第29話 正義の人

 翌日。

 朝の<ライフ・シード>の提供が終わった私は、いつもと同じ様に中庭でお茶を飲んでいた。

 本当ならせめて素振りなどをして体を動かしたいのだけど、「淑女がする行為ではありません」と言ってセバスが止めるのだ。


「ねえセバス、毎日こうやって中庭でお茶を飲んでばかり。さすがに飽きてしまったわ」


「ブラウンです、お嬢様。お気持ちはわかりますが、オロン様の言う通り、アンリお嬢様の安全を確保できるまでは我慢して頂くしかないかと」


 まあセバスはオロン将軍の家来だものね、私をここから動かさないのが仕事みたいなものよね。


「つまらないわ。何か面白い事が起きないかしら……」


 頬杖をつく私をはしたないと窘めるセバスの言葉を無視していると、それまで誰もいなかった中庭に、唐突に人が現れた。


「あれ、誰もいないっすか?」


 本当に何の前触れもなく、いきなり目の前に現れたその女は、長く尖った耳をしている。どうやらエルフのようだった。

 軍の魔法兵のローブを纏っているので、軍関係者である事は間違いない。


 キョロキョロと辺りを見渡して、ちょうど後ろにいた私とセバスに気が付いた。


「ん? なんで貴族の娘さんと執事がいるっすか? あれ、ここ航空軍の兵舎っすよね?」


 エルフの魔法兵は状況が飲み込めていないようで、首をひねっている。

 でも状況を飲み込めないのはこちらも同じ事。


 口を開こうとした私の前に、セバスが一歩進み出た。


「何者ですか。名乗りなさい」


「え、あー。あたしは航空軍所属、シャーロット・バーディアル中尉っす。任務から帰還したからグラナダ中将に報告に来たんすど……」


 証明のタグを見せながら、いないようっすね。というシャーロット中尉は軍人にしては酷く軽い言葉遣いだ。

 ふふ。私にとっては降って湧いたチャンスね。


「シャーロット中尉。グラナダ中将は2日前から任務について王都を離れているんですよ」


 私は令嬢ムーブのまま、シャーロット中尉に話しかける。

 そう。今はあのイカレた騎士は王都にいない。

 まあ王都についてからはたまに遠目で見かけるぐらいで、接点なんかなかったんだけど。


「じゃあしばらく戻らないっすね。あの人が出張って2日も帰らないって事は、どこかの国の要人でも迎えに行ったっすね!」


 そういえばトカゲの国の重鎮が来るってミカゲちゃんが言ってたわね。そのお迎えに行ったという事かしらね。

 他国の要人をあんなイカレた騎士に任せるなんて、この国大丈夫なのかしら。


「シャーロット中尉、もしよろしかったらお茶をご一緒しません? 一人でここに座っているのも飽きてしまって」


「アンリお嬢様」


 セバスが止めようとする。

 まあそうよね。けど勝算はあるわ。


「セバスお願い、少しお話を聞くだけよ?」


「あ、でもあたしは貴族のマナーとかそういうの全然わかんないっすよ」


「いいんです。ここではマナーなんて誰も気にしません。ね、セバス?」


 セバスは許可してもいいものか悩んでいるのだろう、表情には出さないが恐らく悩んでいる。


 最近ずっと一緒に過ごしていて分かった事がある。おそらくセバスは私がここにいる経緯を知らされていない。

 ただ客人としてもてなす事、外に行かせない事、それぐらいの命令を受けているようだった。


 ずっと暇を持て余す、従順な娘に僅かばかり心を痛めていたはずだ。そうなる様に振る舞ってきた。

 相手は軍人の女、航空軍所属でしかも中尉。タグも確認したから身元ははっきりしている。


 だからきっとこう思う。ほんの少し、自分が側にいるのならば話をするぐらいは――。


「分かりました。それではシャーロット様のお茶をお持ちします」


 勝ったわ!

 

「ああ嬉しい! さあシャーロット中尉、そちらに掛けて下さい」


「いやー、実は喉カラカラだったっす!」


 シャーロット中尉は私の向かい側にある椅子に腰を下ろした。

 普通もう少し遠慮しそうなものだけど、今は都合がいいわね。


「中尉は任務から帰られたという事でしたけど、どんな任務だったのですか?」


 シャーロット中尉はセバスが入れたお茶を口に含みつつ、私の問いに答えた。


「王国の東の端、マイラ島まで出向いて有望な新人のスカウトに行ってきたっす」


 あら、あの時の飛行船の部隊のようね。

 それにしても有望な新人のスカウト、ねえ。

 どうやら<ライフ・シード>の事や、拉致の事については知らされていないようね。


「その飛行船なら随分前に帰還されているはずですが……」


「あああ、あたしはちょっと残ってやる事があったから、陸路で帰ってきたっすよ!」


 なるほど。

 あの時ディ達が襲撃をかけたせいで多くの兵が取り残されたはず。置いて行かれて仕方なく陸路で帰ってきたのね。

 という事はディ達がすぐに追いかけて来ているとしたら、そろそろ王都に着く頃かしらね?


「そうだったんですね。特別な任務をお一人で任されるなんて、中尉は凄い人なんですね!」


「いやー、そーなんすよ! ちょっとスキルが便利だからって、皆寄ってたかってあたしの事頼るんすよねー! 困ったもんっす!」


 シャーロット中尉は頭を掻いて嬉しそうにしている。

 本当は特別な任務なんてなかったはずだけど、随分調子のいい人ね。

 でも聞きたかった事が聞けそうだわ。


「まあ、どんなスキルなんですか? 先程急に現れたのもスキルの御力ですか?」


「んふふー。そうっすよ! あたしのスキルは<結界術>っす! 結界の中を通ればどこにだって行けるっすよ!」


 結界術。

 という事はあの時、西区の通りの結界はシャーロット中尉の力だったわけか。


 なるほど、ディが飛行船の発着場に来れたという事は、シャーロット中尉はあそこで倒されたという事。飛行船に乗れないわけね。


「結界ですか? それは一体どんな力なんでしょう?」


 先程、結界の中を通ればどこにでも行けると言った。

 であればこれほど脱出に適した能力はない。

 仲間に引き込めれば、目処のなかった逃走ルートも一気に確保できるわ。


「試してみるっすか? <結界術・隔世>」


 シャーロット中尉がスキル名を詠唱した瞬間、辺りから全ての気配が消え失せた。

 不自然に音のない世界で、私とセバスとシャーロット中尉だけがここにいる。

 スキル名だけの詠唱で、しかも相手に抵抗される事もなく結界の中に引きづり込める。

 とんでもない性能のスキルだわ。


 私はスキルの詳細を聞き出すため、あえて変化に気づかないフリをした。

 

「中尉? 何も変わったようには見えませんが……?」


「あー、貴族の娘さんだと分からないかもしれないっすね。これでどうすか?」


 そう言ってシャーロット中尉がパチンと指を鳴らすと、唐突にセバスが姿を消した。


「これは――!」


「んふふー。執事さんには先に元の世界に戻ってもらったっす。今この世界にいるのは、あたしとお嬢様だけっすよ?」


 千載一遇のチャンスだわ!

 今ならオロン将軍の息のかかった者は誰もいなく、全ての監視の目から逃れられている!


「結界の事分かったっすか? それじゃ――」


「待って! 結界を解かないで! そのまま私の話を聞いて、お願い!」


 結界を解こうとするシャーロット中尉を慌てて制止する。

 このチャンスは逃せない。

 今戻ってしまえば、もう二度と同じ状況は作れない!


 急に慌てだした私の様子を見て、シャーロット中尉が目を丸くしている。

 別に構わないっすけど……。と言うシャーロット中尉に対し、私は駆け引きなくありのままで話をする事にした。

 この人の場合は、その方がいいと私の勘が囁いた。


「私は拉致されてここにいるの。お願い、ここから逃げるのを手伝って!」


 シャーロット中尉は急な告白に理解が及ばないのか、口を開けて呆けた様子で私を見ていた。



----


「アンリ、寝てるでござるか?」


「ううん……起きているわ」


 部屋に戻った私は、日課の日記も書かずにベッドに突っ伏していた。

 いつものように屋根裏から降りてきたミカゲちゃんが、様子の違う私に心配そうに声をかけてくれる。


「体調が悪いでごさるか? それなら薬を持ってくるでござるが……」


「そうじゃないの。期待が大きかった分だけ、ちょっと落ち込んじゃって」


 あの後、私は誠心誠意を持ってシャーロット中尉に助けを求めた。

 中尉は私の身の上に同情してくれて、上に掛け合うという事まで言ってくれた。

 そもそも自分も拉致の片棒を担がされていたとしって、ひどく動揺していた様子だった。


 でも、オロン将軍にいくら中尉が嘆願しても無駄なのは明白だ。むしろ私が拉致の経緯を話した事を警戒し、今よりもさらに動きが制限される事になるだろう。

 

 だから、逃げ出すのを助けてくれないなら、せめて誰にも言わないでほしいとお願いした。

 中尉はそれを承諾してくれたけど、どこまで信用できるかは未知数だ。

 もしかしたら3週間後の脱出計画にも影響が出るかもしれない。


 これまで慎重に事を進めてきただけに、賭けに出て負けた事のショックが大きかった。


「なるほど、シャーロット・バーディアル中尉でござるか……」


 事の経緯を聞いたミカゲちゃんは、どうやらシャーロット中尉を知っている様子だった。


「中尉は有名なの?」


「そこそこ有名でごさるな。2年前にロマリオ近くの森でスタンピードがあったでござるが、その時に真っ先に襲われた村に配属されていたのが、当時は陸軍少尉だったシャーロット中尉でござった」


 当時、その村の警備を仕切っていたのは別の陸軍中尉だった。

 あろう事かその中尉は、突然の魔物の大群の襲来に対処する事なく、村を放棄すると言って村人の保護すらせずに撤退を指示したのだと言う。


 まだ成り立ての新任士官だったシャーロット少尉は、その命令に真っ向から歯向かった。

 一人で現場に残り、強力なレアスキルである<結界術>で、村人の全員を避難させた。


 さらに村に戻った少尉は、同じように村に残った村人と協力して、ロマリオの軍隊が駆けつけるまでの1日の間、スタンピードをそこで押さえ込んだのだ。


 神出鬼没に魔物を翻弄するその姿をみたロマリオ軍の指揮官が、敬意を持って名付けた二つ名は<界渡り>。

 ここ数年で1番の出来事でもあった為、<界渡り>のシャーロット・バーディアルと言えば、若い兵士の中には憧れる者も多いのだとか。

 

「というわけで、シャーロット中尉は正義の人でござる。アンリの話を聞いて協力してくれてもおかしくはないのでござるが……」


「私の話だけでは判断できないと、そう言われたわ」


「まあ、そうかもしれないでござるなあ」


 何せ軍が保護する娘を脱走させるのである。

 例え義があろうとも、手引きをした事が表沙汰になれば、二度と軍には戻れなくなるだろう。

 万が一、本当に保護が必要な娘を、口車に乗せられて脱走させたとしたら死罪もありえる。


 正義感だけで、そう簡単に決断できるものではない。

 ミカゲちゃんのように、軍を敵に回してでも助けたい誰かがいるというのであれば別だが。


「まあ中尉の協力はもともと計画には入っていなかったでござる。そう落ち込んでも仕方ないでござるよ」


「そう、ね。まあ今日はいきなりだったし、また心変わりするかもしれないしね」


 そうでござる。と笑うミカゲちゃんが可愛かったので、お礼も兼ねて抱きしめたら、「こ、子供扱いしないでほしいでござる! どろんっ」と言って屋根裏に戻って行ってしまった。

 可愛いわね。


 さて、明日からまた地味に頑張らなくては。

 私は腕を伸ばして気合を入れ直す。



 ディは今頃どこで何してるのかしらね?

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