第60話 英雄皇子

「君は、どうして僕のことをニセ英雄と?」


 ガンガンに殺気飛ばしてくるエルフ女を制止しながら、<英雄皇子>が問いかけてきた。

 さすがに英雄サマは冷静だな。


「別に大した理由じゃない。俺が本物の英雄だからな、もう一方は偽物だろう?」

「そう、か。なるほど。道理ではあるね」

「射殺してやるッ! アルベルト様、どうか許可を!」


 エルフ女は矢に手を掛けて、今にもそれを番えそうにしている。

 <英雄皇子>はそれを両手で制して、抑えていた。


 どうやら随分慕われているようだ。


 逆にメイド服の女の方は、まるで観察するように僕の事を見ているだけで、感情を表に出すことはしていない。

 僕が来る前から、来た後も。

 その佇まいは変わらず、ただ<英雄皇子>の傍らに控えているだけだった。


「どうだ、ひとつ立合いで決着をつけようじゃないか?」

「ああ。まあそれは構わないんだけど――」

「――アルベルト様」


 口を挟んできたのは、メイド服の女だ。

 鈴の音のような美しい声。

 しかし芯が強い声だ。

 その場にいたヤジでさえも、ただ彼女がひとこと発しただけで、静まり返っていた。


「何かな、アミラ?」

「武帝の招待までもう時間がありません。ここはワタクシが引き受けますので、お急ぎください」

「おいおい、逃げるのかよニセえい――」

「ダマれ下郎が――」


 僕が<英雄皇子>を引き留めようと口を開こうとした瞬間、メイド服の女からとんでもない威圧感が発せられる。

 思わず世界樹の木刀に手をかけるが、ここで抜くわけにはいかないだろう。


 そのうちに周りの野次馬たちが、口から泡をふいてバタバタと倒れだした。

 僕は全身を流れる冷や汗を感じながらも、なんとかその場に留まっていた。


「これ以上アルベルト様を貶める発言をしてみなさい。バラバラに引き裂いて――こロシテやるゾ?」


「――なんっ」


 メイド服の殺気が膨れ上がったかと思うと、その褐色の肌に鱗のような物が浮かび上がる。

 顔の左半分を覆ったその鱗は、吸い込まれてしまいそうな闇色をしていた。

 そして段々と浸食していくそれが目まで到達した時、メイド服の目が金色に輝き、まるで爬虫類のような縦長の黒目がこちらを見据えた。


 僕は反射的に木刀を抜こうとして、身体がまったく動かないことに気が付いた。

 それどころか、全身から力が抜け落ちていくような、血が全て流れ出していくような感覚に襲われている。

 心臓の音がやけに大きく聞こえ、どこからかガチガチという音がうるさく鳴り響く。


 息が苦しい。

 立っていられず、片膝をついた。

 それでも、あの金色の目から逃れることが出来ない。

 あの目は――。


「アミラッ!!」


 <英雄皇子>の怒鳴り声が響き、辺りを包んでいた絶望的な殺気は霧散した。

 僕は大きく咳き込んで、その場にうずくまる。


 一体何がおきた?

 今のは何だ?


「こんな街中でやりすぎだ」

「――申し訳ございません。ゴミ虫に、立場というものを分からせてやる必要がありましたので」

「まったく……ああ、君。大丈夫かい?」


 <英雄皇子>が僕に声をかけてきた。

 なんとか顔を上げるが、今自分がどんな表所をしているのか分からない。


 皇子は困ったような、申し訳ないような顔をして僕に笑いかけた。


「怖がらせて悪かった。そんなつもりじゃなかったんだ」


 怖がる?

 僕が? 何を?


 自分の手を見ると、木刀を取りこぼしそうな程に震えていた。

 まるで感覚がない。

 誰か別の人の手を見てるいるようだ。


「申し訳ないけど、もう行かなくちゃいけない。先約があってね。立合いなら武帝祭に出るといい。そこで決着をつけよう」

「ふん。少し殺気に当てられただけで子供のようにガタガタと震えて情けない。試合なんてしなくても結果は決まってる」


 エルフの女が、蔑んだ目で僕を見下ろしていた。


 僕が恐がってるだって?

 試合の結果が決まってるだって?

 決めつけてくれるじゃないか。


 身体が何故か動かないけど、恐怖に呑まれてなんかいない。

 僕は動かない身体に鞭打って、無理やり喉を動かした。


「勝手に、決め……るんじゃねえよ。これは――俺の物語だ」

「有象無象が、主役気取りか? 夢をみてるんじゃ――」

「エルフィナ。やめろ」

「アルベルト様、しかし――」


 エルフの女を止めたのは、声に怒気を含ませた<英雄皇子>だった。

 エルフィナと呼ばれた女は、急に怯えたように言いつくろうとする。

 だが、<英雄皇子>それに取り合わず、僕と視線を合わせるように片膝をついた。


 途端、再び騒ぎ出す野次馬たち。

 メイド服も僅かに焦りをみせたが、<英雄皇子>がそれを手で制した。


 皇族が大衆の前で膝をつくなど、本来あってはならない事なんだろう。


「部下の非礼を詫びよう。君の名を伺っても?」

「ディ、ロッリだ」


 <英雄皇子>は僕の目をまっすぐに見て、うなづいた。

 意志のある目だった。

 強く、気高く、まさに人々が思い描く英雄像そのものだろう。

 思わずついて行きたくなるような、カリスマがこの皇子にはある。


「僕はアルベルト・フュル・グラディアス。グラディアス帝国の第一皇子で、<英雄>だなんて呼ばれている」


 知ってるよ。


「だが君が、もし本物の英雄として僕の前に立ちはだかるなら。僕はそれを歓迎する」


 随分と――おかしな話だ。

 それじゃまるで、自分が偽物の英雄だと、認めているようなものじゃないか。


「君の物語は、君の物であるべきだ。誰にもそれを、奪う権利なんてありはしない」


 一瞬。

 ほんの一瞬だ。


 目の前の<英雄皇子>は、僕ではない何かを見つめていたような目をした。

 そしてそこに込められていた想いは、強い決意と、憎しみ――?


 僕がその感じ取った想いをすくい上げるよりも前に、<英雄皇子>は立ち上がった。


「武帝祭で待っているよ。ディ」


 そうして歩き去っていこうとする<英雄皇子>一行。

 武帝祭、ね。

 面白そうじゃないか。

 だがこのままやられっぱなしで行かせてやるかよ。


「おいメイド」

「……まだ何か?」


 振り返ったメイド服の目は、心底めんどくさそうにしていた。

 ふむ、キルトに並ぶ眼力だな。


「そこの皇子サマの首を、よく洗ってやれよ?」

「……ゴミ虫が」


 再び殺気が漏れたメイド服をなだめながら、<英雄皇子>は苦笑いを残して去って行った。


 そして僕は、その場に倒れこんだ。



----


「師匠、本当に大丈夫だし?」

「当たり前だろ。別に怪我があるわけでもなし。冒険都市に来てダンジョンに入らない冒険者がいるかよ」


 翌日。

 僕とルッルは<大迷宮>の入り口までやってきていた。

 さすがこの為に街があるといっても過言ではないだけはある。

 割符確認用の列はいくつにも別れ、ひっきりなしに冒険者たちが出入りしていた。


 ここはこの街の一等地。

 周りにいる商人たちも本来はちゃんと店舗を構えるベテラン揃いだ。

 わざわざ露天を出してまで商品を売っているのは、店の目玉商品ばかり。

 冒険者たちを囲い込めば、この街ではそれがそのまま売り上げに比例する。

 その売込みの熱気も凄まじいものだった。


「そこのホビット族のお嬢ちゃん。<大迷宮>は初めてなんだろう? どうだい、うちの地図は正確だよ?」

「地図があるんだし? どれどれ……って、全然わかんないし」

「ははは。そりゃなんたって<迷宮>だからな。でも地図がないと帰ってこれなくなるぞ?」


 商人が差し出した地図には、びっしりと通路が描きこまれていた。

 一度でも自分の立ち位置を見失えば、もはやこの地図があっても居場所を特定することは出来ないだろう。

 実際、<大迷宮>における新人の死亡原因のほとんどが帰還不能によるものだと言われている。


「狩場や宝箱の出現位置は書いていないのか?」

「そんなの普通は人に教えないからな。自分で書き込んでいくのさ」


 苦しい言い訳だな。


「じゃあ地図も自分で作るべきだな。で、その地図いつまで使えるんだ?」

「――ちっ。馬鹿じゃなかったか。変革期は昨日だよ。つまりこいつが使えたのは――昨日までさ」

「え、え?」


 状況を呑みこめていない様子のルッル。

 こいつにはちゃんと事前準備の大切さを教えてやらないといけないな。


 ダンジョンに地図なんてものがあるなら、普通に考えて冒険者ギルドで販売する。

 商人も言っていたがここは<大迷宮>。

 迷って死ぬやつが多いのに、地図を作らないなんて事はあり得ない。


 それなのに、今朝ギルドで割符を受けとった時にはそんな話は一切でなかった。

 なぜか。

 考えられる理由は二つ。

 自分で気づかないバカなんて死んでもいいと思っているか、そもそも地図なんてないかだ。


 前者はあり得そうで、だけど違う。

 獣人の国は魔石の採掘で成り立っている国だ。

 冒険者はその採掘人。

 わざわざ死なせるよりも少しでも長く生きて、魔石を運び続けてほしいと思っているはずなのだ。


 じゃあ地図がないという事になるが、なぜないのか?


 ダンジョンの中には不定形ダンジョンと呼ばれる、一定周期で中の構造が変わってしまうものがある。

 歴史が長くなってくるとダンジョン内部に構造変化が起きて、普通のダンジョンから不定形ダンジョンへと変化するのだという。

 もちろん、理由や仕組みは解明されていない。


 <大迷宮>は世界で最も古いダンジョンのひとつだ。

 なら、ここが不定形ダンジョンである確率が高いだろうという事は予想がつく。


 ひと通り説明してやると、ルッルは難しい顔をして「なるほどだし」とうなずいた。


「つまり、タイミングが悪かったんだし」

「バカかお前は。こんなもん落書きに決まってるだろ。昨日でも10日前でも使えん。どこの暇人が不定形ダンジョンの隅から隅まで歩き回るんだよ」

「へへへ。よく分かってるじゃねえか。お嬢ちゃん、強さってのは腕っぷしばかりじゃねえんだぜ?」


 気をつけな。と捨て台詞を残して商人は人ごみに消えて行った。

 詐欺師がふてぶてしいとも思うが、まあこれぐらいなら騙される方が悪いな。


「……冒険都市こわいし」

「都合のいい話を持ってくるやつは全員疑え。ほとんど詐欺師かただのバカだ。どっちにしてもロクなもんじゃない」

「分かったし。もう騙されないし……!」


 両手をぐっと握って鼻息荒くしているルッル。

 こういう気合い入ってるやつがカモられるんだよなあ。


「待たれよそこの方……!」


 割符の列に並び、もうすぐ僕たちの番が回って来る頃になって、また声をかけられた。

 振り返ると、袴と呼ばれるジパングの民族衣装を着た黒髪の少年が立っている。


 これはまげと言ったか?

 ジパングの戦士である侍がするという、独特の髪型だ。

 腰には刀を一振り差して、大きな荷物袋を背負っている。


 少年は緊張した面持ちで、無駄に声を張り上げて営業をかけてきた。


「そなたら<大迷宮>は初めてであろう!? どうじゃ、拙者を<荷物運び>として連れていかぬか!?」

「黙れしこの詐欺坊主ッ! あたしに近づくんじゃないしッ!」

「なに故っ!? 開口一番であんまりではないかッ!?」


 完全に人間不信におちいっている様子のルッルが、有無を言わさずに少年を叩き返した。


 まあ、そこまで間違った対応ではないだろう。

 抜き身のナイフみたいになっているが、騙されるよりはマシだな。


「待て、迷宮の中は素人には危険だ! 拙者これでも<荷物運びポーター>としてそこそこの腕前であるぞ!」

「だからいらないって言ってるし。あっちいけし」

「危険であるッ! 危険であるぞッ!!」

「足を離せしこのハゲ詐欺師! 引っ張るなしっ!!」


 ルッルの足に縋り付く少年と、棒の先で少年の顔をぐりぐりと押して追いやろうとするルッル。

 周りにいくらでも冒険者はいるんだから、さっさと他に行けばいいのに。



 これはバカの方だな。

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