第18話 森の賢者とひとつの未来
深部に入った僕達は、ゴウリラにお茶を振るまわれていた。
なぜこの状況にいるのか。
それは僕らが深部に入り、フォートが「ゴウリラは<森の賢者>と言われるほど知恵がまわって、単体でも戦闘力が高く、その割に素材になる部分がないから、出会っても極力戦闘は行わない方がいい」と言った直後の事だった。
前を歩くフォートが急に立ち止まり、動かなくなってしまったので何事かと思い前をフォートの肩越しに覗いた。
するとそこにはティーカップでお茶を飲む、1頭のゴウリラの姿があった。
僕は言った。「さすが<森の賢者>だな」と。
フォートは言った。「いや、これはさすがに……」と。
とりあえず僕はプロの狩人たるフォートの指示に従い、極力戦闘を避けるために挨拶をした。
何やらフォートが驚いたような声を上げていたが、戦いを避けるとはつまり対話を行うという事なので、指示通りである。
するとゴウリラは軽く片手を上げて挨拶を返してくれた。
その後に手招きをされたので、唖然とするフォートを引きずり、指し示された辺りに腰をかけた。
僕らが座った椅子は、まるで大木を殴り倒して、残った部分を大岩で叩きならしたかのような作りになっていた。
筋肉と知恵の融合である。
ゴウリラは――いやもう呼び捨ては失礼だな――ゴウさんはどこからかティーカップを2つ用意してきてくれ、僕らの前に置いてお茶を入れてくれた。
お茶の良し悪しなどわからないが、ゴウさんの手慣れた手つきを見ていると、良いものだと確信できる。
それ程に優雅で、洗練された動きだったのだ。
そして今に至る。
「ディ……、僕は何が起きているのかさっぱりだよ」
「森の深部で<森の賢者>に茶を振る舞われている」
「ありのままが受け入れられない……」
ゴウさんは僕達に飲め飲めと手振りで伝えてくる。
確かに振る舞われた物にいつまでも手を付けないのは失礼だな。
僕とフォートは同時に茶を飲んだ。
そして吹き出した。
「まっず!」
「凝縮された苦味が……!」
ゴウさんは両手を肩まで上げて、やれやれと首を振っている。
なんだか僕達の味覚が悪いみたいな気がしてくるが、そこには超えられない種族の壁が確かに存在していた。
「ゴウさん、お茶は気持ちだけ受けとっておく。ありがとう」
ゴウさんが頷いた。
懐の広いゴウリラだな。
「俺達はベアベアーを狩りに来たんだが、どこにいるか知らないか?」
「ちょっとディ何を……」
「いや、<森の賢者>なんだし、知ってるかもしれないだろ」
「その現実を受け止める能力の高さは何なんだよ……」
ゴウさんは僕の問いかけに大きく頷いた。
そして空を指差し、次に落ち葉の山を指差した。
これは恐らく、知ってはいるが、もう遅いからここで泊まれという事か。
森の中の事だ。フォートの指示を仰ごう。
「フォート、こういう場合は狩人ならどうする?」
「世界中の狩人に聞いても、同じ状況になった人はいないと思うけどね……。夜の森が危険なのは事実だよ。僕も少し様子をみたら深部を出て野営をするつもりだったしね。でも、魔物の側で野営して平気なのかな……」
僕はゴウさんの目を見た。
目は心を写し出す鏡である。目を見れば大体そいつが信用できるかどうかは分かる。
ゴウさんは僕が推し量ろうとしているのが分かったのだろう、真っ直ぐと僕を見つめてきた。
ゴウさんは曇りなき眼をしていた。
どんな真実でも見定めそうである。
「フォート、ゴウさんなら大丈夫だ」
「確かに僕もそんな気はするけど……。でも落ち葉は虫がいるからやめておいた方がいい」
そうだな、先程の茶の件もある。
ゴウさんは魔物と思えない程に知恵が回るが、種族の壁は超えられないからな。
ゴウさんなら虫とか平気そうだし。
するとゴウさんは地面を指差した。
その先にあったのは焚き火の後である。
そして落ち葉の山を指差す。
これはもしや――。
「これはどういう意味だろう?」
「焚き火の煙で燻したから平気だと言ってるんじゃないか?」
するとゴウさんはゆっくりと頷いた。
「ゴウリラが森で火を焚いて、しかも煙で落ち葉を燻す? 誰に話しても信じてくれないよそんな事……」
「まあ冒険ってのは信じられない驚きの連続さ」
「驚きの方向性が違う気がするけど……」
とにかく僕たちはその日をゴウさんの寝床で過ごすことにした。
フォートは夜中に何度も起きて見張りをしようとしたようだが、その度にゴウさんに優しい目で諭されたのだという。
---
次の日の早朝、僕たちは小さな岩山にぽっかりと空いた洞窟の前に来ていた。
「ゴウさん、あの中にベアベアーがいるのか?」
ゴウさんは頷いた。
そうか、ゴウさんが言うなら間違いないな。
「フォート、あの穴の中に向かって矢を射れば当たるんじゃないか?」
「当たるかもしれないけど、急所以外に当たっても毛皮を傷つける以外の意味はないね」
むしろ手負いになると暴れまくるので危ないのだと言う。
狩人の仕事は一撃必殺。
そのチャンスが来るまで何日でも待つのだそうだ。
ならば僕が引きずり出すしかないわけだ。
洞窟に毒を送り込むだけで片付くような気もするが、生憎と手持ちに毒はない。
ホロホロ君からいくつか譲って貰えばよかったかな。
僕は穴に向かって石を投げ込んでいった。
どれか当たって出てくるだろう。
「――っと、来たな!」
出てきたのは3メートル程の巨大なベアベアーだ。寝ていた所を起こしたのか、非常に機嫌が悪そうである。
目元に傷があって凄い迫力だ。
これを狩るってんだから狩人ってのは凄いな。
「こいつは<スカーフェイス>……!」
おっと、フォートから楽しそうな言葉が聞こえたぞ。
「ディ、そいつは何人もの狩人や冒険者を殺害してきたネームドだよ! 最近話を聞かないと思ったら、こんなところに移動していたのか……!」
「ネームドか……! ゴウさんこいつは当たりだぞ」
ダンジョンの外ではフロア・ボスのような魔物の代わりに、ユニークと言われる個体が現れる事がある。
他で見たことのない種類の魔物であったり、同じ種族でもやたらと巨体だったり強かったりする。
それらが確認されると冒険者ギルドから特定名が与えられ、ネームドと呼ばれて警戒されるようになるのだ。
「ウガァッァァァ!!!」
スカーフェイスが苛立ちを爆発させるかのように大声で吠えた。
全力で突進をしてくるその姿は、あまりに巨大で馬車が突っ込んでくるようだ。
横っ飛びで避けると、奥の木に頭からぶつかり止まった。
後ろを向いている今がチャンスである。
木刀の先に<エア・ボム>を発動し、後ろ足に二連撃で叩き込んだ。
圧縮された空気が大きな音を立てて炸裂する。凄まじい衝撃で木剣が手から吹き飛ばされそうになるのを耐えた。
「グルッ!!」
スカーフェイスは足を掬われる形でその場に尻もちをついた。
だがすぐに起き上がり、こちらに向く。
ダメージはさほど感じられなかった。
僕はバックステップで距離を取る。
あれ、<エア・ボム>効いてない?
「ベアベアーは全身筋肉で強靭なタフネスがある! 急所である顔以外への攻撃は殆ど通らないよ!」
奥の木の影に隠れてこちらを伺っているフォートから声が飛んできた。
折角火力を手に入れたと思ったのに、初戦でまた火力不足に悩まされるとは……。
まあ、こいつにはアンリの<ライフ・ボム>も通じそうにない。<エア・ボム>の威力が足りないという事でもないだろう。たぶん。
「グルアッァァ!!」
再びの突進攻撃。
ベアベアーの突進は動き出しから速度が出る。
距離が近い今の位置では普通の横っ飛びでは避けられない。
<エア・ライド>で緊急回避をする。
飛行船を追いかけた時に編み出した、足の裏に<エア・ボム>を仕込む高速移動だ。
爆発的な加速でその場を回避したが、避けた後は上手く止まれずに地面を数度転がってから止まった。
要練習だな。
これだけ突進してくるなら、わざわざ<エア・ボム>を叩きつけることもないだろうと、スカーフェイスの顔が通る位置に<エア・ボム>を仕込んでおく。
三度目の突進を避けた時、空気の爆発がスカーフェイスの顔面で炸裂した。
「――ッガ!」
今度は効いたか?
スカーフェイスは何度か頭を振って、こちらを凄まじい殺意で睨みつけてきた。
元気ハツラツといった様子である。
完全に火力不足だな……。
「フォート! 狩人はこいつをどうやって倒すんだ!」
「普通は罠を仕掛けるか、狙撃の機会をじっと待つんだよ! 万が一戦闘になったら矢で目を狙う! 普通のベアベアーなら今ので気を失うぐらいはしたかもしれないけど、スカーフェイスは恐らく衝撃の殆どが内蔵まで届いてないんだ!」
ボス・ズンに続き、打撃や衝撃に耐性がある魔物ばかりだ。
まあピンチにならないと盛り上がらないからな!
さすが冒険の神に愛されてる!
それにしても動き回るこいつの目を狙うってのは本当に普通の対応か?
100メートル先の点を射抜くフォートぐらいしか出来ない気がするが。まあ要するに目を潰せばいいという事は分かった。
「<エア・スライム>!」
全力<エア・スライム>をスカーフェイスを取り囲むようにして展開する。
動きを止めれば目を攻撃するのも容易いが……。
そう簡単には行かず、物凄い力で抵抗される――!
「ぬううう……! 抑えるだけで精一杯か!」
これは止めてる間に攻撃するのは無理そうだ。
その瞬間、スカーフェイスの目の前を、かなりの速度で矢が通り過ぎた。
フォートか!
「くっ、やっぱりブレて狙いが……!」
あれだけの腕前があって、動けない状態のベアベアーに当たらないとは考えづらいな。
やはり姿がうまく見えていないのか。
「っと、しまっ――!」
<エア・スライム>の拘束が力任せに解かれ、スカーフェイスが僕に向かって突進をして来た。
マズい、<エア・ライド>が間に合わない! <エア・スライム>で防御を――!
「――っ! ゴウさん!」
防御体制をとった僕の前に飛び出してきたのはゴウさんである。
ゴウさんはスカーフェイスの突進を真正面から抱えるようにして受け止めていた。
衝撃で押し込まれ、両足で地面を掘り返しながらもその勢いの全てを止めきっていた。
盛り上がる筋肉、その気品たるやさすがは<森の賢者>である。
これなら行ける!
「<エア・スライム>!」
再び全力の<エア・スライム>を展開。
しかし今度はゴウさんと2人掛かりだ。
「フォート! スカーフェイスの目を射抜け!」
僕はフォートに向かって叫んだ。
---
ディが、僕にスカーフェイスの目を射抜けと叫んだ。
弓を引き絞り狙いをつけようとするが、スカーフェイスの姿が何重にもブレる。
これじゃ目を射抜くなんて無理だ……。
「くそっ、こんなスキルなんてなければ!」
以前なら動いているベアベアーの目だって射抜けたのだ。
<未来視>なんて必要としていなかったのに、なんで神様はこんなスキルを僕に授けたんだと思わずにはいられない。
僕なりにスキルを使いこなそうと努力はした。
ブレる未来の数は相手が素早ければ素早い程に増えるようだ。
どうやら獲物がその時に可能な動きを、可能性の大小に関わらず等しく見通していると思われる。
見通している未来はおよそ1秒後。
たった1秒と思えるが、生き物はその1秒でここまで動き回る事が可能なのだと知った。
「ディ、無理だ! ゴウさんが近すぎて当ててしまうかもしれない!」
未来視でみるスカーフェイスの姿は常に変化し続けている。
中にはゴウさんがやられてしまう未来も混ざり始めていた。
僕の目にはそれが起こった事なのか、ただの可能性なのか瞬時に見分ける事はできない。
おそらくスキルの力でどうにかしてスカーフェイスを抑えているであろうディは、苦しそうな顔をしながら叫んだ。
「狩人としての自分の目を信じろ! お前はスキルを授かる前から相手の動きを予測して矢を放っていたはずだ、そうだろ!」
その通りだ。
矢は放ってから目標に当るまで、僅かに時間差がある。動き回る獲物を捉えるには、獲物の動きを予測して、頭の中に描いた少し先の未来の姿に向かって矢を放つ必要がある。
僕はディの言葉を受けて、じっとスカーフェイスを見た。
狩人が<待ち>をする時、獲物以外の姿が見えない程に集中をする。
久しぶりに、深く深く集中の海に沈みこんでいった。自分と相手以外のものが世界に溶けて消える。音も風も、感じるまでもなく僕には分かる。
ブレていたスカーフェイスの未来の数が、僅かに減った気がした。
狩人としての僕の経験から、この動きは可能性が無いと思った未来が消えていたように思える。
しかし、まだ未来はいくつもブレており、弓で狙いを定めるには至れない。
くそ、せめて今の姿がどれか分かれば。
僕はブレているうちの一体を勘で狙い、矢を放った。
残像のスカーフェイスを撃ち抜くが、そのまますり抜けてしまう。
「だめだ……!」
「掠ったぞ! もう1度だフォート!」
掠ったのは偶然だ。
僕は狙いをまったく付けられていない。
このまま何射放ったところで目を射抜ける可能性はゼロだ。
逡巡する僕に向かって、ディが叫ぶ。
「フォート! 俺とゴウさんは絶対にこいつを押さえ込んでみせる! 1ミリ足りとも動かさない! こいつの未来は確定だ! お前に目を撃ち抜かれるんだ! 信じろ! お前だけじゃない、仲間の力を!」
仲間の力を信じる――。
その言葉を聞いたとき、何かが僕の中でカチリとハマった気がした。
両親がいなくなってから、僕は1人で全てをしてきた。家事も狩りも、生活の全てを。
冒険者になってからも、自分の力だけでどうにかしようと躍起になっていた。
そして上手く行かず、転がり落ちるかのように失敗の連続。
自分がもっと強ければ。自分が以前の力を取り戻せれば。自分が、自分が――。
思えばスキルについて誰かに相談した事がない。
<未来視>について話をしたのだってディが初めてだ。
僕はきっと、自分が一流の狩人だと思う自尊心から、人に頼る事を出来ずにいたのだ。
今、その事に思い当たってみて、自分がなんて馬鹿馬鹿しい奴なんだと素直に感じた。
頼ればいい。
僕はディや、魔物であるゴウさんよりも優れた存在なのか?
そんな事はない。安宿にギリギリ泊まるぐらいの日銭稼ぎだ。大した存在じゃないだろう。
ならば、過去にすがるだけの自尊心は不要だ。
過去の自尊心を捨てた上で、何も出来ない今の自分を信じて待ってくれている、仲間の期待に応えなければいけない。
僕に必要なのは栄光の過去じゃない。未来でもない。現在だ。
僕の真っ暗だった心は、火がついたように明るくなった。
「ディ! ゴウさん! 5秒完全に抑えてほしい! それで仕留めてみせる!」
「5秒だって? 楽勝すぎて肩透かしだぜ、なあゴウさん!」
「うっほほー!」
ゴウさんが初めて言葉を発した。
なんだかとても頼もしい。
本当にこのゴウリラは何者なんだろうか……。
「いくぜ! <エア・スライム>!」
「うぅぅぅほっおぅぅぅ!!」
僕は見る。
仲間が紡いでくれる現在を。
何重にもブレるスカーフェイスの未来を否定する。
いくつも未来の可能性が見える?
そんな訳がないだろう。
僕の仲間が1ミリ足りとも動かさないと言った。
ならこんな未来はあり得ない!
「消えろ! 僕らの未来は僕らが紡ぐ!」
その瞬間、僕の目にはピタリと止まる、スカーフェイスの姿が映っていた。
それは久し振りの感覚だった。
矢を放つ前から、既に獲物を仕留めた未来が分かるのだ。このまま矢を放つ必要なんてないんじゃないか、もう仕留めているじゃないかと思えるような不思議な感覚だ。
そうだった。僕は未来なんて見えるようになる前から、未来がどうなるかを知っていたんだ。
僕は既に確定した未来を現実に追いつかせる為、名残惜しさに後ろ髪を引かれる思いで矢を放った。
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