第4話 ライト記者登場

「夜分遅くに」

 そういってライト記者は汗で襟がすっかり色抜けたシャツを着て、帽子で扇ぎながら部屋に入ってきた。ジェームズが帽子を受け取る代わりにマルガリタが入れたレモン水を手渡した。

「いやぁ、本当に暑い。ヘレッソ地方(宗国の南西部)では熱中症により一日の死者数が百に届きそうだって、まったくおかしなほど暑い」

 ライト記者はそういってソファーに座ると、ロバートを見て少し考えたようなしぐさを見せたが、すぐサミュエルのほうを向き、

「先に聞きたいんですがね。なんだって、オリバー・ジャクソンなんて若い俳優の自殺に興味があるんですかい? お好きでしたか、二人とも?」

 二人は首を振り、

「いや、自殺を認めたことが案外早く感じてね、どうしたわけかと思ったんだよ。遺書があればわかるが、台本に書き込んでいた言葉が決め手だと書いてあったね? だが、舞台そのものが、自殺をしたいが死ねないというものじゃないのかい? それならばそう言った言葉はいくらでも書き込むだろうと思ったんでね」

「まさにそこですよ。警察も、我々も未だすっきりしないのは。 

 芝居の内容はご存じで? あ、知らない。まぁざっくり言いますとね、恋人を横取りされた主人公、これがオリバー・ジャクソンが演じるんですが、だんだんと精神がおかしくなっていき、鏡に映る自分の姿が彼女に見えてくるんです。そして、抱きしめたくても鏡ですから無理でしょう? 自分が鏡を見ている間は向こうも見ている。だが、抱擁も、口づけもできない。

 そこでますます神経がおかしくなり、彼女は死後の世界に居て、鏡は向こうとつながっているんだと思うようになるが、宗教が絡んでくるんですなぁ。

 宗教上、彼は死ねない。だが、事故ならばしようがない。だから、階段から落ちたり、足を踏み外して線路に落ちたりする。

 そしていよいよ死ねるという間際、その彼女が復縁をしにやって来るのですが、こと切れてしまう。

 あれほど死にたがっていたのに、最後には、生きたい。と絶叫して死ぬ。

 とまぁ、見ましたけど、あまりいい話でもないし、オリバー・ジャクソンがいい俳優だとは思いませんがね。

 それでも、まぁ、そう、彼にしては必死にやっていたように思いますよ。デビュー時に、あまりの美貌にいいパトロンから声がかかってここまで来たけど、彼も25歳を間近にすれば、パトロンから飽きられる恐怖もあったでしょうしね」

「パトロンのアリバイは?」

「パトロンは、一人じゃないんですが、それでも彼に入れ込んでいたマッキャロン婦人、」

「マッキャロン婦人て、あの?」ロバートが驚いたように言う。

「ええ、そのマッキャロン婦人です。公爵閣下の奥方で、大の若い男好き。公爵も、30も若い夫人の趣味に文句を言えるほど元気がなくなっているので、やりたい放題。しかし、彼女が殺す理由などありませんよ。あんなものは、紙くず以下で捨てれる彼女ですからね」

 ライト記者は嫌味にそういって首をすくめ。

「それで、この芝居に真剣だったんでしょう。台本は今までの芝居よりもメモがびっしり書き込まれていました。

 舞台のどのあたりで、どの間隔で動くとか、どのくらいの動きの速さとかね。そういったものを踏まえれば、

 【死にたいのに死ねない苦痛を誰が解るのか?】とか

 【できないことに執着しすぎて周りが見えなくなる】などは、主人公を知るために書いたもの。と思っても過言ではないわけですよ」

「だが、警察も、君たちも自殺だと結論付けた絶対な何かがあるんだね?」

「ええ」

 ライト記者は少し間を開き、勿体ぶったように、

「密室だったんです」

 といった。


「彼の自宅は、そのマッキャロン婦人の所有するマンションの一つで、鍵は三つ。一つは本人が持っていて、部屋の中央に置いた机に置いてました。もう一つは夫人が。まぁ、ねぇ。それからもう一つは、マンションの管理システム上、マンションの管理会社の金庫の中にありました。

 部屋は、最上階の6階です。

 窓はすべてに施錠されていました。

 発見されたのは、風呂の水を出しっぱなしにしていたため、階下の部屋に水漏れがしてきて発見されたという次第です」

「死因は毒だったね?」

「ええ、ヒ素を飲んでの自殺です」

「さぞや暴れただろうね」

 ライト記者の口の端がニヤリと動いた。

「そう思うでしょう? ヒ素なんてひどくマズイし、まずは吐き出してしまうそうですからね。

 ですがね、オリバー・ジャクソンは、ベッドの上で胸のところで手を組み、口の周りはきれいになった状態でんですよ」

「彼は吐かなかったのか?」

「いいえ、彼の枕元にはヒ素の混じった吐しゃ物がいっぱいで、まぁ、その上で死んでいたわけですよ」

「手を組み、口を拭って?」

「そうです」

 ライト記者は口の端を緩めたままサミュエルを見る。

 サミュエルは眉間にしわを寄せ腕を組んだ。

 ライト記者はロバートのほうを見た。ロバートはサミュエルからライト記者に視線を動かすと首をすくめた。

「まったくわからないねぇ」

 ロバートはため息をつきながら言うと、

「内側から鍵はかかっていた。鍵は、オリバー・ジャクソンが掛けたのに決まっているよね? だけど、ヒ素を飲んで苦しんで、吐いたりした口を拭い、手を組んで死ねるのだろうか? 苦しいはずなのに」

 ライト記者は同意して頷きながら、

「しかも、その拭ったであろうハンカチの類が見当たらないのです」

「ベッドのシーツとか?」

「いいえ」

「じゃぁ、なんできれいだったんだろう? 密室なのに」

「だから、自殺だと?」

「そうなんです。遺体の状態よりも、現場の密室から、自殺であると断定されたんです。ですが、納得いくわけがない」

 ライト記者は鼻息荒く言うと、腕を組んだ。

「ですがね、あの晩、マンションに怪しい人物の出入りはなかったんですよ。入り口にドアマンが立っていて、彼がちゃんと見ていたというんです」

「だが、休憩時間はあっただろう?」

「あいにくと、ドアマンが二人いるところでしてね。なので、かなりの豪華な人物たちセレブのマンションなものでね。必ず一人は居る事になっている。だから、怪しい人物は誰も通ってはいないのでしょう」

「非常階段は?」

「え?」

「非常階段」

「……いや、調べていませんねぇ。ですが、6階まで今どき歩いて上がっていくものが居ますかね? エレベーターがついているマンションですよ?」

「ついていようが、ついていなかろうが、目的の部屋に行くためならどちらでも構わないのではないだろうかね?」

 ライト記者は腕を組み少し考えてから、

「非常階段は、非常扉の向こうで、確かに、登れましたが、一気に登れないようになっているはずです」

「一気に登れないとは?」とロバート

「三階までは西側の階段で登ります。だが、三階に着くと、廊下を左に進み、東側の階段で6階へ行くようになっています」

「なぜそんな構造に?」

「もともとは、非常階段は三階までだったようで、最近の安全基準? ですか? あれで、最上階まで階段をつける義務ができたが、あいにくと、西側には隣のマンションの東側の出窓があるおかげで階段がつかず、三階で東側まで行くという奇妙なものになったんです」

「なるほど。でも、そうやって登れば行けるわけだね?」

「ええ。ですが、その日、三階では電気工事が行われていた。作業員は一日中作業をし、昼はその非常階段で食事をとっていた」

「つまり、階段で登ってはいないということになるね」

 ロバートが難しく言ったが、「では、どこから、誰がやってきたのか?」という質問の答えにはならなかった。


 三人は眉間にしわを寄せて考える。誰ともなく重苦しい空気は感じている。

「あ、でも、そもそも誰も来ていないのかもしれないよ?」

 とロバートが明るく言ってみる。

「いや、ヒ素を口にして、吐いてるんですよ。それを口を拭って、きれいに死ぬなんて。いや、仮にそういう事をしたとして、拭いたものはどこにあるんです? 無いんですよ」

「ヒ素はそのまま?」

「いいえ、ワインの中に入ってました」

「では、ワインの会社にも調べはついているんだね?」

「もちろんです。ワインはオリバー本人の注文で、で配達に出した。というのです。配達したものもでオリバーの家へ届けた。と言っているんです。

 しかし、」

 ライト記者が勿体ぶったように言葉を切り、

「部屋にあった箱は、だったんです」

 ロバートが驚いてサミュエルを見る。サミュエルも驚いているようで、目を見開いていたがすぐにいつもの大きさに目を戻し、

「ワインのボトルは、一本? 二本?」

「一本です」

 簡素にライト記者が答える。

「もう一本はどこへ行ったのだろうかね?」とサミュエル。

「考えられるのは、その後でもう一件配達された。こちらにはワイン二本やってきた。中を確かめて、一本は手元に、残りの二本は他の誰かにプレゼントした。というのはどうだろうか?」とロバート

「箱に入れずに?」とライト記者

「別々の人に渡したんだよ。一人には箱入りにして、もう一人は、ボトルのまま、」

「ありえなくもないが、オリバーはそれほど隣近所と親しかったのかい?」

「隣近所とは限らないだろうよ、気に入った女優の誰かとか、」

「ねぇ、君」とサミュエルがロバートのほうを見る。「あの日、ドアマンは誰も通らなかったと言っている。それはオリバーを含めての話だ。もし、オリバーがワインを手にして出かけて行ったなら、それを話さないということはないだろう? つまり、オリバーは出掛けてはいない。ということだよ」

「……なるほど。だから、隣近所かぁ……で、オリバーの近所づきあいは?」

「そんなものありませんよ。央都ですよ? 高級セレブのマンションです。そこに居る住人はみなパトロンが与えた部屋に住む玩具恋人ですよ。顔を合わせることも嫌うのに」

「なるほど、嫌な関係だね。田舎では考えられないよ」

 ロバートは首を振ってため息を落とした。


「そうなると、一本分の箱はどこへ行ったのだろうね? そして、二本入りなのだから、ワインは全部で三本無けりゃいけないよね?」とロバート

「ワインは一本でした」とライト記者

「おかしいじゃないか? オリバーは一本入りの箱を受け取った。ワインの数は合っているよ。でも、箱は二本入りの箱。ワインの数が合わない」

「それがですね、」

 ライト記者が顔をゆがめながら、

「ワインを受け取ったのはオリバーじゃないんです」

 サミュエルとロバートが顔を見合わせる。

「確かにオリバーの注文したワインを、一本。箱入りで持って行った。これはドアマンも見ているので間違いないのです。ですが、部屋の前で受け取ったのは、オリバーではなく、女だったんです」

「女?」

「ええ、部屋から出てきたものだから、恋人だと思って、彼女も「いいわ、持っていくから」と受け取ったというんです。のだから、恋人だと思うでしょう。という話でした」

「部屋から出てきて鍵をかけた?」

 ロバートの声が上擦った。

「そうなんですよ。出てきて鍵をかけたというんです。ですが、鍵は三本しかないはずなんです」

 ライト記者が指を三本立ててみせる。

「だが、鍵を盗み、新たに作ることは可能だ」

「その通りです。ですから、警察でもこの女が怪しいだろうと、当初は捜査を進めていたんですが、女が部屋にいた形跡がないんです。ただし、居なかった形跡もないわけです」

「口を拭ったハンカチが無くなっていること以外は、だね?」

「まぁ、そうです」

 サミュエルが背もたれに深く沈んだ。

「女の、その女の特徴は覚えていただろうか?」

 ロバートが聞くと、ライト記者は帳面をめくり、

「最近流行りの、テッラ・ディターリア色のヘッドドレスに、落ち着いた印象のドレスを着て、ザクロの様な口紅を塗っていたそうです。それと同じ色の爪もしていたそうで、ぞっとしたと言っていました。髪の色がすすけていて、よくそんな恰好ができるものだと思ったそうです」

「おばあさん? おばあさんを恋人だと思ったのかね? その配達員は?」

「マッキャロン婦人が彼に言わせればおばあさんだそうです。彼女はまだ40歳になったばかりでも、18歳の配達員に言わせればおばあさんだとは、彼女が聞けばどんな仕打ちが待っているか。ですが、マッキャロン婦人の写真を見せましたが全く違うと言っていました」

「では、無関係な女に、うかつにもワインを渡してしまったのだね?」

「そういう事です。まぁ、部屋から出てきて鍵をかけていたので、無関係ではないと思った。と言われたら、まぁ、仕方ないですよ」

 ライト記者は、相手はようやく大人になったばかりのガキ《若者》ですから。と苦笑した。

「では、その女を警察は見つけ出せたのかい?」とロバート。

 ライト記者は首を振り、手を振り、

「まったくわからないんです。ドアマンも見ていない。電気工事工も見ていないっていうんですよ。おかしな話です。配達員の子供ですら印象に残った真っ赤な口紅の女なんてのが、高級マンションに居ても誰も気づかないんですよ。

 もちろん、近所の人を面通しもしたようですが、その誰とも違うと言い切ってました」

「言い切ったんだね?」とサミュエル

「そうなんですよ。野郎ね、えらく言い切るものだから、あとでいや違ったって言い出しにくくなるぜって教えてやったら、「いいえ、それはありません。だって、その女、とても不気味な目をしていたんです。間違えるわけありません」と言ったんですよ」

「不気味な目?」とロバート

「聞き返したら、どう説明すればいいか解らないけれど。自分は、あぁ、奴ですがね、あいつは北部の小さな村出身者で、奉公で出てきたのだそうです。央都に出てきたとき、川を見て何て不気味な川なのかとゾッとしたそうですよ。まぁ、田舎に比べりゃひどく濁った汚い川ですからね、でもそれ以上に恐ろしくて不気味だったと言っていました」

「不気味な目。ねぇ」サミュエルがつぶやく。












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