第36話 首を洗って待っていてください

 私は押し付けられる清掃業務をこなす毎日を過ごしていました。

 どれだけ効率化しても、通常6名でやる仕事を午前中だけで1人で終わらせる事はできません。

 しかし、私の分隊の今日の巡回業務のシフトは夜勤です。

 さすがにこれに参加させない理由は思いつかなかったのか、分隊長は渋々私の参加を許可しました。


「良いですか? 怪しい者がいても逃げ出したりしたら許しませんわよ?」


「もちろんです分隊長。私はこれでも冒険者をやっていましたので、戦いの心得はあります」


「冒険者ごときの小銭稼ぎと、軍の任務とを同等に思っているんですの? すぐに思い知らなければよろしいですけど」


 このドリルロールはこんな事を言っていますが、軍の兵士だってレベル上げの為に定期的にタンジョンに潜るはずです。

 戦闘力でいえば、冒険者が兵士に決して劣らないことなど、ダンジョンで思い知っているはずですが。


 まあ単純に私が気に喰わないだけなんでしょう。


 ため息を押し殺して、私は夜の街を歩きます。

 正直、アンリお姉さまを救い出せたら軍なんてすぐに辞めるつもりです。

 見習い期間のうちならいつでも辞められますから、その間にお姉さまの救出目途が立てばいいのですが。


 ヒモ野郎は、空軍の兵舎を調べる目途は立ったのでしょうか。


「分隊長! あ、あれを見てください!」


「どうしましたの、遂に<クラッシャー>を見つけ――て。あ、あれは何ですの!?」


 分隊の一人が指差した先には、空を走る人のような影がありました。

 その人物はマントをなびかせて、悠々と空を駆けていきます。

 普通にはあり得ない光景です。

 ドリルロールは大きく口をパクパクと動かして、中々言葉が出てこない様子でした。


「て、天族……? いや、でも羽が生えていませんわ。一体あれは……!」


 天族自体が非常に珍しい種族で、アルメキア王国で見かけることは殆どありません。

 ですが、天族が背中に生えた羽か翼で空を飛ぶというのは有名です。

 空を駆けるあの人物には、そんなものがあるようには見えませんでした。


 ええ、そうでしょうとも。

 なぜならあればただの人間。いいえ、バカなのですから。


 な、に、を、やってるんですかあのバカは!

 どうせ空軍兵舎の偵察の帰りなんでしょうけど、なんでわざわざ空を駆けるんですか!?

 ここは王都です。夜でもたくさんの人が出歩いています。

 空なんて駆けたらすぐに見つかって噂になるに決まっているじゃないですか!


「あ、あんな不審人物を見逃すわけにはいきませんわ!」


「しかし隊長。相手は空の上ですよ?」


「私が撃ち落します! 風よ! 風よ! 我が敵を撃て! <ウインド・バレット>!」


「あっ、ちょ――!」


 ドリルロールが放った風の弾が勢いよくヒモ野郎へ迫ります。

 弓矢なら絶対に当てられない距離ですが、精霊に制御されている魔法は多少ならば自動で狙いをつけてくれます。

 全くこちらに気付いていない様子だったヒモ野郎はしかし、直前で迫る風の魔法に気付いたようで、慌てて両手を突き出します。

 それでも風の弾は防ぎ切れなかったようで、まるで殴られたかのように大きく頭をのけぞらせました。


「やりましたわ!」


 魔法が当たったことでドリルロールが喜びの声を上げていますが、あの程度の威力ではヒモ野郎は倒せないでしょう。

 その証拠に、体勢を立て直したヒモ野郎は何やら目元に手をやってこちらを見ているようです。


 そして何故か速度をあげてこちらに向かって走り出してきました。


 な、なんでこっちに来るんですかあのバカは!



----


 びっくりした……。


 良い気分で空を駆けていると、突然風を切り裂いて何かが迫ってきた。

 <エア・コントロール>の範囲内に入った瞬間に気付いたが、かなりのスピードが出ているそれを完全に避ける事が出来なかった。

 幸い<エア・スライム>でほとんどの衝撃が分散されたから良かったものの、一体何だったんだ。


 攻撃が飛んできた方向に目を向けると、そこには数名の軍服を着た人間がいるようだった。

 遠くてよく見えなかったのでモノクルを起動させて確認する。


「お、なんだキルトじゃないか」


 どうやらあれは海軍の分隊のようだな。

 なんで攻撃されたのかは分からないが、僕の怪盗ムーブを見て貰ういいチャンスじゃないか!

 ミシェルちゃんが作ってくれたこの衣装はこの後返さないといけないから、完璧な怪盗ムーブを見せられるのは今しかない。


「くくく、怪盗<ダーク・シャドウ>のカッコよさに驚くがよい!」


 僕は<エア・ライド>で速度をあげて、キルト達分隊の前に着地した。

 海軍分隊は6人。

 キルトを除き、全員が僕に向かって武器を構えていた。


「な、何者ですか!?」


 キルトと同じ魔法兵のローブを着た金髪ドリルロールの女が、僕に杖を向けながら言った。

 魔法兵の格好をした者が、このドリルロールとキルトしかいないところを見ると、先ほどの攻撃はこのドリルロールの魔法という事か。


 僕は城壁の上でしたのと同じように、シルクハットに手を掛け、挨拶をする。


「突然の訪問失礼しましたレディ。私の名前は怪盗<ダーク・シャドウ>。闇に溶け込み全てを奪う――泥棒です」


 そう言って頭を下げる。

 ちらりとキルトを見やると、絶対零度の視線で僕を凍え殺そうとしていた。

 なんだよ、カッコいいだろ。


「か、怪盗? なんだか分かりませんが、自ら泥棒を名乗るならばここで確保させて頂きます!」


「おや、私はまだ何も盗んでなどいませんが?」


「過去の悪事を自白したようなものですわ! 確保なさい!」


 ドリルロールの命令で兵士の2名が僕に突っ込んできた。

 さすがに抜剣はしないようだが、くく、怪盗をそれで抑えられるとでも?


 以前キルトから聞いた話だと、この分隊は新人ばかりを集めた雑用部隊だ。

 一番長く所属している分隊長ですら入隊1年で、ほとんど実戦経験もない。

 ならば英雄たる僕の相手になるわけがない。

 おっと、今は怪盗だった。


「あまり近づかない方がいい――闇に呑まれたくはないだろう?」


「ひっ、隊長! 何かが僕の体を――!」


「何だ! やめっ、やめろぉ!」


「どうしたんですの!? 何が起きているんですの!?」


 近寄ってきた兵士2人は、そのまま僕が用意していた<エア・スライム>の中に突っ込んだ。

 不可視の圧力に慌てふためく兵士たちの為に、僕はむにむにと<エア・スライム>を動かして、咀嚼しているように演出してやる。

 当の本人たちはまるで本当に闇に食べられているように感じる事だろう。


「<ダーク・シャドウ>! 今すぐその二人を解放しなさい!」


「申し訳ございませんレディ。しかし闇は気まぐれで孤高。私にも完全に制御できるものではないのです」


 完全に制御できるけど。

 僕の言葉を聞いた兵士2人と、ドリルロールの顔が絶望に沈む。

 ドリルロールの横の絶対零度の視線には気付かないふりだ。


「そ、そんな……。ではこの2人は」


「そのままでは闇に取り込まれてしまうでしょうが、それは私も望むところではありません。少し手荒になります――が!」


 僕は<エア・ライド>で急加速し、<エア・スライム>の中でもがいている2人の頭を掴んで、思い切り突き飛ばした。

 兵士たちは<エア・スライム>を簡単に突き抜け、残っていた後ろの兵士2人を巻き込んで、建物の壁に激突する。

 ずるずると崩れ落ちるその様を見るに、どうやら全員気を失ってしまったようだ。

 まったく精進が足らんな。


 一方僕は、兵士2人を突き飛ばしただけでは<エア・ライド>の衝撃を吸収しきれず、そのままドリルロールに向かっていった。

 なんとか止まろうとしたのだが――いかん。このままではぶつかる。


 僕は<エア・スライム>で衝撃を吸収しながら、同時に<エア・コントロール>で逆風を起こし、ブレーキをかけた。

 急な強風にドリルロールのローブがはためく。


「きゃっ! な、なんです――の?」


 風が収まり、閉じていた目を開けたドリルロールの目が驚きに見開かれる。

 僕の顔が目の前にあったからだろう。


 スキルを使って何とか衝突は回避できた。

 しかし、かなりギリギリだった為に僕はドリルロールの腰に手を回し、抱き抱えるようにして支えていた。

 そうしないと倒れこんでしまいそうだったからだ。


「あ、あの……!」


 間近にあるドリルロールの顔がみるみる真っ赤になっていく。

 怒りに震えているのか、それとも未知の敵に抱き支えられている事に恐怖しているのか。

 ドリルロールは小さく震え、目の端に涙を溜めていた。


 うーむ。どうするべきか。

 ここで僕はミシェルちゃんの言葉を思い出した。

 怪盗<ダーク・シャドウ>は夜に零れる乙女の涙を盗むのだ。


「あっ――、えっ?」


 僕はゆっくりとした動作で、ドリルロールの目の端に溜まった涙を指ですくった。


「今宵の盗みはこの宝石とすることにしましょう。レディ、私は泥棒。悪く思わないでください」


 そしてドリルロールを優しく地面に下ろし、距離をとる。

 指の先を空にかざし、涙の滴と月を重ねた。


「美しい宝石だ、まるで貴方のようにねレディ――おっわ!」


 怪盗ムーブを全力で楽しんでいたところに、僕を呑み込めるぐらいの大きさの火球が飛んできたのを<エア・ライド>でぎりぎり避けた。

 見ると絶対零度の視線をもつ火魔法使いが、不機嫌そうな顔を隠そうともせずに杖をこちらに向けて立っていた。


「怪盗<ダーク・シャドウ>。その盗んだものと一緒に蒸発させてあげます」


「ちょっ、待て! あぶなっ! おいっ!」


 キルトの<ファイア・ボール>は初速が速い。

 この距離だと見てから避けるのはかなりギリギリだ。

 だから僕は杖の射線から逃れるように、<エア・ライド>でジグザグに逃げ回っていた。


 くっ、軍の人間として振る舞わなければいけない事は分かるが、完全に当てる気できてる。

 しかもなんかやたらと魔力が籠っているし……、もう少し手を抜いてくれてもいいだろ!


「ふっ……! どうやらそちらのレディは機嫌が宜しくない様子。今宵はこれにて失礼しましょう。さらばだっ!」


「逃がしませんよ! 我は道示す者、火よ――!」


「やめなさい新入り!」


 キルトが<ファイア・ライン>の詠唱を始めたところでドリルロールが制止の声をかけた。

 なんだか知らないが助かった! っていうか<ファイア・ライン>は死んじゃうだろ!


 僕は全力の<エア・ライド>で空を駆けてその場を離脱した。

 もちろん高笑いをするのは忘れてはいない。



----


 ヒモ野郎が癪に障る笑い声を残して空へ逃げていきました。

 今度あったらガチ説教です。覚えていてください!


「隊長、なぜ止めたんですか」


 冷静に考えればここでヒモ野郎を本当に確保されるわけにはいきません。

 しかしそれは私たちの事情。ドリルロールには止める理由はなかったはずです。


 ドリルロールはゆっくりと立ち上がり、ヒモ野郎が駆けていった空を眺めています。


「怪盗<ダーク・シャドウ>、あの方は、何も盗んでなどいませんわ」


「いや、そうかもしれませんが確保を命じたのは隊長では?」


 しかも兵士4人が気絶させられています。

 軍としては面目丸つぶれですから、確保しない理由の方がありません。


「ただ一つ、盗まれたものがあるとすれば――」


「すれば?」


「――私の、心ですわ」


 バキリ。

 私の手元で何かがへし折れる音がしました。


 今度の情報共有は2日後でしたね。

 せいぜい首を洗って待っていてください――!


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