第28話 『嗜虐な彼女は悪戯好き⑦』


「んぁぁ……。よく眠れたぜ」


 遠足当日。時刻は朝7時。旺太郎は眠い目を擦り無理やり意識を覚ます。


「……寝坊した」


 普段の旺太郎の起床時間は午前6時にも関わらず、今日の起床時間はそれより1時間も遅い。かと言って遠足に遅刻するわけではないのだが。


(昨日は何故か寝付けなかったからな……。不思議だ)


 そう、旺太郎は何故か寝付けなかったのだ。それはまるで、旅行が楽しみで寝られない小学生のように。


(ま、今日はランニングしないしいいか)


 旺太郎は心の中で言い訳を呟きながら、三階へ登って洗面台で顔を洗う。歯を磨き終わると、水を飲もうとキッチンへ向かう。


「おはよう」


「……」


「陰キャ君おっはー」


 ソファに座る紫乃と美栗に挨拶をする旺太郎だが、返してくれたのは美栗だけ。未だに紫乃には認められていないようで、紫乃は少し不機嫌な表情。


 旺太郎はリビングを横切り、キッチンへ行き冷蔵庫を開ける。


「ん……?なんだこれ」


 旺太郎は冷蔵庫に大量に詰め込まれていた、茶色い瓶に入った飲料を発見し手に取る。


(栄養ドリンクか……。こんな大量に要らないだろうに、金持ちかよ)


 ラベルを見て栄養ドリンクと理解した旺太郎は、そっと元の場所に戻す。お茶の入ったペットボトルを取り出すと、冷蔵庫の扉をぱたん、と閉める。棚からコップを取り出し、お茶を注ぐ。


 お茶を飲みながら顔を上げ、紫乃と美栗のいるソファをぼーっと眺める。背もたれから後頭部がはみ出しているだけで、二人のことはほとんど見えないのだが。


「……あんた、それ本気で言ってんの?」


「どうして?私は……きだよ。しん……ないで」


「気付いてないと思ってるわけ?信じらんない」


(……喧嘩か、こんな日に……)


 そのギスギスした雰囲気と、わずかに聞こえる内容から、旺太郎は二人が喧嘩していると推測。


「えいよ……んなに買い込んでるじゃない」


「あはは、あれはただハマってるだけだよ」


(やっぱ女は怖いな……)


 お茶を飲み干した旺太郎は、ギスギスした雰囲気から逃れようとその場からそそくさと退出する。旺太郎が居なくなったリビングで、二人が会話をつづける。


「……美栗、あんたの気持ちも分からないでもないから、行くなとは言わないわ。けど、様子がおかしかったらすぐに帰らせるから。何かあってからじゃ遅いもの」


「ありがとう、紫乃。でも、本当にそこまでのものじゃないから大丈夫だよ」


 美栗は精一杯の笑顔を作って、そう答えた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「ふふ、楽しみね。天気が良くて本当に良かったわ」


 遠足の集合場所、相模湖駅に向かう電車の中で、紫乃が嬉しそうに言う。


「えぇ、山の天気は崩れやすいらしいですが、これだけ晴れていれば大丈夫でしょう。天気予報も問題ありませんでした」


 真面目な黒音は、事前に色々と調べていたのであろう情報を提供。


「紫乃の作ってくれたお弁当、楽しみなんです」


「もう、白奈は食べ物のことばっかりなんだから」


 気が早い白奈が、既にお昼ご飯のことを考えていることにツッコミを入れる美栗。


「そんなに大したものじゃないわよ。ピクニックっぽさを出したかったから、変に拘ったりはしてないわ」


「紫乃の普通はプロレベルだもん」


「同感です。正直、紫乃の料理より美味しいものは食べたことがありません」


「ま、まぁね。この私が作ったんだから美味しいに決まってるわ」


 謙遜する紫乃だが、その料理を美栗と黒音が絶賛する。一度は謙遜した紫乃だが、褒められて気分が良くなったようだ。楽しそうに談笑する四人に、旺太郎も気分良く話しかける。


「知っているか、今日の登山ルートはどうやら観光者向けの生温いものじゃないらしいぜ。かなり本格的な登山になるようだから、くれぐれも怪我をしないように行こう!」


「うるさいわね!ていうかなんで一緒に来てるのよ!一人で行きなさいよ!」


「ふっ、こういうのは二年ぶりぐらいだからな、少し気合を入れていこうと思って全身迷彩柄で来たんだ」


「聞きなさいよ!」


 無視する旺太郎に、紫乃は怒りをあらわにしてつっこむ。


「気合の入れ方が間違ってます……。そもそも、蜂に刺されないよう、黒っぽい服は避けた方が良かったと思いますよ」


「安心しろ。俺は山育ちだから蜂の対処法くらいは心得てるさ」


「さすが野生の猿ね。キーキー煩いだけあるわ」


「おいコラ冬木」


 先程無視した腹いせとばかりに、紫乃が旺太郎を口撃する。今日も毒舌が全開だ。


「変態さんは蜂を捕まえてそのまま食べるんですね……。めちゃくちゃキモい、です……」


「食べねーよ!」


(こいつは食べ物の話ばっかりだな……)


 蜂の対処法を心得ている、という話がどうしてハチを食べることにつながるのか、旺太郎は甚だ疑問である。


「あはは、陰キャ君、楽しそうだね」


「まぁな。せっかくなんだ、楽しまないと損だろ」


「そっか。よーし、今日はみんなで思いっきり楽しむぞ〜!」


「「おー!」」


 美栗の宣言に、旺太郎と白奈の二人は声高々に返事をする。しかし、黒音と紫乃はその様子を見て眉をひそめる。


「ちょ、ちょっと、電車の中ですよ!声が大きいです!」


「なんで『みんな』にこの害虫まで入ってくんのよ……」


(猿よりひどくなったな……)


 注意する黒音と、相変わらず旺太郎を人間扱いしてくれない紫乃。


「あはは、ごめんごめん」


「でも、他の人、ほとんどいないんです」


「そういうことじゃありません!」


 遠足へのワクワクと少しの不安を胸に、五人は電車に揺られて行った。

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