第19話 とある冒険者の旅立ち
私は<ウミネコ亭>で出される料理に舌鼓をうっていました。
ここは昨日、露店で知り合った少女――おタマちゃんの家族が経営する、食堂併設の宿屋です。
保存食の発注の話をしている中で、おタマちゃんの実家が宿屋と食堂をやっている事、ジパング出身の母親が1年前から帰省中である事、その間漁師の父親が宿の経営を任されているけど、客の数が激減したなどの事情を聞く事が出来ました。
これだけ美味しい干物を作るのなら、食堂の味も期待できると思った私は、その日の夕方に<ウミネコ亭>に食事にいきました。
自分も幼い頃からお店の経営を見てきた経験があるので、もし何か助言の1つでも出来れば、という思いも僅かにありましたね。
そうして入った<ウミネコ亭>で、想像以上に駄目な経営状況を目の当たりにして、強面の店主に本気の説教をしたのです。
愛想のない接客、暗い店内、掃除の行き届いていない寝室。
唯一ちゃんと掃除されていたのはおタマちゃんが任されていた食堂だけでした。
とても娘を預かる身で許される体たらくではありません。
「明日、私が泊まりに来るまでに今言った点を改善できていなければ――分かりますね?」
店主が首を千切れんばかりに頷いているのを見て、私はその日は元の宿に帰りました。
そして本日再び<ウミネコ亭>を訪れたのです。
まずチェックしたのは店主の格好です。
まるで海賊がごとく伸びていた髭を全て剃り落とし、清潔感のある服装を心がけさせました。
次に、暗い店内は明かりを増やして対処。
窓がないのはすぐにはどうしようもないので、光石カンテラで明かり取りをしました。さらに明るめの色をした植物を各所に配置し、店内を彩ります。
宿なのだから寝室の清潔さは最も重要です。
ベッドもシーツも全て外に出して熱湯で丸洗いを指示しました。その間に部屋は隅から隅まで清掃。私の火魔法で軽く炙り、虫を駆除します。
これでようやく最低限。
出来ていなかった当たり前を取り戻しただけです。
「後はお店の特色をちゃんとお客様に伝える事が重要です。ジパングの調味料を使った料理なんて他では食べられないんですから、できれば一目でジパング料理を出す店だと分かるような見た目にしてください」
可能であれば壁を抜いてもう少し明かり取りの窓を増やしたり、各部屋に風の循環ができるよう、壁の一部に穴を開けたりなど、時間があれば出来る事はまだまだあります。
「ここまですれば銀貨5枚ぐらいは取っても大丈夫です。部屋数には限りがあるのですから、質を高めて単価を上げるべきなんですよ」
しかし、ここまで素直に助言を受け入れてきた店主が、値上げについては頑なに受け入れませんでした。
なんでも今宿泊している冒険者が、独り立ちしてまともに稼げるようになるまでは値上げをしたくないとのこと。
ふむ、1泊あたり銀貨3枚半の値上げですら生活ができなくなるとは、まるでどこかのヒモ野郎のようですね。
しかし私が出来るのはあくまで助言。
店主が値上げをしないというなら致し方なしです。
まあ部屋が埋まるだけでも売上は回復するでしょうし、随分マシになったと思う事にします。
そして、助言のお礼として出された、おタマちゃん特性のジパング料理に舌鼓をうっている、というわけです。
そうしてある種の達成感に包まれていた私の前に、随分汚らしい格好をした冒険者が2名なだれ込んできました。
折角キレイに掃除したばかりのロビーの床を汚され、私は眉をひそめます。
そしてその冒険者の顔を見て、さらに眉間にシワが寄ったのを感じました。
「ん? おい、海賊がいないぞ」
「いやディ、髭がないけどこの人がマスターだよ」
「なに? 海賊ってのはそんな簡単に足を洗えるのか?」
人が夕食を楽しんでいる時に、やいのやいのと騒々しいですね。
私は席を立ち、ハタ迷惑な冒険者共の前に立ちました。
「人様の迷惑を考えられないバカがいると思えば、それが顔見知りだった時の私の心境が想像つきますか? つかないですよね。そんな想像力があれば他人のお金を目当てに生きるなんて卑しい真似できないはずですから。自らお金を稼ぐという真っ当な人間性を取り戻すチャンスを棒に振って、食堂で汚らしい格好で騒ぎ散らかすなんて、チンピラにでも転職したんですか? 念の為に教えてあげますけど、最低ですよ?」
私の顔を見たヒモ野郎は、絶望に沈んだ表情をしていました。
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スカーフェイスを倒したあと、フォートは直ぐ様皮剥をした。
本来はその巨体を動かすだけでもかなり手間だが、ゴウさんが手伝ってくれたので大分早く済ませる事ができた。
と言ってもあれだけの巨体である。
皮を剥ぎ終わった頃には日が真上に差し掛かろうとしていた。
僕たちが夜中になる前にロマリオに辿り着けたのは、ゴウさんのお陰である。
ゴウさんは深部から森の入り口までの最短ルートを先行して教えてくれた。
道すがらも邪魔になる障害物を、有り余るその筋力でワイルドに解決してくれた。
結果、半日かかるはずの距離が、たったの数時間で踏破できてしまった。
ゴウさんとは森の入り口で別れた。
どれだけ賢くてもゴウさんはゴウリラ、魔物である。街では生きられない。
ゴウさんは森で、僕たちは街で。
離れていても共に生きていける。
また会いに……は行かないかもしれないが、でもどっかで会うこともあるだろうと、僕の野営用のマントをゴウさんに贈った。
嬉しそうにするゴウさんと、軽く拳を突き合わせて別れの挨拶をした。
それから半日、僕らは熊の毛皮を森の外に置いておいた荷車に乗せてひたすら走った。
スカーフェイスの毛皮はとにかく重かった。
冒険者ギルドに報告できないから、スカーフェイス討伐証明の頭部は置いてきた。肉も内蔵も何もかも焼却処分だ。
残ったのは体部分の皮だけ。
それでもナメしてないから脂の重量がかなりある。
フォートは「本当ならちゃんとナメした方が買い取り金額がいいんだけど」と言っていたが、時間がなくて出来ないのだから仕方がない。
僕が「狩人じゃなくて冒険者なんだからいいんだ」と言ったところ、何か感銘を受けたようで少し涙ぐんでいた。
そんな泣くような事は言っていない気がするが、僕のカリスマが漏れてしまったのだろうか……。
そして体力の限界を2回ほど乗り超えた辺りで、ようやくロマリオに到着した。
日はすっかり落ちていたが、フォートの言った通り、商人ギルドの買い取りは迅速だった。
買い取りカウンターの厳つい親父はフォートの事を知っていたようで、「<霞打ち>の復活だな」と喜んでいた。
<霞打ち>はフォートの二つ名で、手元が霞む程の早打ちだった事から名付けられたそうだ。
あの弓の腕なら納得であるが、ちょっと羨ましい……。
毛皮の買い取り金額は金貨4枚。
あれだけの大物を仕留めた割には、ボス・ズンの魔石よりも安いというのは少し思うところがある。
ただ本当なら換金出来た部位を捨てて来たのだから、総額でいえばスカーフェイスの方が上か。
ちなみに冒険者ギルドにスカーフェイスの討伐報告をしていたら、金貨10枚だったそうだ。
利用停止処分が急に重たい処罰に感じる。
まあそうは言っても目標額を倍も達成したわけで、ホクホク顔で<ウミネコ亭>に戻ったところで、いるはずのないキルトと遭遇したのだ。
「なんでお前がこんな安宿にいる?」
僕の言葉にキルトが不機嫌そうに答える。
「ここが安宿だったのは昨日までです。今は本当なら銀貨5枚の価値があるにも関わらず、店主の情けにより安値で泊まれる宿に生まれ変わりました。少しでも自尊心があるなら出ていって構わないですよ?」
なんだそれは。
どうしてこいつが海賊の宿の肩を持つ?
何が起きてるんだかさっぱりだ……。
「あ、フォートお兄ちゃんお帰り! 明日の代金分は稼いで来れた?」
キルトの後ろから姿を現したのは、自称海賊の娘のおさげっ子だ。
明日の代金というのは、狩りに行く前にフォートが注文していた保存食の事だろう。
「おタマちゃんただいま。もちろん、バッチリ稼いで来たさ!」
おさげっ子は「良かったね」と嬉しそうに声をかけた後、何かに気づいたようにしてその表情を曇らせた。
「お兄ちゃん、行っちゃうんだね……」
「うん……。長い間お世話になったけど、ようやく馬車の代金を稼ぐ事が出来たんだ」
俯くおさげっ子の頭に、元海賊の宿の店主が手を乗せた。
「玉緒、こいつがようやく前に進める日が来たんだ、笑って送り出してやれ」
おさげっ子は元海賊のスボンに顔をうずめ、「う゛ん……!」と気丈に答えていた。
フォートにもフォートの物語があるんだなあ……。
感慨深くそれを眺めていた僕を、キルトが半目で睨んでいる。
「どうやら店主が気にかけていた冒険者は一人立ちしたようですね。ならばここの宿泊費は1泊銀貨5枚になりました。ヒモ野郎はキチンとお支払をするようにして下さい」
「なんでお前が宿の値段を決めるんだ」
「特別顧問になりましたので」
ホントに何があったらそうなるんだよ……。
ティーカップでお茶を飲むゴウリラよりもずっと訳がわからなかった。
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あれから3日が経ち、僕らはアイロンタウンに向かう馬車に揺られている。
おさげっ子とフォートは笑顔で別れ、再開を誓っていた。
まあ宿屋の娘にとって出会いと別れは避けては通れない道である。いつまでも泣いてはいられないだろう。
僕は金貨2枚を稼ぎ出した冒険についてキルトに聞かせてやった。
ゴウさんの下りでは完全に疑っていたが、フォートからも事実であると聞かされ、半信半疑程度に収まった。
スカーフェイスを討伐した件をドヤ顔で話していると、「結局仕留めるのは人任せなんですね。何時になったら自分で金を稼げるようになるんですか?」と蔑んだ目で言われた。
ちゃんと稼いできたというのに、僕の呼び名はヒモ野郎のままである。
道中、主要路では大変珍しい事に、盗賊に襲われた。
フォートは最初、怯えた様子だった。
やはり過去に刻まれた恐怖は、完全には克服できていないらしい。
だが怯えながらも弓を構え、3矢連続の早打ちを見せた。<霞打ち>の名に恥じない、神速の速射であった。
矢は2本は外れ、1本が盗賊の足を貫いた。
どうやらフォートは見える未来が3つまで絞れるようになったらしい。
これからさらに精進を重ねれば、きっと正しい未来だけを見通す事が可能になるだろう。
この戦闘を見ていたキルトが、フォートに向かって「連射速度は凄まじいですが、命中率が悪すぎます。これでは良い狩人にはなれそうにありませんね」と言った。
僕とフォートは顔を見合わせた。
僕はフォート以上の狩人がいるだなんてちょっと想像が出来ないし、<霞打ち>は正真正銘の超一流の狩人だ。
しかし、何も知らずに今のフォートを見れば、キルトの言葉が正しい評価になるのだろう。
僕らは可笑しくなって笑った。
腹の底から笑った。
<冒険者>フォートの物語は、ここから始まるのだ。
何故僕らが笑っているのか分からなかったキルトは、不機嫌そうに僕らを見ていた。
――馬車は一路、アイロンタウンへ向かっている。
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