第30話 『嗜虐な彼女は悪戯好き⑨』
相模湖と相模ダムの横を通り過ぎ、山が旺太郎たちのすぐそこまで迫ってきた。クラスの列の中央あたりにいる紫乃と黒音は、すこし列から外れたところを歩きヒソヒソと話し始める。
「……紫乃、美栗は大丈夫なんですか?」
「大丈夫だと思う?どう見たって体調不良よ。熱はないって言ってたけど、それも本当かどうか怪しいわ」
長年共にしてきた幼馴染にとって、相手のわずかな変化に気づくなど容易。それが精神的なものではなく、身体的な変化なら尚更だ。
紫乃も、黒音も、クラスの最前列で神崎先生と好きな小説について語っている白奈も。美栗の体調不良などとうに見抜いていた。
「あぁ、どうしましょう……。体調不良で登山なんて危険すぎます。やっぱり私、美栗の側に行ってきます」
「待ちなさい」
列の後ろへ歩いて行こうとする黒音を、紫乃が引き止める。
「先頭の神崎先生にも、後ろのインストラクターの人にも説明してあるから大丈夫よ。もちろん、それでも心配だけど……。美栗が体調不良を隠してる気持ちも尊重してあげたいわ」
「けど、何かあってからでは……」
「私たちがいくら心配したって、美栗の体調は良くなるわけじゃないわよ。心配されるよりも、私たちが楽しんでた方が美栗の精神的には楽になるんじゃないかしら」
「ですが……」
美栗の意思を尊重して楽しもうと言う紫乃と、美栗を心配し見守っていた方がいいと言う黒音。
「……やはり、今のうちに説得して家に帰した方がいいと思います」
「無駄よ。私が昨日も今朝も何度も言ったけど、聞く耳を持たなかったわ。分かるでしょ、ああなった美栗はてこでも動かない」
すると、列から外れている二人を見つけたクラスメイトが、「おーい」と声をかけてくる。紫乃がそれに軽く返事を返し、
「ほら、みんな呼んでるから戻るわよ。大丈夫よ、時々様子を見て、駄目そうなら無理やり帰すから」
「大丈夫でしょうか……。なんだか嫌な予感がします……」
紫乃と黒音は、クラスメイトたちのところへ戻っていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
一方、友達がいない二人組、旺太郎と美栗はクラスの列の最後尾を歩いていた。
「いやー、湖もダムも大迫力だったな」
「……うん」
覇気のない声で答える美栗。額からツーと汗が流れ、顔は火照って赤くなっている。
「……どうした?熱中症か?」
「あはは、そんなんじゃないよ。黒音と違って、ほとんど運動しないから。すぐに疲れちゃうん、だよね」
キツそうな表情を隠そうと、美栗はわざと笑って見せる。
「たしかに日頃の運動は大事だが……」
(重い荷物を背負って厚着をして、さらに春とは言えこれだけの日差しだしな……)
日頃からランニングをしている旺太郎でも、体力を奪われている。日頃運動をしない美栗は尚更キツく感じるだろう。
「貸せ」
「え?」
「荷物、持ってやるよ」
そんな美栗の辛そうな様子を見かねて、旺太郎が美栗の荷物を持つことを提案。
「い、いや、いいよ、そんなこと。二つも荷物持ったら、陰キャ君が危ないよ」
「ふっ、夏野、山育ちを舐めすぎだぞ。そのぐらい朝飯前だ。それともなんだ、お前ごと背負った方がいいか?」
「……じゃあ、お願いしよっかな」
旺太郎がキザっぽく笑いながら冗談を言うと、美栗は嬉しそうに少し微笑む。
「お、おう」
『え〜、そんなに私とくっついてたいの?』とか、美栗が冗談で返してくると思っていた旺太郎だが、意外にも短く返されてしまって若干困惑する。
一旦立ち止まり美栗がリュックを下ろすと、旺太郎がそれを受け取り腕を通して反対向きに背負う。背中と胸の両方にリュックを背負っている形だ。
「あ、ちょっと待って」
美栗はそう言うと自分のリュックのファスナーを開き、中から栄養ドリンクを取り出す。
「冷蔵庫に詰め込んであったの、お前のだったのか」
「うん。重くなるから数本しか持ってきてないけどね」
美栗が飲み干したのを確認して、二人は再び歩き出す。
少し歩くと木々が増え、日差しが葉によって和らいできた。既に列の先頭は、坂を上り山道へ入りかかっている。
「やっとか。駅から遠すぎるだろ」
「あ、陰キャ君見て、あそこにバス停あるよ」
美栗が指さした方を見ると、確かにそこにはバス停がある。
(そりゃこんな距離歩かないよな……)
バスで来れば良かったのに、と思わないでもないが、ここまで徒歩で来たのは、登山を開始する前のウォーミングアップも兼ねているのだろう。それで体力を消耗しては本末転倒だとも思うが。
「ま、ともあれようやく登山開始だな。夏野、キツいかもしれないが楽しもうぜ」
「うん!楽しもうね!」
心なしか元気を取り戻しいつも通りの笑顔を取り戻した美栗。自分に喝を入れようと、旺太郎の声に大きな声で返した。
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