれば、ワインを飲み干せばもう付きまとわれなければ、多少苦みだか、不快感を感じても飲みほしただろうからね。
そうなると、二本分のワインの箱は彼女が用意したことになり、まぁ、女のところに送るプレゼントの箱は無駄に大きいので、もともとは別のものが入っていて、それに入れてきたのかもしれないということも考えられる。
二本分の箱だが、入っていたのは一本だけで、箱がそれしか用意できなかった。という理由ならね。
だが、配達員が持ってきたワインと、部屋にあったワインは、同じものだったらどうだろう?」
「同じものですよ。通し番号も1203オリバーの誕生日の番号を予約していたものです。ラベルを貼り替えられた跡もなく、抜いたコルクもそのメーカーのものです」
「……では、配達されたワインを持って入った?」
ロバートが唸り、その後で頭をくしゃくしゃと掻き毟った。
「いい案だと思ったのだけどなぁ」
その行動にライト記者が苦笑いを浮かべる。
「解っていることは」ロバートがそう言って指を折る準備をする。「ワインはワイン業者のもの。箱はなぜだか二本分。玄関、窓の施錠はしていた。台本には遺書と見えそうな書き込みがあった。しかしこれは役の上での書き込みかもしれない。オリバーは付きまといの被害者だった。恋人がいたが彼女にはアリバイがあった。パトロンは、恋人ができるか、役者としての魅力がなければ捨てる気でいた。配達員が手渡したザクロ色の口紅の女。きれいに拭かれた口元。安楽を意味するよう組まれた手。
自殺だと思うよ、大きな理由で。でも、口を拭き、手を組ませたのは誰か?」
「ザクロ色の口紅の女は無関係なのか?」
ライト記者が後を引き取ると、ロバートはしきりに頷きサミュエルを見た。
サミュエルは黙ってアイラー・グリフィスの写真を見ていた。
翌日は雨が降ってきた。
「やはり、雨の日には手紙は来ないようだね」とロバート。
さらにその翌日も雨が降り、手紙は来なかった。
日曜日は朝から晴れて、日の出とともに暑くなってきた。蝉の声が煩くてロバートはうっとうしそうに起きてきた。
「来たよ」
そう言って開封して手紙をサミュエルが振る。
ロバートは急いで席に着き手紙を見た。
【妹は悪くない】
「……ザクロ色の口紅の女は、このスイートフィグの女の妹なんだ」
ロバートが言うが、サミュエルは首を傾げたまま考え込んでいた。
ことが急転したのはその日の夕方だった。
ロバートもサミュエルさえも暑くてソファーの上でぐったりしていた時、明けた窓から石を入れた手紙が放り込まれたのだ。当たったら怪我をする。とロバートが文句を言うのを鼻であしらいながら、サミュエルが手紙を開封する。
「おい、これは、驚きだ」
サミュエルがロバートに手紙を渡す。
【明日の18時に、タルヴィス・ガーデンの東側にある赤い扉のアパートメントの5階の3号室においでください。名乗ってくだされば構いません】
ロバートはサミュエルを見た。
「どうしたことだろうね? 字がきちんとそろっているし、きれいだ。それにちゃんとした文章だ」
「あぁ。そうだ」
「……行く気じゃないだろうね?」
「行くよ? 行かないのかい? 行かないという選択肢があるのかい?」
「だが、訳の分からない手紙じゃないか。
そもそも、無関係なオリバー・ジャクソンの死因について自殺ではなく他殺だと寄越し、それについての詳細も、なぜ知っているのかも、彼女自身の事すら何も書いて寄越していないのに、……危ないと思わないのかい?」
「危ないと思うからこそ、女一人の家に君と行くのだよ」
「そりゃ行くといえば行くよ。だけど、相手は得体のしれないものかもしれないじゃないか」
「得体のしれないものだと思っているんだね?」
「……ジェームズが言っていただろう?」
サミュエルは少し考える。
「……君は、ジェームズが言った幽霊のようだ。というのを気にしているのかい?」
「ばかにすればいいさ。……だがね、そういう得体のしれないものは恐怖でしかないよ」
「……僕は、人間のほうが怖いけどね。だが、行くよ。こんなに僕を悩ませたんだ、答えを出すというのだから行くよ」
サミュエルの言葉にロバートは納得していない顔をしながらも、同行すると約束した。
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