第28話 にんぢゃ。

 アルメキア王国の王都、アルティーナ。

 当然ながら王国で最も栄えるその都市は、古今東西から交易品が取り寄せられ、夜も昼も人通りが耐えない世界屈指の大都市である。


 中心に王宮を構え、その周りを貴族街が囲いこむのは都市マイラと同じ作りである。これは王族であるエリストン公爵家が王都の作りを参考にして街作りをした為だ。

 しかしその規模は比較にならない。

 貴族街を囲む城壁は見上げる程に高く、綺麗に切りそろえられた石ブロックによって堅牢な造りとなっている。

 アルティーナに居を構える貴族はこの国でも重要な役職につく貴族であったり、古くからの伝統ある貴族であったりと、位の高い者達ばかりだ。


 市井の様子も、他の都市とは根本から違う。

 王国最大の学術機関があり、神の知識由来の最新の発明品が真っ先に導入されるアルティーナには、縮小版の魔導列車ともいえる、魔導トラムが街中を走り回っている。

 常に好景気で仕事に溢れており、市民の稼ぎも良い。その為に消費活動も盛んで活気があった。

 軒を連ねる店は、顧客獲得の為に日々そのサービスに磨きをかけ、今日まで選ばれ続けた店だけが王都で商売をする権利を得るのだ。


 そんな刺激溢れるアルティーナにおいて、今最も貴族達の話題を集めている話題といえば、新設された航空軍の兵舎に滞在しているという、とある女性の噂である。


 曰く、亡国の姫君。

 曰く、精霊の力を宿した聖女。


 航空軍の将軍たるオロン・ゴッディアス大将の客人ではないかと噂されているが、航空軍兵舎から外に出て来ない為、その姿を確認した者は軍人に限られる。

 オロン将軍も決して口を割らない為に、謎が謎を呼び貴族達の噂の格好の的となっている。


 ただの美女であればここまでの話題にはならないだろう。

 話題になっている理由、それはこの謎の女性が噂になる少し前から、オロン将軍が王宮に足繁く通っている事と、時を同じくして王の姿が目に見えて若返っていったからである。


 古い貴族達は気付いていた。

 謎の女性とは、数百年前にあった貴族の血みどろの争いの元となったとされる、あの言い伝えのスキルを授かった者なのだと――。



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 航空軍兵舎は飛行船の発着場近くにひとつ、貴族街の北地区、城壁に張り付く形でもうひとつ存在している。

 現在の飛行船の用途が政治案件に多い為、郊外にあるのでは連絡が不便と言う事で城壁内にも兵舎が作られているのだ。

 現在航空軍に在籍する軍人の数は1,000人。そのうちの100人程度が城壁内の兵舎に勤務している。


 ちなみにこの人数は、将軍が指揮を取る部隊としてはあり得ない程に小規模である。

 しかし飛行船の数には限りがあり、増員には新たな飛行船の導入が必要になる為、どうしても時間がかかる。

 将来性の高さは誰の目にも明らかであるため、当時、陸軍副将軍であったオロン大将の強い後押しにより、新設の部隊として将軍指揮下の独立部隊となった。


 そんな城壁内の航空軍兵舎の一画にある中庭で、優雅にお茶を嗜む令嬢がいた。

 白いドレスに身を包み、頭にはこれまた白いつばの大きな帽子を被り、腰まで伸びる美しい金髪を風にそよがせている。

 軍人しか立ち入れない兵舎において、明らかに異質な存在であった。


 令嬢はいかにも高級そうな陶磁器のティーカップを口につけ、紅茶を一口飲んだ。

 そしてゆっくりと息を吐く。


「ふう……美味しい」


「光栄です、お嬢様」


 令嬢の後ろに佇む、執事の格好をした白髪の老人が頭を下げた。


「セバス、おかわりを」


 セバスと呼ばれた執事は、優雅な仕草で音もなく紅茶を注ぎ足すと、胸に手を当て一礼した。

 令嬢は注がれた紅茶を口に含み、またひとつ息を吐く。


「セバス、美味しいわ」


「お嬢様、ひとつよろしいでしょうか?」


 無礼と知りながらも、執事は令嬢の褒め言葉に礼を言わず、発言を求めた。

 令嬢は特に気にした様子もなく、発言を許可する。


「何かしら?」


「私めの名前はブラウンと申します。セバスでは御座いません」


 令嬢はまた一口紅茶を含み、ほう。と息を吐いた。


「美味しいわ。セバス」


「……光栄です。お嬢様」


 セバスと呼ばれた執事は小さくお辞儀をした。



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 王都に拉致されて来てから3週間が経った。

 私は優雅な令嬢ムーブを楽しんでいるのだけど、さすがにちょっと飽きてきたわね。


 一日に三度、<ライフ・シード>を食べ物に込める事だけが私に課された義務だ。

 他に何か強要される事はなく、しかしこの兵舎から出る事はできず、こうやって中庭でお茶を飲む以外やる事がないのだ。


 杖がないとスキルが使えないと偽り、武器は取り上げられてない。

 まあここは敵地の真っ只中。

 私一人の戦闘力なんて大した事無いと思われているのだろう。

 スキルも<ライフ・シード>を顕現するだけと思われているようだし。


 後ろにいる執事はオロン将軍の実家の者だ。

 本来兵舎には軍人しか入れないが、私の監視と世話をさせる為にわざわざ貴族街のどこかにある館からここに通わせているらしい。


 無理矢理連れて来られた事と、何もない兵舎から出る事が出来ない事以外は、丁寧に扱われていると言っていいわね。


「……はあ」


「おや、アンリ嬢。ため息なんかついてどうしたのかね?」


「これはこれはオロン将軍、お見苦しいところをお見せしましたわ」


 中庭の向こうからやってきたのは、この航空軍の最高責任者で、私をここに拉致した張本人。

 齢50を数える、白髪の老将軍だ。


 私は立ち上がり、淑女の礼をする。


「何か不自由があるならブラウンに言いつけるといい。出来る限りの便宜を図るように言ってある」


「ありがとうごさいます。3週間もじっとしているものですから体が鈍ってしまって……。少しの時間でも外に出る事が出来ないでしょうか?」


 オロン将軍は顎に携えたヒゲを撫でながら、さも好々爺のような笑顔で答えた。


「最早古い貴族にしか伝わっていない事ではあるが、アンリ嬢のスキルはその昔、貴族が血を血で洗う奪い合いをした過去があってな。今のまま表を歩いては危険なのだ。今、私が対策を打っているところだから、今しばらく我慢してほしい」


 拉致しておいて大した言い草ね。

 やはり簡単には外に出しては貰えないわね。


「それでは、せめて体を動かす機会を頂けませんか? ここは兵舎ですし、軍の訓練に混ざるとか……」


「はっはっはっ! 軍の訓練は厳しい。淑女にさせられるようなものではないな。まあもうしばらくの我慢だ。若者には辛かろうが、のんびり待ちなさい」


 ここに来てからずっと、接触出来る人、行ける場所を少しでも増やそうとしているのだけど、ほとんど成功していない。

 目の前の老将軍は厳しく何かを制限したりはしないが、何を言っても、のらりくらりと私を誰にも会わさず、この場から動かさずにいる。


 私が「分かりましたわ」と淑女ムーブで返すと、オロン将軍は満足したようにひとつ頷き、僅かばかりに目を鋭くした。


「それで、スキルの方はどうかね?」


 なるほど、この為に来たのね。


 ここに来た当初、私は<ライフ・シード>を生み出せるのは日に3つまでだと偽った。

 過去の言い伝えでは<ライフ・シード>にそんな制限があるとはされていないと、何度も本当の事を言えと脅されたが、私がそうだと言えば確かめる手段はない。


 結局、まだスキルを授かったばかりでこれから数が増えるであろうという結論に至ったようだ。


 私が毎日込めている<ライフ・シード>入りの食べ物は、どうやら王宮に献上しているようだ。

 目の前のオロン将軍の見た目は私が来た時から変わっていないので、おそらく自分では使っていない。


「力が至らずに申し訳ございませんが、まだ……」


 オロン将軍は真偽を確かめるかのように私を鋭く見たが、それも一瞬の事だった。

 すぐに相好を崩し、元の好々爺の顔になった。


「そうか。まあ焦ることはない。スキルは使う程に磨かれるのだからな」


「寛大な御心に感謝致します」


 なに、老人はのんびりしたものよ。と笑ってオロン将軍は去っていった。

 私が再び椅子に腰掛ると、すぐにセバスが新しいお茶を用意してくれた。

 侯爵家の元家令だけあって、所作には全く隙がない。


「セバス、オロン将軍は変わった人ね」


「ええ。あの方は昔からずっと、少年のようなところを残したままなのです」


 少年ね。

 戦場の英雄に憧れる少年でなければいいのだけれど。


 私は紅茶を口に含む。

 まるで花のような香りに包まれて、心を穏やかにさせてくれる極上の一杯だ。

 きっと茶葉も最高級だろう。


「美味しいわ、セバス」


「ブラウンです。お嬢様」


「そう」


 そうしてまた、代わり映えのしない一日が過ぎていった。



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 夜になり、私はあてがわれた部屋に戻る。

 ようやく監視のない一人の時間、と思いたいがもちろんそんな訳はない。

 姿は見えないが、必ず監視がついているハズである。


 私は机に向かい、日課となっている手紙を書き始めた。


『親愛なる母、シスター・ロッリ様。突然の別れからもう一月近くが経とうとしています。お身体お変わりないでしょうか? 今私は王都の一画で、スキルの力を使い、国へ貢献するという素晴らしい機会に恵まれています。綺麗なドレスを纏い、食事もとても美味しいです。憧れていたお姫様の様な生活で、夢のようです。今はまだ土地に慣れず、自由に動き回る事は出来ませんが、いつか王都のお土産をそちらに送りますね。孤児院の皆はやんちゃなので私の事を心配しているでしょう。私は幸せにやっていると言って聞かせ、安心させてやって下さい』


 うん。なかなかの出来ね。


「こんな手紙を書いて、本当に大丈夫でごさるか? 助けが来なくなるのでは?」


「あらミカゲちゃん。今日は早かったわね」


「毎日何も起こらないから、交代の時間がどんどん早くなるでごさるよ……」


 唐突に現れたこの娘は、私を監視する諜報部の一人で、ミカゲちゃんだ。

 ミカゲちゃんはジパング出身の10歳の女の子で、忍び装束という民族衣装を着ている。

 本来は顔も隠すらしいが、ここではその可愛らしい顔立ちと、頭の後ろで短く結わえた黒髪を晒している。


 ミカゲちゃんは私がここに来てから得ることが出来た、唯一の味方である。


「大丈夫よ、絶対に誰も信じないから」


「暗号文でごさるか?」


「いいえ。書いてるまんまの意味よ」


 ミカゲちゃんは頭に疑問符を浮かべて意味を理解出来ていないようだ。

 まあマイラ島で私達がどう認識されているか知らなければ分からないわね。


 そもそもこの手紙にそこまで意味はない。

 無事を知らせる事ぐらいは出来るかもしれないが、手紙を書いている主な理由は暇つぶしだ。

 ちゃんと届く事すらも期待していない。


 私がミカゲちゃんを仲間に引き込んだのは1週間程前、王都に着いてから2週間が経った頃だ。


 味方を作る為にあらゆる手段を講じていた私は、部屋に戻ってから毎日、姿は見えないが必ずいるであろう、監視の人間に聞こえるようにこう呟いていた。「私のスキルなら貴方の大切な人を救える。怪我でも、病気でも、老いでも、全て解決できる。ここから連れ出してくれたら必ず貴方の大切な人を救い出すと約束するわ」と。


 もちろんこれで上手く行くなんて思ってはいなかったが、やれる事は何でもやらないとこの状況は覆せない。

 反応のない中、毎日毎日同じ事を呟き続け、2週間経った頃にミカゲちゃんが話しかけてきた。


 思っていたよりも幼い子だった事には驚いたが、さらにその子が女の子である事も驚きだった。

 ミカゲちゃんは言いづらそうにして、おずおずと私にこう言った。「本当にどんな病気でも治るでござるか……?」と。


「それでミカゲちゃん、脱出の目処は立ちそう?」


「うむ。3週間後にトカゲ族の国から重鎮が来る予定になったでござる。普段は近衛隊だけで警備するでござるが、何故かオロン将軍の進言で航空軍も警備に参加する事になったでござる。その日が好機でござろうな」


 まだ逃走ルートの確保は目処が立っていないでござるが……。とミカゲちゃんは言うけど、警備が薄くなる日が分かっただけでも重畳ね。


「それじゃあ3週間後までに逃走ルートを検討しましょうか。私も出来るだけ仲間に引き込めそうな人がいないか探してみるわ」


「まあ難しいでごさろうなあ。拙者のように外から来た人間以外は仮にも軍の人間でござるからな」


 そうでしょうね。

 でも諦めたらそこで何かが終わってしまうのよ。


 ミカゲちゃんは両手を体の前で組んで、人差し指を延ばす独特のポーズを取った。

 なんでも忍術なるものを使う時の印なのだとか。


「では、他の者に見られるとまずい故、これにて。どろんっ!」


 そう言ってミカゲちゃんはぴょんぴょん飛んで屋根裏に戻っていった。

 身体能力が高いのは分かるのだが、忍術が何かはさっぱり分からない。


「でも何か、仲良くなれそうなのよねえ」


 一人になった私の、退屈な夜が過ぎていった。

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