第3話 2通目、3通目の手紙

 翌日。ロバートは午前中は人と会う約束があると言って出かけて行った。

 サミュエルは開け放した窓から外の風を入れながらも、暑い日差しから逃げるように通りに背を向けて座っていた。

 午前中はロバートもいないし、エレノアの訪問もなく、昼ご飯前には椅子でうたた寝をしてしまったので、三時を過ぎて目を覚めるまで一人で過ごしたサミュエルは、椅子で寝ていたせいで体が痛むと、背筋を伸ばした。

 椅子から立ち上がり、窓のほうを向くと、真夏だというのに、トレンチコートを着て、ホンブルグを被った女がサミュエルを見ている。

 サミュエルは部屋を飛び出し、玄関を急いで飛び出たが女の姿はなく、そばにいた子供が、

「手紙」

 と短く言った。

 スィート・フィグの匂いがかすかにする。子供から手紙受け取り、その場で封を切る。


【彼の死因は自殺だけど、自殺ではない】


 と、ひどい字で書いていた。

 サミュエルは辺りを見渡す。女の姿はなく、暑い昼過ぎの、いつもの風景だけがあった。


 帰ってきたロバートに手紙を見せる。

「なんだい? 言っていることがハチャメチャだ。自殺なのに自殺じゃないなんて、」

嘱託しょくたく殺人ということだろうか?」

 サミュエルの言葉にロバートが嫌そうに顔をゆがめる。

「それならば、殺人事件だ。だが、警察は自殺と断言したようだよ。

 ほら、新聞に書いている」

 と帰りに買ってきた新聞を机に放り投げた。


【オリバー・ジャクソンの件。自殺と決定。

 警視庁グレート・シティーのホッパー警部の指揮のもと、人気俳優のオリバー・ジャクソンの死因が判明した。

 警部の捜査の結果、死因は服毒自殺だと判明し、遺書のようなメモも発見されたためこれを持って捜査を打ち切るという。

 なお、葬儀告別式は―】


「ホッパー警部が自殺だといったそうだね」

「そのようだね」

 サミュエルが新聞を見下しながら言った。

「これはただのいたずらなんじゃないかな?」

「いたずら、ねぇ」

「そうさ。やっぱりおかしいよ。新聞社ではなく、この家に届くことが。もし、死因を知っていて、君に警察なりなんなりに言って欲しいなんて思うかい? 直接行くだろうよ。新聞社にしてもさ。ライト君に渡してもらいたいのならば、そう言付けがあってもいいだろう? いたずらだと思うね。第一、僕たちはオリバー・ジャクソンとは面識がなかったのだから、芝居だって見に行っていないしね」

「確かにそうだ」

「……それでも気になるのは、どうしてだい?」

 ロバートの言葉にサミュエルはあえてフォークを手にして、肉の端をつつきながら、

「タニクラ ナルの本。この、異常な暑さ。そして、君がわざわざ田舎から来ている点だ」

「僕?」

 サミュエルは黙って肉をつつく。

「君がやってきても、本が気にならない日もある。エレノアさえ来ない日だって。そういう日は穏やかで、僕は僕のリズムで生活している。だが、今回は気もそぞろなんだ」

 ロバートは「ふむ」と言って背もたれにもたれる。

「君がそこまで気に病むのは、この意味の解らない手紙のせい? それともあの本?」

「……、両方だな。僕に言わせれば、急に二つがやってきた。別々にきてよさそうなのに、だから、落ち着かない」

 ロバートが唸る。

「オリバー・ジャクソンが亡くなったのは僕が着た翌日だそうだよ。つまり、僕は、ジャクソンの死がきっかけでやってきたわけじゃない。本についてはどうもはっきりしないが、一通目の手紙が来る前から気になっていた気がするんだ。だから、手紙とは無関係だ。つまり、同時にやってきたわけじゃないよ」

 ロバートはそういってフォークとナイフを手にして食事を始めた。

 サミュエルは「ふむ」と唸った。


 サミュエルは一人書斎にいた。23時を過ぎたのでロバートは寝に行ったし、ジェームズやマルガリタも部屋に下がらせた。

 夜風が熱い層の中細く侵入してくる。かすかな涼にサミュエルは目を細める。

(いろいろと落ち着かないのは、なぜだ?)

 サミュエルは深呼吸を数分間繰り返す。


 以前誰かに教わった瞑想と禅だ。精神を集中するにはいい方法だと思う。深く呼吸を行い、その音が規則正しくなるまで待つ。そのまま眠ってしまうこともあるが、それはそれで良質な睡眠ができるので構わない。


 サミュエルは考える―


 一連の落ち着かないものを一つずつ考える。

 まずは手紙だ。得体のしれない手紙だ。(サミュエルぼくに何かをしてほしいという依頼なのだろうか? なぜ僕なのか? 僕であるならば、僕である必要とは何なのか? そもそも、この手紙は何を言いたいのか? それはいずれ答えは出るのだろうか? 出なければいたずらなのだろう。暇そうな貴族をおちょくる、あまり面白くもない、いたずらだ。

 次には、オリバー・ジャクソンの事件だ。いや自殺か。手紙によれば、殺人だというこの一件が、もし警察の発表した自殺を覆し、事件だったらどれほど面白いか? という好奇心がかきたてられているのか? そういうわけでもなさそうだ。純粋に、自殺なのに他殺であるという言葉の意味が知りたいのだろう。それも、いつか解るのかもしれない。手紙の謎と一緒に。

 あとは、何だ? 何に心を囚われている?

 そう、あの本も気になる。ロバートのように普段は白紙である本も、僕には読める。普段からページをめくって、についていろいろと知識を得ている。とはいっても、日に一つの妖魔しか覚えられない。何故だか一つ読み切ると邪魔が入ったり、眠っていたりする。たぶん、あまりにも集中すると、妖魔に魅入られるから、読めないようになっているのだろう。と思っている。

 その本を読み、すでに何順も読み返していたのに、

<私には、これがどんなものか解らない>

 とタニクラ ナルが記した妖魔のページを記憶していないのだ。妖魔について、タニクラ ナルが知らないと書いたものは無かったように記憶している。だからこそ、解らないと書いたものは覚えているはずなのだ。

 それに、映想鏡のページのインクだけが、濃いブルーブラックで、まるで最近書いたように色が鮮やかなのも、気になる―。)


 今回は眠れそうもなかった。


 翌日は手紙は来なかった。

「日曜日だからじゃないか?」

 とロバートが言うのを、サミュエルが苦々しい顔で見る。

「さもなければ、雨だからね、」

 とロバートは言い、「いたずらだよ、いたずら」と言った。


 月曜日、早朝の早い時間だった。不謹慎なほどの早朝なので、さすがのジェームズも寝巻のまま玄関を開けた。

 あの女だったそうだ。ジェームズがとっさに腕を掴んで中に引き込もうとしたが、物凄い力、それは今まで知っている女の力とは比べ物にもならない、いや、女ばかりか、男でも考えられない力で振りほどいて行った。その際ジェームズは肩を壁に強打し、少し執事服が腫れているようなので、

「そういう形のままだとみっともないから上着を脱ぐんだ。ベストなら形は気にならない。あと、長引くといろいろと面倒だから、今日は休め」

 とサミュエルなりの優しさでジェームズは休みをもらい病院へ行った。マルガリタを付き添わそうと思ったが、朝食などの用意もあるからと、付き添いはロバートが向かったくれた。


「まったくひどいったら、」

 そう文句を言うマルガリタの目が赤くなっていた。心配で涙でもこぼした痕なのだろう。

「食事の用意をして、片付けを明日に回してよければ、今日はもう、マルガリタも休んでいいよ」

「ありがとうございます。でもね、そばに居たってすることはないんですよ。あの人なんだってできるでしょう? それに利き腕じゃないから大丈夫なんですって。まぁ、着替えやらは手を貸さなきゃいけないでしょうけどね」

「利き腕じゃなくてよかったよ。ジェームズにはいろいろと助かっている。感謝しているんだよ、僕なりにね」

「伝えておきます」

 サミュエルは一人書斎のソファーに座っていた。

 テーブルには三通目の手紙が未開封のままあった。

 ロバートとジェームズが帰ってきたのは昼前だった。ジェームズの怪我は二、三日は腫れるだろうと、痛みは一週間は長引くだろう。骨には異常がないので時間が薬だと、一応痛み止めを処方されて帰ってきた。


「ひどく混んでいたよ。病院」

 と額の汗をぬぐいながらロバートが言った。

「すぐそこの、あ、知らないかな? ロイロットさんていうおばあさんは、暑さでばてて、食欲落ちて、熱中症で運ばれていたよ。それに、マッケンジーさんの奥さんは、この暑いのに大きなおなかを抱えていてね、その所為で息苦しいと、病院に来ていたし、医者の話しでは、夏特有の患者の数が今年は多いそうだ。君が言ったとおり、異常な夏のようだね」

 ロバートはマルガリタのレモン水を一気に流し込み、一息つくと、側にあった団扇で扇いだ。

「ところで、例の手紙かい? 三通目?」

「ああ」

「未開封じゃないか?」

「君だって見たいだろうと思ってね」

「ありがたいねぇ。君が心を惹かれるんだから、三通目もよほどのことが書いているんだろうね、きっと」

 そういうロバートに首をすくめ、サミュエルが封を開け手紙を出す。やはり、スイート・フィグの匂いが漂ってきた。


【彼の   本当の  死因 を  私は  知っている】


 何とも醜いうえに、この単語をむだに離して書く書き方にロバートが眉を顰める。

「あまり良い印象を与えないねぇ。こういう不格好な文章は」とロバート。

「確かに、だが、彼女は、彼の本当の死因を知っているようだよ」

 とサミュエルが言うと、ロバートは首をすくめたままサミュエルを見た。

「本当の死因は何だろうね?」

「毒だと警察は書いていたよ?」

「本当の死因。とまで書いているんだ。毒じゃないのかもしれないねぇ」

「警察が嘘をついていると?」

「さぁ、どうかな……ライト君に聞いてみようか」

 サミュエルの言葉にロバートは「ふむ」と唸り、ライト記者が働いているナイト・フラッグ新聞社に電話を掛けた。


 電話線が開通されたおかげで、央都内では電話が可能になった。もし家に電話が無くても、公衆電話から電話はかけれる。電話帳が存在し、『サミュエル・ガルシア卿』の番号はちゃんと載っているのだから、

「あの女も電話をかけてくればいいのに」とサミュエル。

「あ、君も思ったかい? 僕も思ったよ。なんだってあのは手紙を持ってくるんだろう? ここまで来るのだから、ドアを開けて、ここに座り、依頼するならすればいいのに」

「お、やっと気になってきたね?」とサミュエル。

「気になっているのはずっとだよ。そりゃ、自殺じゃない他殺だなんて、興味がわかないわけないじゃないか。でも、君に言わせれば、僕は何にでもすぐに飛びつくというから、慎重になっていただけさ」

「ははは、僕のせいだったのか。これは失礼した。だけどね、この一件に君が乗り気でないことが、僕をひどく不安にさせていたのもあるんだよ。

 君は本能的に、難題を避けて通れる素質がある。自分から避けることはしない。それなのに、いたずらだと意見を曲げないから、」

「じゃぁ、お互いが、わけだね」

 ロバートの言葉にサミュエルは首をすくめる。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る