拝啓、今際の君へ

一水素

拝啓、今際の君へ

「本日は取材に協力していただき誠にありがとうございます、先生」



何処かにある和室、そこには私たち二人の記者と一人の老人がいた。

夏から秋へと季節が変わる境目、シトシトと降る雨はサネカズラの花を艶やかに濡らしている。


花弁から滴り落ちる雫は彩を纏って、背景の様々な色を吸収して落ちていく。

奥に映る鹿威しも相まってとても風靡を感じさせる佇まいだが、その白で埋め尽くされた庭はいささか不思議な感じがした。



「こちらこそ、こんな山奥までよく来てくれたね。近頃は麓まで出向くことも出来なくなってしまって...どうしたものかね」


「いえいえ、何を仰るんですか。近年の文学界を代表するお二方、その一人にお会い出来るとなれば急ぎ足で向かいますとも」


思わず返答に力がこもってしまう。無理もないだろう、今や文学界ではこの二人の名を知らぬ者はいない。お互いがお互いを刺激し合って、独創性溢れる作品が多く生まれた。それはいつしか文学界に衝撃を与え、そして今に至る。



「さて、それではさっそくインタビューを始めていきたいと思います」

「まずはじめに、文学の道を歩むことになったきっかけを教えて頂けますか?」



降る雨が大きくなり、その音が私たち三人の気配を掻き消さんとする。

しかし先生はゆっくりと、過去を思い返すようにゆっくりと語り始めた。



私が文字を嗜むようになったのは、あの人と...





不意に言葉が途切れたと思えば、瞬く間に今いる和室とは別の場所に立っていた。

「瞬く間」、文字通りに瞬きをする刹那の時間、はたまたそれよりも短い一瞬、そうして今立っている場所を見ると驚きで言葉が出なかった。


晴天の元で辺り一面に広がる瓦礫の山、どこかで見た景色がそこにはあった。



「これって...あの人の作品で出てくるワンシーンだ...」


取材に同行したカメラマンが写真を撮りながらそう呟く。この不可解な現象には一切疑問を持たず、ただ感極まり興奮しているのが目に見えてわかった。だが、確かに記憶にある風景と一致している。



辺りを見渡しても先生の姿はどこにもない。

しかし、目の前には坊主頭の少年が黒い万年筆を握りしめて座り込んでいた。埃まみれで筆先がひしゃげているにも関わらず、抱きしめるように握っていたのだ。


「...あんなシーン作中でありましたっけ。しかも、あんな子は作中で一度も見たことがない」


確かにそうだ。

本来なら主人公である女の子の目線で戦争の悲惨さを巧みに伝えるもののはず、こんな登場人物が出てきた覚えがない。



そう考えているうちに元居た和室で座っていることに気づく。

雨はその勢いのままに降り続け、添水そうずの竹が石にぶつかる音が聞こえる。


私たちはその超常的な現象に驚いたものの、気を取り直して目の前へと視線を向けた。


「君たちのよく知る彼とはだいぶ昔からの仲でね。彼から貰った万年筆が空襲で使い物にならなくなった時はひどく落ち込んだものだよ」



...やっとわかった、先程のはだろう。

あの作品に関わらず、この人が手掛ける作品には自分の体験が込められていると聞いたことがある。


「...そんな話は一度も聞いたことがありませんでした。まさか先生方が昔馴染みで、物のやり取りまでしていたとは...」


「そうだね、僕たちはあまり自分のことを語らないから、傍から見たらとても険悪な関係に見えたかもしれない」



でも彼にはとても感謝しているよ、だって...





...まただ。


視界に映るのは和室とはかけ離れた場所だった。

そこは戦時中の日本を思わせる住宅街の一角、徴兵を促すプロパガンダが夕日に照らされているのがとても目につく。


そして先程と同じく目の前には坊主頭の少年がいた。

物腰柔らかそうな甚平姿の青年に悪態をついている様子、前見た時よりも昔の出来事だろうか。


青年に諭されたのか、二人はどこかの家へと入っていったのだった。



「これを受け取っておくれ。君がもし物語を紡ごうと思うのなら、これはきっと君の力になるはずだから」


そこはまさに書斎と言える場所、青年は黒く塗られた万年筆を少年に手渡す。


「自分の不自由さにかまけた僕が誰かの役に立てるというなら、これ以上嬉しいことはないよ」



でも、君がその筆を使ったなら、僕も君に負けないように頑張らないといけないね。





気が付くと、私たちは元居た和室に戻っていた。

先程の光景は間違いなく二人が初めて出会った記憶だろう、彼の代表作にもこのようなシーンがあった気がする。


「体が不自由だった彼は徴兵を免れていた。当時の私はそれが気に入らなくてね、日に日に増していく国への不満を彼にぶつけてしまっていたんだ」



でもある日、彼が私に一本の万年筆を差し出した。


「それが私の人生を変えた。学徒としてただ命を落とすのではない、それ以外にも生きる理由はあるんだと教えてくれた」



「彼の紡ぐ作品はどれも素晴らしいものだった、その才能を羨むくらい。それが悔しくて悔しくて...私も負けじとその後を追っていった」


「本土が焦土と化しても私たちは生き延び、様々な作品を手掛けていった。その様子を世間は切磋琢磨と呼んだが...それはとんでもないよ。私は彼に一度でもまさったと思ったことはない」



そう話し終わると共に、先生は激しく咳き込む。

その手には血が付いており、それが彼の身に起きていること全てを表している気がした。


「...私は肺結核を患っていてね...。どうやら、もう時間はあまり残ってないらしい...」


「今は安静にしてください先生! 今すぐ救急車を呼びます、先生は寝室の方に移動しましょう」





降る雨はその勢いを無くし、雨音は心地いい音を奏でる。

白と雨が混じる模様を尻目に、先生は寝具の上へと横たわっていた。



「たぶん...今手掛けている作品で最後になるだろう...。それで彼に勝てるかどうか...」




私はその言葉に反応したものの、言いかけた言葉を戻し口をつぐむ。

そして今までいた寝室は跡形もなくなり、そこは白と黒のみで彩られた世界へと変わっていた。


何処かの崖の上、一本松が目立つその場所で二人の男が剣戟を繰り広げている。



「あれは...あの二人だ」


カメラマンの口からその言葉が感嘆と共に零れ落ちる。かくいう私も、その光景をただ見ていることしか出来なかった。



世間からは絶大な評価を受けた二人。

今、私の目の前にいる二人はそんな評価を具現化したような、名のある剣豪のような面持ちをしている。


しかし一瞬の隙を突かれ、先生の首筋に刀が突き付けられる。

勝負あったと言わんばかりに、彼はその刀を納めてどこかへと消えてゆく。



私たちはただ、そのうしろ姿をじっと見つめていた。




元居た寝室に戻っていることに気づくと、カメラマンは抑えきれない思いを口に出す。


「先生...あなたの追い求めるあの人は...もう...」


雨が止み、次第に雲の切れ目からは眩いくらいの日差しが顔を出す。サネカズラに滴る露は、そんな日差しを浴びて淡く輝いていた。



「分かってるさ...。本当はもう追い越しているのかもしれない、でも私はそれを認めたくないんだ」



だって、






「私は...彼に追いつこうともがいてる、そんな自分が好きだから」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



これを書いてる頃には、私は死んでいるんだろう。

死者に向けて手紙を書くだなんて、気でも触れたのかと思うだろうね。



サネカズラ、今年も無事に咲いたよ。

もともとは君のために植えたものなんだ。




私は...僕は君に追いつけたかな?


そういったことを、是非とも語り合いたいな。





                                    敬具

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