第38話 『嗜虐な彼女は悪戯好き⑰』


「ま、それにだ」


「ん?」


 旺太郎が話を続ける。


「あいつらはお前が倒れたって迷惑なんて思わねーだろ」


「……そうかな。みんなが心配してくれてたのに元気だって嘘ついて、結局こんなことになっちゃって。きっとみんな怒っちゃうよ」


 美栗はリフトの下に広がる木々をぼーっと見ながら呟いた。


「確かに怒るだろうな。俺があいつらの立場だったらそうする。……だが、残念ながら俺はお前の体調不良に今日まで気づかなかった」


「あはは、頑張って隠してたんだもん」


「そうだ、にもかからわずあいつらはお前の異変に気づいていた。なら、隠そうとしていたお前の優しさにも気づいてるはずだろ」


「!」


 旺太郎の言葉に、一瞬驚いたように体を跳ねさせる美栗。


「……あはは、私は自分が遠足に行きたかったから隠してただけだよ」


「どうだかな。お前がただの自分勝手な猫じゃないってことは俺にも分かる」


「……どうだろうね」


 美栗はすぐ隣に座る旺太郎に聞こえないくらいの声で、小さくぽつりと呟いた。


「ま、謝るときは付き合ってやるよ。友達だからな」


「また紫乃の激辛料理かぁ……」


 美栗は怒られることを想像し、苦笑い。昨日は遠足前日ということもあり辛さ抑えめだったが、そうでなければ、と考えるだけで恐ろしい。


「つーか、大分顔色も良かったのに、突然ぶっ倒れたよな。そんなにキツい階段だったのか?」


 旺太郎は今日のことを振り返ると、美栗の体調の起伏をふと疑問に思う。


「え?……ぷっ、あはは、そんなわけないじゃんっ。ほら、黒音って汗っかきだからさ、タオルだとか制汗剤だとか常備してるんだよね」


 そんな旺太郎に、美栗は笑いながら言う。


「……?それがどうした?」


「化粧品もさ、ウォータープルーフのやつ使ってるけど、やっぱり運動すると落ちちゃうらしいのね。だから黒音は化粧品も常備してるの」


「ウォータープルーフ?何の話だ?」


「もー、女の子に全部話させちゃいけないんだよ?できる男の子は女の子の言いたいことくらい察さなきゃ」


「今の話で理解できるとかどんな超人だよ……」


 美栗は『できる男の子は』と言うが、非常に残念なことに旺太郎は『できない男の子』なのだ。美栗の言う通りのことができるようになるまで、恐らく一年ほどの修行が必要になるだろう。


「顔色が悪いのはある程度化粧で隠せるし、汗も制汗剤使いまくって無理やり抑えてたからね。全然気づかなかったでしょ?」


「結局言うのかよ」


 察しろ、という割にあっさり解答を公表する美栗に、旺太郎もツッコミを入れる。


「確かに気づかなかったが……。そんな上手く隠せるもんなのか?」


「あはは、ほら、私って美人じゃん?だから美容品とか化粧も頑張ってるんだよね。勿論、普段は他人の化粧品なんて使わないけど、緊急事態だったからさ」


「ちょっと待て、色々ツッコミどころが多い」


 まず一つ、自分で自分のことを美人と評価していること。美栗の性格なら自覚はしているんだろうし、旺太郎も美人であるということに異論はない。だが、それを自分で言われると納得しがたいものがある。


 そして二つ目、美人だから化粧を頑張ると言うのも旺太郎には理解しがたい。というより、化粧をしない人間には理解できないのだろう。化粧をしない人間は、化粧を自分のコンプレックスを隠すものだと思いがちだ。


 だが実際にはそうじゃない。勿論、そういう化粧の仕方もある。だが、女優だとか俳優だとか、元から顔の整った人々だってメイクをするのだ。自分の魅力を最大限にアピールするための化粧だって存在する。


「ま、別に執事くんを騙そうとしてたわけじゃないけどね。ほら、あの三人に熱があるってバレたら帰らされちゃうから」


「そうだろうな。だが、確かに違和感もあったな。最初はあれだけ体調が悪そうだったのに、いくらメシが上手いからってそんな元気になるはずはないよな」


「あはは、せーかいっ」


「それに、思い返せば今日はお前にからかわれてないな。元気がなかったからそんな余裕もなかったのか」


「え……。ほんと?気づかなかった……」


 自分ではいつもどおり旺太郎に接していたと思っていた美栗だが、旺太郎はその違和感に気づいていた。美栗自身も気づかない自分の変化に、旺太郎が気付いていた。


 その事実に気づいた美栗の心が、とくんと音を立てる。


(……この気持ちは、まだしまっておこう)


 美栗の心が、温かい気持ちで満たされていく。

 その温かな気持ちを感じて満足げに微笑みながら、美栗はゆっくりと目を閉じていく。


 がたんがたんと軽く揺れるリフトで、二人は自然の静寂を味わう。日差しは燦々と照りつけてはいるものの、疲れた身体に吹きかかる心地よいそよ風、耳を癒す鳥たちの鳴き声を全身で堪能する。


「……」


「!」


 美栗の頭が徐々に下がっていき、とうとう旺太郎の肩に、ぽんっと乗っかる。遠くの山々や八王子の街並みを臨んでいた旺太郎だが、ぱっと美栗の方を振り向く。


「お、おい、それはさすがに……」


「……」


(……仕方ないか)


 旺太郎は起きるように言おうとするが、美栗の表情を見て、思い留まる。目を閉じて幸せそうに微笑んではいるが、熱のせいで息は荒い。


 旺太郎はそんな美栗の頭をぽんぽんと撫でながら、ねぎらいの言葉をかけた。


「よく頑張ったな。えらいぞ、夏野」


「……」


 美栗の表情がぴくっと動く。

 美栗が起きているのか寝ているのか、それは美栗にしか分からない。


「映画、たのしみだな」


 美栗は小悪魔的な笑顔を浮かべていた。

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