第26話 『嗜虐な彼女は悪戯好き⑤』


「美栗〜、ちょっと買い物行ってくるわ」


「行ってきますね」


 部屋にいる旺太郎。ドアの向こう、吹き抜けの下の玄関から紫乃と黒音の声が聞こえる。


「お、行ってらっしゃーい。気をつけてね」


 そんな二人を玄関から見送る美栗。

 がちゃり、と重たい玄関のドアが閉まる音が微かに聞こえ、旺太郎は部屋で喜びを露わにする。


(騒がしい冬木と春咲が買い物に行った……!これは勉強のチャンスだぜ!)


 昨日、紫乃にスマホで音楽が聴けるようにしてもらった旺太郎だが、イヤホンやヘッドホンを持っていないのだ。スピーカーで音楽をかけてもリビングで騒がれたら集中などできない。


 旺太郎はスーツケースに並べた参考書を手に取り、机に着く。筆箱からシャーペンを取り出し、いざ勉強を開始しようとしたその時。


「どーん!」


「うおぉぉぉ!?!?」


 いきなり部屋のドアが開くと、美栗が乱暴に侵入してくる。思わず奇声を上げ持っていたシャーペンを落とす旺太郎。


「あはは!なにその声!」


「夏野……!いきなり他人の部屋に入るとかどういう神経してんだ」


「いやー、ヒマかなーと思って」


「答えになってねぇよ……」


 暇だろうが忙しかろうが、いきなり部屋に人が入ってくるのを嫌がるのは当然だろう。


「ふーん……。部屋きれーじゃん」


「引っ越したばっかだぞ。つーか出てってくれ。勉強したいんだ」


「勉強ねぇ……」


 キョロキョロと部屋の中を見渡し、美栗が旺太郎の部屋を評価する。しかし、この部屋で暮らし始めて1週間も経っていないのに汚くなるわけがない。


 旺太郎はそう言うと、美栗を無視して参考書に目を移す。そんな旺太郎を見て、ドアのところに立っていた美栗が、旺太郎のいる机のところまで歩いてくる。


 旺太郎の背後にきた美栗は、耳元に顔を近づけると、


「おねーさんが教えてあげよっか?手取り足取り、丁寧に」


「断る。学校サボってる奴に教わることはねーだろ」


 そんな耳元での囁きにも動じることなく、旺太郎ははっきりと答える。そんな旺太郎の反応に、美栗は一度顔を離す。


「えー、そう?だって学校の授業って、レベル低すぎるじゃん。それよりも……」


 そこで言葉を区切り、美栗はもう一度耳元に顔を近づける。


「勉強よりも楽しいコト、しちゃお?」


「……」


(こいつ……挑発してんのか?)


 可愛らしい声と、微かに耳にかかる息が旺太郎の頬を僅かに赤く染める。しかし、そんな色仕掛けに屈する旺太郎ではない。


(……受けて立つぜ)


 強靭な精神力で、旺太郎は心の動揺を無理やり押さえ込む。


「あはは!じょうだ―――」


「おう、やろうぜ、勉強より楽しいこと。教えてくれよ」


 冗談。そう言いかける美栗だが、旺太郎は最後まで言わせない。美栗が冗談で揶揄っていることなど旺太郎は分かっている。


 だからこそ、あえて美栗の冗談に乗り、反応を伺うという作戦だ。できる男なら笑って流す場面なのだろうが、旺太郎の性格の悪さが滲み出ている。


「えっ……えっ!?」


「なんだよ、教えてくれるんだろ?」


(作戦通り……!)


 見事、作戦通り、焦りを隠すことができない美栗。なにを考えていたのやら、ぼっ、と音が出そうなほど勢いよく美栗の顔が赤く染まる。


「あの、いや、その、えと……だから……」


 美栗は手をわちゃわちゃと振り、必死の抵抗。数秒の沈黙の後、何かを閃いたように美栗がぽん、と手を叩き、


「陰キャ君!買い物行こうよ!」


「行かねーよ!」


 旺太郎は四日連続の買い物に誘われた。


「教えてくれって言ったのはキミだよ!今更断るとかなしでーす!」


「冗談に決まってんだろ!つーかこれで買い物行ったら四日連続だぞ!」


「四日なんてよくあることじゃん?」


「ねーよ……。金持ちかよお前ら」


「えへへ、まぁね」


(クソ、こいつ……!)


 照れ笑いをしながらも、金持ちということに関して一切の否定もしない美栗。貧乏気質な旺太郎がそんな美栗にイラッとしてしまうのも仕方ないだろう。


「それに陰キャ君、棚とか要らないの?それ、スーツケース使ってるじゃん」


「ん?あぁ、確かに棚は欲しいが、そんな金はないんだ。お前らみたいな金持ちには分からねーだろうけどな」


「うわぁ、卑屈、ドン引き……」


「……」


 皮肉たっぷりに応戦する旺太郎に、美栗は心の底からドン引き。ストレートなその言葉に、旺太郎もショックを隠しているのか、微妙な表情を浮かべる。


「ていうか、そんな心配しなくていいよ。棚とか家具なら、どうせ家に置くものだし、お父さんたちが払ってくれるよ」


「いや、だが……」


「そのベッドも机も、陰キャ君が買ったわけじゃないでしょ?それと同じだから気にしなくていいのに」


「……そういうもんなのか?」


「あはは、そういうもんなのだ」


 どうやら、お金は旺太郎が負担しなくても良いらしい。その言葉に、勉強をしたがっていた旺太郎の心が揺れる。


(うーん……。どうせ棚は必要だしな……)


 何しろ、スーツケースに参考書や教科書を入れるのは、背表紙が見えないため使い辛い。今後も入れる物が増えると考えれば、今買って置いた方がいいのは当然だ。


「よし、分かったら行くよ!陰キャ君!」


「うお!引っ張んな!」


 美栗は強引に旺太郎の腕を引っ張り、座っていた旺太郎も思わず立ち上がる。意図せずして手を握っている二人だが、部屋から出ようとドアを開けると、目の前には―――


「あ、えと、これは違くて……」


「……隣の部屋でいちゃいちゃと……ずるいんです!」


 ぷくーっとリスのように頬を膨らませた白奈が立っていた。

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